第8話 邸内の混乱とセシルの孤独

 メイド長のメイソンは屋敷の一番大きな応接室で、数名が座れるテーブルと椅子のセットをいくつも用意している途中だった。


「すいません、メイソンさん。ちょっとよろしいですか?」


 部下のメイドたちに指示するメイソンにアンジュは声をかけた。


 テーブルセッティングをしているメイドの娘たちを見たが、さっきのメイドはいないみたいだ。

 別のところで仕事しているのだろうか。


「なんですか、アンジュさん」


「あの、メイドたちの仕事の振り分け表ってどこにあります?」


「えっ、今必要なんですか?」


「ええ、場所さえ教えていただければ私が探します」


「はい、何に使うか知りませんが、振り分け表ならメイドの控室に貼っています」


「数か月前のは?」


「それだったら引き出しのファイルにありますが……?」


「ありがとうございます。あと一つ、セシル様に食事を運ぶメイドはどうやって決めるんですか?」


「お嬢様のところに食事を運ぶ係は、若い娘たちにやらせてますね。デローテさんがお嬢様と年の近い娘たちがいいっていうものでね。それがどうしたのですか?」


「ありがとうございます。わかったことがあれば後でメイソンさんにも知らせます。今はお葬式を無事に終えなきゃなりませんものね、失礼します」


 アンジュの質問の意味が理解できず、メイソンはぽかんとしていたが、すぐに気を取り直して弔問客を迎えるための作業をつづけた。


 アンジュはメイドの控室に入った。

 朝の九時にその日の仕事の打ち合わせをし、彼女たちの休憩室も兼ねている部屋だ。


 今は弔問客を迎える準備で忙しく、ここで休憩しているメイドは一人もいない。


 アンジュは壁に貼ってある仕事の振り分け表と、部屋に一つある引き出しのある机の中にしまってる数か月前の振り分け表を、同じく『複写』して部屋を出て行った。


 確認するのは今夜仕事が終わってからでいいかな、と、思い、セシルの部屋へ戻ろうとした矢先、屋敷内が騒然となるのを見た。


 警察隊が数台の馬車でやってきたのだ。


 玄関先で執事が応対して後、彼らは屋敷に入りある部屋を目指した。


「いません」

「荷物がないので逃亡したのかも」


 彼らは家令のカニングの部屋を調べ言った。


「朝方には屋敷にいたというのだから、そう遠くには行っていまい。王都を封鎖して何としても捕えろ!」


 一行の長と見受けられる男が命じた。


「それにしても、今朝公爵閣下からの告発状が届いた矢先にお亡くなりになっていたとは。まさか奴に……」


「いえ、確かに急ではありましたが、主治医からも心臓発作と診断されております」


 執事のヴォルターが説明をした。


「そうでしたか、大変な時に申し訳ありません。では」


 目的のカニングがいなかったので警察一行は屋敷を後にした、


「いったい何なのですか、ヴォルターさん?」


 メイド長のメイソンが作業を止めて状況を確認しに来た。


 警察一行がかえった後も屋敷内はざわざわと動揺したままだった。


「皆さん、落ち着いてください。旦那様が残された手紙にはカニング氏が実は公爵家の金を横領していたことが判明し、昨夜告発状を警察に送ったことが書かれてありました。カニング氏は先ほど旦那様の手紙を見て顔色を変えていましたが、おそらく逃亡したと思われます。彼のことは警察にまかせて、今は旦那様の葬儀を滞りなく行われるように尽力してください」


 ヴォルターの言葉で邸内の使用人たちは再び仕事に戻った。


 アンジュはセシルの部屋に戻り、警察が来たことをセシルたちにも説明した。


「そろそろ喪服に着替えましょう。リアム、あなたも着替えてらっしゃい」


 リアムが出ていくと、ケイティとともにアンジュはセシルの着替えを手伝った。

 セシルはまだ子供なので、弔問客に一通り挨拶をしたら部屋に戻ることを許され、あと侍女長のデローテや執事のヴォルターが応対をしていった。


 ケイティは別の仕事に呼ばれ、部屋にはアンジュとセシルの二人きりとなった。


「ねえ、アンジュ。私って冷たいのかな? お父様が亡くなったと言われてもピンとこないし悲しくもないの」


 アンジュはセシルの言葉に痛ましいものを感じた。


 セシルの父、マールベロー公爵は温かい父親とはとても言えなかった。

 母である公爵夫人はセシルを出産後、健康状態が悪化し、セシルが三歳の時に帰らぬ人となった。


「私のせいでお母様が死んだから、お父さまは私を憎んでらっしゃるって……」


「誰がそんなことを?」


「デローテさん。だからあなたは何事も淑女として完璧にして、これ以上お父様を失望させてはなりませんって」


 アンジュは絶句した。


 子供に言うことか!


 侍女長デローテの底意地の悪い物言いに対し嫌悪にもちかい怒りを感じた。


「私のことを嫌いだったお父様が死んだって聞いても何も感じないの。普通、親が死んだらとても悲しいものなんでしょう。私もそうならなきゃと思ってもどうしてもそう思えないの」


「悲しいというのは自然にわいてくる感情で、そう思えないのなら無理に思わなくてもいいし、それを悪いことだと思わなくてもいいですよ」


「でも……」


「旦那様と接する機会がほとんどなかったですからね。だから今まであまり接したことのなかった人が、永久に接することが亡くなったという感じなんでしょうね」


「そう、そうなのよ!」


「セシル様にだっていなくなったら悲しい存在がいるでしょう。たとえば、そうね……」


「アンジュがいなくなったら悲しいよ、あと、リアムとか、他にも……」


「ふふ、ありがとうございます。だったら、別にセシル様は冷たい人じゃないですよ」


 アンジュはいつもそうだ。

 自分にうれしい言葉をくれる。


 デローテはいつも自分を緊張させる。

 父親にすら迷惑がられている存在なのだからこのままではいけないのだ、と、思わせるが、アンジュはそんな自分の心を解きほぐしてくれる。


 並んで座って微笑むアンジュにセシルは腕を絡ませ抱き着いた。

 

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