第35話:サーカス作戦群②
本島への定期便は定刻通りに出発し、定刻通りに到着した。
アメリアは一等船室に案内されたが、道中の居心地はよくなかった。船窓越しに、通路を行き交うくたびれた帰還兵たちが目に入ったからだ。デッキにも、同じような者が大勢いた。
彼らはタバコを吸うか、気のない談笑で時間を潰すか、あるいは夏の陽にきらめく波をぼんやりと眺めていた。故郷へ帰る喜びをみなぎらせた者は、誰もいなかった。
泊地で、護衛の駆逐艦がさよならを言うように汽笛を鳴らした。
連合王国本島は南部、サーカス地方沿岸。港町アデレストルにアメリアは降り立った。
古王国語で「貴人の地」と名付けられたこの地の丘には、古式ゆかしい沿岸城塞がそびえたっていた。現在は国軍旗がはためいている通り、駐屯地としての役割を果たしている。訓練中、アメリアが宿泊するのはそこになる。
ソロモンス中佐から迎えが来ると伝え聞いていたので、少し首を回したら、すぐに見つかった。
「……あれだよね、どう考えても」
アメリアは若干の気後れを感じつつ、向かっていく。
ブラウスにハーフパンツの夏用軍服を着た、若い女性が二人。彼女らは波止場にジープを着けていた。それだけでも目立つというのに、その容貌がこれまた周囲から浮いていた。
先にアメリアに気付いたのは、運転席に座っていた小柄な女性。掘りの浅い幼げな顔立ちで、黒髪を肩口でぱっつんと切り揃えていた。
彼女はわざわざ車から降りて、アメリアにメリハリの効いた敬礼をした。
「お待ちしておりました。時計の魔女、ウルカ・ナナヤ中尉相当官であります」
「えっ、えっと、鉄条網の魔女、アメリア・カーティス……少尉、相当官です」
相手の階級が上なのに、先に敬礼されてしまった。何なの、急いでるのか。
するとウルカは懐から懐中時計を取り出して、急かすようにガラス面を小突いて見せた。
「急いで車に乗ってください。予定が押しています」
「え? でも、待ち合わせの時間より早く到着しましたけど……」
「駐屯地であるワームヴィル城までの最適なルートはこの時間帯にロイヤルグレース・ドックから昼休憩のために町へ繰り出す労働者たちの流動によって混雑状態となる可能性が高いため、あと7分以内に北区エドワード・ロック6番通りを通過している必要があります。よって急いで車に乗ってください」
「あ、はい」
突然の言葉の奔流に面食らったが、ウルカが
後部座席に座ると、もう1人の女性が助手席からニヤけ顔を覗かせた。彼女は輝くような白い歯が良く映える、深い黒髪と褐色の肌をしていた。
ウルカも本島在来の民族とは異なるルーツを感じさせるが、こちらも明らかに異人だった。
「剣の魔女、ラニ・イングラム。ちょいと複雑な家系の生まれだけど、正真正銘、連合王国人よ。気軽にラニちゃんって呼んでナ」
「はい、ラニ……さん」
「ウルカの奴、ちょっと変わった子だと思ったでしょ? 一緒に生活してると分かるけどマジで頭おかしいからナ。アメっちも真面目そうだけど、こいつは常軌を逸してるから」
「は、はは……アメっち?」
「あぁ、キミが入営するって知ってから徹夜で考えてたの! 可愛いよナ?」
「は、はは……」
素直に同意しがたい話を振られたアメリアは適当な相槌を打った。それの何が面白いのか、ラニはうひゃひゃと豪快に笑いだす。
一方ウルカはというと、猛然と出発前の安全確認をしていた。「右よし左よし右よし後方よし前方よし! バックミラーよし! エンジン回転良好! 窓の汚れなし!」と早口で指差し確認をし、勢いよく警笛を鳴らした。
「安全確認完了! 出発進行であります!」
なお、ウルカはこの言動からして車をぶっ飛ばすタイプなのではないかと思われたが、極めて安全運転だった。肩透かしを食らったアメリアの呆け面に、ラニはまた爆笑した。
しばらく走っていると、街路のいたるところに兵士が立っているのが目についた。検問というほどの警戒度ではないにしろ、いくらか緊張感がある。
兵士たちを追うアメリアの視線に気付いたラニが、軽く肩を小突いてから口を開いた。
「テロ対策。リパブリック・デイが近いから、予行演習も兼ねてサ」
「テロ、って……どこの勢力を想定してるんです?」
「ロードランド共和軍だよ。もうサーカスの諜報部が動向を掴んでる」
アメリアはしばらくその言葉の意味を噛み砕けず、ぼんやりとラニの顔を見返していた。
ロードランド。
連合王国の最初の植民地で、未だに主権を巡り根深い対立がある。ロードランド共和軍なる独立派テロ組織が存在することも、学校で習う。
けれどこのご時世、そうした諍いは帝国との戦争のもとに棚上げされてきた。はっきり言って、「そんな暇はない」からだ。むしろ、かの島の民族主義者たちはこぞって国の戦時体制への協賛を呼びかけるようになった。
早い話、戦争は諸民族の地位を平等に
アメリアだって、戦場ではロードランド出身の兵士を数多く見てきた。彼らはのびのびと故郷の風土を語るが、戦争前は差別の憂き目にあった者たちばかりだった。
「戦争中に、テロなんて……バカみたい」
あの兵士たちが泥沼で戦ってる時に。彼らがどんな思いで生きて、死んでいるか、知っているのだろうか。
なんとなく息が詰まるようで、アメリアは頬杖を突いた。
「アメリア・カーティス。いかにも金髪碧眼の純血美少女って感じの名前だよナ」
険のある言い方に、思わずラニの方を振り返る。
ラニは相変わらずニヤニヤと笑っていたが、その目付きはひどく冷めていた。
「気を付けなよ。キミ、戦争以外で雑に扱われたことないだろ」
テロリストに肩入れするようなラニの語調。だがアメリアはバツが悪くなって、それ以上何も言えなかった。
ウルカの運転するジープはつつがなく市街地を抜け、青々とした丘陵を登っていく。
ほどなくして、一行はワームヴィル城の門をくぐった。
荷運びを専属の兵に任せ、3人の魔女は城の最奥にあるカーライル少佐の執務室へ足を運んだ。
領主の応接間をそのまま居抜きしたような、舶来の調度品が並ぶ部屋で彼は待っていた。
30代前半くらいの、端正な顔立ちの男だった。怜悧な表情に、どことなくケイリーに似た雰囲気がある。
「アメリア・カーティス少尉相当官、現着しました」
「ご苦労、アメリア君。楽にしてくれ」
カーライル少佐――クリフは、アメリアの渾身の敬礼に対し、鷹揚に手を振った。書類仕事の真っ只中で、アメリアには一瞥もくれずに会話を続ける気のようだ。
「魔女戦隊サーカス作戦群司令、クリフォード・カーライルだ。部隊員は『C』と呼ぶが、君は妹の友人だしな……クリフとでも呼んでくれ」
「わ、分かりました。ミスタークリフ」
妹の友人だから愛称で、などとのたまうような軍人には思えなかったため、アメリアは若干うろたえた。それを察したのか、ラニが耳打ちした。
「人間アピールよ。こいつえげつない冷血漢だから信じるナ」
「……」
またも返答に困ったので黙っていると、クリフが書類に目を落としたまま咳払いした。
「ラニ君、あまり人聞きの悪いことを言わないでくれ」
「へへ、他所の可愛い子が『C』に色目使うんじゃないかと思ってサぁ、ウチと旦那の仲じゃないスか」
「ラニ君、虚偽の発言で人間関係に亀裂を入れようとするのはやめなさい」
まったく悪いびれないラニに、クリフはため息一つで済ませた。
「まぁ、アメリア君。見ての通り、こちらの魔女は少々人間性に難がある。だが任務に支障はないから安心したまえ」
「ひっど! ウルちもなんか言ってやりなよ!」
ウルちことウルカは話を振られたが、直立不動で背筋を正したままピクリともしない。おそらくこの場ではクリフに許可されない限り一言もしゃべらないつもりだ。というか上官の前であれこれ口を挟むラニの方が常軌を逸しているのだが。
クリフは作業の手を止め、ついさっきまでチェックしていた紙束をアメリアの方に寄越した。
「明日から一週間にわたる訓練課程の詳細は資料にまとめておいた。待機時間に目を通しなさい。それと、本日一八〇〇から二〇〇〇までの時間で君の歓迎パーティを実施する。開始前に本館3階の大ホールに出頭しなさい。私服でいい。連絡事項は以上だ」
アメリアはその資料の分厚さに驚いた。全日程における分刻みのスケジュール、取り扱う武装および戦術の操典、諜報部が追っている敵性人物のプロファイル、要人警護における作法、パレードで巡る各都市の簡単な文化風俗まで取りまとめてある。ご丁寧にすべてのページの作成者欄にクリフの名が記されている。
つまり、今日中にこれを覚えろ、とクリフは言っているのだ。
「了解しました」
「では解散。これからよろしく頼むよ、鉄条網の魔女」
部屋にいる間、ついぞ一度もクリフはデスクから目を離さなかった。
その後、ウルカが城内の案内に付き添ってくれることになった。ラニはキルハウスの調整があると言って廊下を駆けて行った。
小さい歩幅でちゃかちゃか歩くウルカの背に小動物めいた愛らしさを感じつつ、アメリアは彼女の後を付いて行く。人を要する設備はほとんどが1階に集中しており、宿舎のある棟は閑散としていた。
アメリアに割り当てられた部屋に到着し、二人であらかた荷物を置くと、ウルカは久方ぶりに口を開いた。
「アメリアどの」
「は、はい。なんですか? ウルカさん」
「サンダーソン上等兵は何と言っていましたか?」
「え?」
ウルカの背が低いため、アメリアは見下ろす格好になる。一見して彼女は実年齢より幼く見え、あどけない印象を受ける。
しかし彼女の佇まいには、言い知れぬ凄みがあった。
緩く後ろ手を組み、半ば背を向けて首だけでアメリアを見やっている。拳銃の入ったホルスターは留め金がされている。光源である窓に対し逆光の位置に立っている。一見して、アメリアは彼女より優位にある。隙だらけだ。
それなのに。
何か一つ回答を間違えれば、彼女はただの一瞬でアメリアを制圧してのける。そんな気がした。
「ごまかさなくていいですよ。サンダーソン上等兵に本件の情報を渡したのは小官です。彼は元同僚で、ずっとあなたのことを気にかけていましたから、個人的に友誼を計りました」
確かにサンダーソンも、サーカス作戦群は古巣だと言っていた。だが、だからといって機密情報をやすやすと管轄外の兵卒に流すものだろうか。
ウルカと出会ってからほんの短い時間しか経っていないが、彼女がただ規律に緩いからという理由でそんな真似をするようには思えない。
喉から不快な緊張感がせり上がってくる。
何を考えているのだ、この子は。
「で、彼は何と言っていましたか?」
ウルカの真っ黒な瞳が、淡々とアメリアを見透かしている。
アメリアはその場から逃げ出したくてたまらなくなった。
逃げたい。
逃げられない。
「サンダーソン上等兵は、私の、味方だと」
「それだけですか?」
「……はい」
すぅ、とウルカの目元が細まった。
「脱走を教唆されませんでしたか?」
「そ、そんなこと彼が言うわけないでしょう! 一体何を疑っているんですか!」
反射で否定したが、脳裏に出立前のサンダーソンの様子がよぎった。
――君がそいつらに利用されるってんなら、
あの言葉の続き、何だったのだろう。とっさに遮ってしまった会話の最後に、サンダーソンは間違いなく何かを伝えようとしていた。曖昧な表現の多い会話だったが、あそこで肝要の主張をしようとしていた気がする。
長い、沈黙。
ウルカの視線が、冷めたような
ラニも似たような目付きをしていた。もしかすると、クリフも顔を上げれば似たような面持ちをしていたかもしれない。
彼らには、ジャバルタリクでアメリアが肩を並べる仲間たちとは一線を画す薄暗さがあった。それは特段隠し立てするようなものではなく、日々そうした陰と対峙するがゆえに染み付いた
ウルカやサーカス作戦群が、かねてよりサンダーソンの何を疑ってきたのか、アメリアには分からない。ただ、本島で「戦う」ということは、敵ではなく味方に銃口を向けるということだ。
彼らはそういう世界観で生きている。
幾度、呼吸を繰り返しただろうか。
ウルカはわずかに表情を緩めた。それから、生真面目そうにアメリアへ頭を下げた。
「つかぬことをお聞きしました。仕事柄、猜疑心が芽生えてしまうものでありますから……」
「い、いえ。別にそんな」
「ところで、船旅でお疲れではありませんか? 大浴場がありますので、湯浴みをなさってはどうでしょう。ワームヴィル城の名物なのであります!」
先ほどの威圧感は鳴りを潜め、アメリアをせかせか部屋から連れ出そうとする。その変わりようにアメリアは困惑したものの、ひとまず緊張を解いた。
出立前のサンダーソンの様子は気掛かりだったが、今は脇に置くとしよう。素人が内偵専門の部隊を嗅ぎまわろうとしても藪蛇をつつくだけだ。
ただ、彼の忠言通り、相応の覚悟を問われる予感はしていた。
*
[…脱走を教唆されませんでしたか?…]
[…そ、そんなこと彼が言うわけないでしょう!…]
そこまで聞いて、クリフは内線の受話器を置いた。
デスクの横で暇そうに控えていたラニに、ぼやくように言う。
「この盗聴器、集音性能には改善の余地がありそうだな」
「はいはい技術部に伝えときますヨ。それよか、アメっちの反応的にどうです? 嘘吐いてる?」
「シロだ。リチャード君にそこまでの度胸はなかったようだ」
口ぶりと裏腹に満足げなクリフ。対してラニは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
アメリアの部屋に盗聴器を仕掛けたのは彼女だった。
「リチャード・サンダーソン……たかがジャバルタリクとの連絡役じゃないスか。信頼できないなら始末すりゃいいのに、野郎同士でこんな迂遠な試し行為してキモいですヨ」
「手厳しいな。大規模な作戦の前に、思想調査は付き物だろう。リチャード君の潔白は証明されたし、これでジャバルタリクにいるソロモンス中佐たちとの連絡に憂いはなくなった」
クリフは
サーカス作戦群が各地へ放った内偵たちにも、当然ながらあの手この手で思想を確かめる手が取られた。サーカス出身で現在はジャバルタリク戦線に従軍しているサンダーソンも、そのうちのひとりだった。
「愛や忠誠で戦う人間は容易く裏切るが、仕事の果てに使命を臨む者は違う。我々の戦いには、そうした仲間が必要だ」
「旦那に愛も忠誠も捧げてるウチは、信用ならないってことかナ?」
ラニは相変わらずデスクに俯いたままのクリフに顔を近づけた。誘うように髪を揺らす彼女を、クリフは相手にしないが咎めもしない。
「ラニ君の仕事は信頼している。それと、香水は服務規程違反だぞ」
「……サーセン」
まさに不機嫌ですよといった風に軍靴を叩き鳴らし、ラニは執務室を後にした。
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