第19話 古株侍女の朝の蛮行
数日後の早朝、部屋の主セシルもまだ眠っている時間である。
セシルを起こすために入ってきた侍女と思しき人物が、小さなピンを手に持ちながら彼女のベットに近づいていった。
そして、ピンを持った手を振りかぶったとき、その手首を後ろからがっしりとつかんだ人間がいた。
「っ……!」
「なにしてるんだ?」
声の主は侍女と同じくらいの背丈の少年だった。
「男!」
少年は侍女の腕をつかんでいた手の力を強めて、彼女の手にあったピンを落とさせた。
「なんなの、あんた! どうして男がお嬢様の部屋に!」
侍女がそう叫んだ瞬間部屋の明かりが点灯し、それが問題視されている古株侍女のリンヴィだとわかった。
「私が頼んだのよ。セシル様を起こす時にも体を痛めつけるようなまねをする侍女がいると推測できたから」
「そんなのたまたまチクッとするだけでしょう!」
「あら、私は『痛めつける』って言っただけなのに、どうしてそれが「チクッと」した痛みだってわかったの? あんまり公爵家をなめない方がいいわよ。主治医のコペトンさんから、セシル様のお体に子供が遊びで傷ついたとするには不可解な傷が何か所かあるって報告があったのよ。二の腕とか背中とか眠っていれば刺しやすいわよね。傷痕から推測するに、凶器はナイフとかの類ではなく女性が使うようなヘアピンとか裁縫針とか……」
「……っぐ……」
「先日の持ち物検査は、それについても実は調べていたの。コペトンさんからセシル様の傷から推測される凶器の形状はどんなものかは報告を受けていたしね」
アンジュがそう語っているうちに、家令のヴォルターとそれを補佐する侍従、主治医のコペトン、さらにセシルなどが、ハイチェストやカーテンの陰から続々と出てきた。
「それにしても九歳のセシルにこんな真似をして、陰険にもほどがあるぜ」
侍女リンヴィの腕をつかんでいたリアムが理解しがたいという表情でつぶやいた。
「なんにせよ、現行犯です。警察にすぐさま連絡を」
ヴォルターがそばにいた侍従に命じ、侍従は部屋の外へ駆け出して行く。
「リンヴィさん、あなたはずいぶん下の立場の侍女たちにも影響力をお持ちだったようですが、まさか、彼女たちに同じようなことを強要していたのではないでしょうね?」
ヴォルターはさらに厳しくリンヴィに問いかける。
「セシル様の記憶に基づいた証言だと、確かにリンヴィ以外にも加害行為を行っていた者がいた可能性はあります」
アンジュが記憶を探りながら言及した。
「どうして……?」
その様子を見ながらセシルが悲しそうに疑問を呈した。
「起き抜けにひどい痛みを感じることがあったわ。でも、誰に聞いても『気のせいだ』って言うし、それで表情を崩せば『セシル様は寝起きが悪い』といって、私の方がダメな言われ方をずっとしていた……」
「まるで虐めだな、吐き気がするぜ!」
「このお屋敷では侍女が仕えるべきご令嬢を傷つけていたのですか? 考えられない事態ですな」
セシルの悲痛な言葉を受けリアムと主治医のコペトンがそれぞれ意見を述べた。
「誰か、セシル様を別の部屋にお連れして、気持ちを落ち着ける温かい飲み物を差し上げて」
「マリアを呼びましょう。あとメイソンさんにもお願いしたほうがいいですね」
「私が連れていきましょう」
アンジュとヴォルターがセシルの様子をおもんばかり、これ以上リンヴィとやり取りを見せるべきではないと判断する。
それを受けてコペトンがセシルを部屋から連れ出した。
「リアム、あなたはマリアさんとメイソンさんを呼んでくれる」
アンジュはリアムには使い走りを頼んだ。
セシルの寝室にはアンジュと家令のヴォルター、そしてリンヴィが取り残された。
「先ほども言いましたが、この件は公爵令嬢傷害罪として扱い警察に介入してもらいます。それにしても理解に苦しみますな。公爵家の温情で傘下の貴族の子息を侍従や侍女として雇い入れていたというのに……」
リンヴィは無言のまま、アンジュやヴォルターから顔をそらした。
「まあ、良いでしょう。後は警察にいろいろ話を聞いてもらえばすむことですから」
ヴォルターは大きくため息をつき言った。
◇ ◇ ◇
後日ヴォルターは取り調べの結果を話すためアンジュを執務室に呼んだ。
リンヴィは警察の取り調べで、ほとんどの侍女に同じことを強要していたことをすぐに自白したらしい。
脅されてやっていた娘たちの処遇については、これまたヴォルターやアンジュにとって頭の痛い問題であった。
「いつまでもお嬢様気分で他の誰かを主人と仰ぎ仕えるということを本当に理解していなかったのでしょう。それで自分より良い服を着て恵まれた将来を約束されたセシルお嬢様が憎たらしかった。しかも、セシルお嬢様の周囲ではそんな醜行をとがめる人もいなかったからやりたい放題だったというわけです」
「それにしても、ずいぶん性根の歪んだ連中が上に立って影響力を持っていたものですね。申し訳ないことながら、私は別の業務があってその辺あまり感づいてはいなかったのですが……」
「侍女や侍従にしても、メイドにしても、わが公爵家で働けるというだけで世間では憧れの目で見られるらしいのです。実際、公爵家にいれば他の貴族の目に留まることも多くあり、そこから縁談が舞い込む娘も多くいます。気立てや器量のいい者はそれで辞めていくことも多いですから、結局ああいうのが長くいて獅子身中の虫となってしまったのでしょうな」
「だったら、仕事に打ち込んでセシル様の信頼を勝ち得るようにすればよかったのに……」
「ええ、幼い娘や息子のためにそういう人間を一緒に育てて腹心とするのが、高位貴族の親のやり方です。でも、旦那様の場合、そういうこともめんどうがっていましたから……」
「あーあ……」
「アンジュさんを王家に嫁ぐ際の腹心として育てようとしたことは良かったのかもしれません。でも、あの連中が発言力を持ったまま放置していたのでは、セシル様の周囲の環境は劣悪なままですからね。おそらく前の時間軸ではそうだったのでしょう」
「じゃあ、今は獅子身中の虫を排除できただけでもよかったと?」
「そうですね。ところで、あの侍女たちをやめさせた穴埋めにやはり何名か新たに雇わねばなりません。私としては今度は傘下の貴族からではなく、家政学園に成績優秀なものを紹介してもらった方がいいと思うのです。それから一人だけギルドからも少々特殊な任務で侍女をやってもらうことを考えているのですが?」
「特殊な任務、それはいったい?」
アンジュはヴォルターの提案に耳を傾けるのだった。
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