第29話:清廉なるカヴン①
アメリアはリタを最高の親友だと思っている。
けれど、それは戦場における最高の相棒であることを意味しない。
「リタ! 腕! 降ろして! 前見えない!」
「あー!? 聞こえない!」
ガラティエ降下作戦も大詰めだ。新型艦『メルセルケビル』が発進準備を整えるまでの時間を稼ぐべく、アメリアとリタは空から襲来した翼竜を迎え撃っていた。
「
「ごめん!」
機動力と火力を補い合うため、アメリアの鉄蜘蛛にリタを載せて戦うという名案を実行したは良いものの。
鉄蜘蛛が塵煙を切って倒壊したアパルトマンの窓を抜け、飛び出た翼竜の
アメリアは当初、翼竜の注意を引くことに集中しようと考えた。高機動で攪乱して隙を探し、パンツァーファウストとリタの魔法で手痛い一撃を与えるのだ。今ここで確実に仕留める必要はない。
しかし、現実は難しかった。
「きゃん!」
「リタ、今度は何!?」
妙に色っぽい悲鳴に辟易しつつ、怒鳴り返す。
「バカ! そこはケツとケツの間!」
「お尻はひとつしか――熱っつ!」
鉄蜘蛛は相乗りできるようには組んでいない。なるべく有刺鉄線でリタの身体を傷つけないよう抱きかかえているのだが、体勢的に限度がある。それに、リタは銃弾を2発も喰らった負傷者だ。本来なら絶対安静である。
そして、エスターライヒで遭遇した個体と同じく、翼竜は炎のブレスを吐いてきた。
「アメリア、ちょっと後退しよう! 火に巻かれる!」
リタの悔しそうな叫びに同調し、アメリアは鉄蜘蛛を下がらせた。一帯が赤熱する残り火と、火災から発生した有毒ガスの煙で赤黒くゆらめている。
威力こそ過去に遭遇した個体ほどではないが、跳ね回りながらやたらと炎を撒き散らされるのは相応に厄介だ。リタの魔法にしてもパンツァーファウストにしてもなるべく距離を詰めたいのに、これでは狙いを定められない。
一旦、背の高い市民浴場の煙突に降り立つ。翼竜は癇癪を起こしたように周囲のビルに爪を立て、無理に這い上がろうとしている。生来の気性によるものか、凶暴性がもたらすあの機動力は驚嘆に値する。これで時間を稼げたと思うには早い。
「リタ、もっと遠くから狙い撃てない? それか、でっかい炎の中に閉じ込めて空気……酸素? を奪うとか」
リタは首を振った。豊かな赤毛がアメリアの頬をべしっと叩く。彼女のライターの先に、刀身状の青白い炎が練り上げられる。
「無理、出力落ちてんだって。懐に潜って一撃しかないよ」
リタの談では、炎の
「けど、あいつをドックから引き離すのには成功してる。これ以上のリスクは……」
アメリアはそこまで言って、眼下を見渡した。
「アメリア?」
火災煙の黒いベールの向こう、ドック周辺でも銃撃戦が続いている。ゲクラン将軍の担いできた艦載機銃が強固に陣地を守っているようだ。しかし、それにして妙に、包囲の圧が弱いような。
「……違う! 私たちが引き離されてたんだ!」
視界の下の方で黒いものが蠢いた。
煙突を虫のように駆け上がってくる、黒衣痩身の怪人たち。機関拳銃の弾幕が、鉄蜘蛛の装甲板を叩き鳴らす。
「ああくそっ、ナハツェーラー共!」
リタが灼刃を振るって追い散らすが、彼らは人外じみた跳躍力で身を躱す。
「退くよリタ! 目くらましお願い!」
「了解!」
組み付かれたら不味い。鉄蜘蛛を急発進させ、港の方向へ全速力で走らせる。リタが小規模な炎の波を撒き、追い縋るナハツェーラーを牽制する。
アメリアは立体的な機動で振り切るか、それとも遮蔽の少ない直線道路を通るべきかと逡巡した。
「アメリア上、上!」
視界が暗くなった。陽光が巨大な影に遮られる。「口閉じて!」とリタに怒鳴り返して右へ急制動。相棒の身体をきつく抱きしめながら、傾いたビルの外壁を蹴って空中に舞う。
さっきまでアメリアたちが居た場所に、翼竜が轟音を立てて着地した。そしてそのまま炎のブレスが辺りを赤く染める。巻き込まれたナハツェーラーのひとりが、火に巻かれて地面に転げ落ちた。
「はっ、ざまあ!」
リタが空いた手で中指を突き上げ、更に爆槍を発動して降り注ぐ瓦礫を吹き飛ばした。
ナハツェーラーの布陣から、魔女狩り部隊が魔女戦隊を孤立させようとしているのは理解できた。あとは空中のケイリーにどう伝えるかだが。
横合いからの射撃が、鉄蜘蛛を猛追する竜の側頭を叩いた。対戦車ライフルの20ミリ弾頭によって打ち据えられた翼竜は、わずかに反対方向へよろめく。巨大な口腔から、己の炎で焼けただれた舌がだらりと垂れた。
敵の様子に隙を見たケイリーが高度を落とし、アメリアたちに合流する。
「待たせたな」
「飛行船は片付けたの!?」
ケイリーの指差す方に目を向ければ、飛行船はエンジンから煙を垂れ流しながら戦域を離れていく。推力を失ってしまえば、空に浮かぶ要塞といえどもただの風船と相違ない。流石は魔女戦隊のエース、仕事が早い。
「で、この翼竜はどうする。リタ、仕留められるか」
並走しつつ、ケイリーが訊いた。彼女も上空から大物の暴れっぷりを見ていたようだ。対戦車ライフルでも表皮を削るのが精一杯となると、頼みの綱はリタの火力しかない。
「ケイリー、あんたがクソトカゲ抑えててよ。その隙に焼き切ってやるから」
「無理だ。あの周辺温度では肺が焼ける」
きっぱり。腕力的な問題ではないのか……との疑問は置いておく。ケイリーが無理なら、この場で翼竜を抑え込む手段は存在しない。
「あっそ。とにかく、あの暴れっぷりはなんなんだろ。アメリアが戦ったヤツはもっと狡賢かったんだっけ?」
「うん……」
ぼやき半分のリタに生返事し、アメリアは必死に鉄蜘蛛の脚を動かす。
そうだ。エスターライヒで戦った個体はここまで動物的な暴れ方はしていない。
「もしかして、バカなんじゃ……」
「あん?」
「リタのことじゃなくて。この翼竜はあんまり賢くないのかも」
翼と体躯を考慮せずに無理やりビルをよじ登ろうとしたり、自分の舌が焼けただれるほどブレスを吐いたり、どうもあの翼竜には知能が不自然に足りていないようだ。また、体長自体はエスターライヒのものとほぼ同じなのに、頭は対戦車ライフルの衝撃で揺れるほどに小さい。空を飛ばせるために色々と犠牲にしたのであろう事情が見て取れた。
ならば、やりようはある。
「ケイリー、サンダーソン上等兵を拾って! 『メルセルケビル』と合流するよ!」
「翼竜をのさばらせておくのは推奨しないが」
ケイリーの懸念は分かる。魔女3人で大物を抑えておくはずが、当初の目的を放棄して合流しようとしているのだから。
アメリアは力強く頷いた。
「考えがあるの!」
上手くいくかはともかく、算段は決まった。翼竜の動きを止めつつ、炎のブレスにも対策し、そして確実に仕留められる大火力をぶち込むための道筋がアメリアの頭の中で組み上がった。
ケイリーに上空からサンダーソンの位置を確認してもらったところ、孤立した敵と銃撃戦をしていることが判明した。
「はっきりとは見えないが、おそらくイングリット・グリムだ」
リタが大きく舌打ちした。こころなしか、敵を牽制する火力が強くなった気がする。
「あのイカれ女……」
急激にリタの声が低くなった。
道を回り込んでいたナハツェーラーの刃が迫る。リタの灼刃が一閃し、黒衣の怪人を上半身ごと塵にした。
「リタ?」
「まぁいいや。ケイリー、上から奇襲して。あたしたちはショートカットする」
続けざまに爆槍が突き当りの建物を撃ち抜いた。
「もしかして直線コースで行くつもり!?」
アメリアの問いに、リタは狂暴な笑みを返す。
「急いで、アメリア!」
翼竜とナハツェーラーが、相変わらず猛追してくる。アメリアは意を決し、軋みを上げる建物の中へと鉄蜘蛛を滑り込ませた。
突入した一帯は新しい高級住宅街のようだが、どんな建物であれ数十トンはありそうな翼竜に体当たりされて平気なようにはできていない。背後のとんでもない破砕音に背を縮めながら、降り注ぐ柱やシャンデリアを避けて進む。
「まっすぐ!?」
「ったりまえよ!」
爆槍が道を拓くたび、壁やら植え込みやら石垣やらが砕け散る。細かい礫はアメリアが装甲板を盾にして守る。豪勢なプールが行く手を阻んだが、鉄条網の四肢をおおきくたわませて20メートル級の大ジャンプで乗り越える。
背後の翼竜が暴風のような呼気を発した。
「アメリア、ブレス来るよ!」
「じゃあもっと突き放す!」
あの翼竜はブレスを吐くとき、動きを止める。その点はエスターライヒの個体と一緒だ。ならば射程外まで逃げたらいい。
美術館みたいな近代建築の画廊を駆け抜ける。ここでは炎をやり過ごせない。
小川に掛かった橋をひとっ跳びで越える。水に飛び込めば比較的安全だけど、時間が惜しい。
高級アパルトマンに突き当たる。エントランスのガラスを盛大に割って侵入し、目の前の壁をリタが爆破してダイナミック入居。続けて3部屋爆破してワンフロアに改装。果敢にも女子のお部屋に踏み込んできた
「間に合う!?」
リタの問いに自信を持って吼える。
「間に合わせる!」
アパルトマンを一棟丸ごと走り抜け、港へ通じる大通りに躍り出た。すかさず脇へ鉄蜘蛛を寄せる。
直後、アメリアたちが突き破った壁の穴から炎のブレスが噴出した。高層階に至るまで窓から炎が溢れ出て、割れたガラスが熱と陽光にきらめきながら地上へと降り注ぐ。
「リタ! アメリアちゃん!」
後ろからサンダーソンの驚愕の声。前方には瓦礫を掩蔽にして、見たことのない銃を構える帝国軍の女兵士――イングリット。リタを撃った狙撃手。アメリアはここで初めて彼女と対峙した。
「気を付けろ、機関銃だ!」
サンダーソンが叫ぶが早いか、アメリアは装甲板を傾けて防護姿勢を取る。携行火器とは思えない弾幕が、鉄蜘蛛の躯体を激しく打ち鳴らした。衝撃は軽い、使用しているのはおそらく拳銃弾。
「リタ!」
「ああよ!」
呼応したリタがライターを振りかざし、前方を爆破する。しかし、発動直前に軌道上に放り込まれた円筒状の物体が、激しい焼夷反応と煙を撒き散らして視界を遮った。
「クソッ、白リン弾!」
リタが忌々しげに吐き捨てる。それを聞いたアメリアは慌てて鉄蜘蛛に後退のステップを踏ませた。装甲の隙間から飛沫がかかれば、酷いやけどを負う。
白煙に遮られた視界の中、黒い人影がいくつも揺らぐ。追いついてきたナハツェーラーの制圧射撃が、四方から鉄蜘蛛を叩く。イングリットを見失った。
「アメリアちゃん、後ろだ!」
サンダーソンが鉄蜘蛛の背後に取り付こうとした怪人のひとりを射殺。続けて「10時、1時、4時の方角!」指示を飛ばす。リタが即応し、炎波を撒いて3人ほど焼いた。
「イングリットは!?」
「分からん!」
アメリアとリタは煤混じりの顔を突き合わせた。奴を野放しにしておくのはまずいのに、見失ってしまった。
「建物を背に固まって。まずは煙を抜けよう」
3人で倒壊した商業ビルの瓦礫に背を着ける。
鉄蜘蛛の上部付近に、軽い衝撃があった。
装甲板の隙間から覗き見る。
冷ややかなな双眸が、アメリアを突き刺していた。彼女の短機関銃が、ごく機械的に狙いを定めようとしている。
イングリット・グリムは、煙幕で視界を制限すると同時に倒壊したビルを駆け登っていた。そして、ナハツェーラー部隊との格闘を避けたアメリアたちが壁際に固まるのを待ち、飛び移った。
詰まされた。
アメリアは一瞬のうちに、そう感じた。
魔女狩り部隊は容赦なく味方を使い潰す。エスターライヒからの撤退戦においても、彼らは犠牲を積み重ねて魔女たちの喉首に迫った。冷酷無比な戦術眼の前には、アメリアの付け焼刃な立ち回りなど児戯に等しい。
だが、今回の魔女戦隊はもう一手ほど先に打っている。
「ケイリー!」
銀色の弾丸となった竜の魔女が、上空からイングリットを襲撃した。鈍い衝突音と共に、2人の女が路面を跳ね転がる。衝撃でイングリットの短機関銃がガク引きされ、あちこちに弾を撒き散らす。十数メートルほど滑走して、ふたりは停止した。ケイリーが長大な対戦車ライフルを放り捨て、マウントポジションを取った。
「危ない!」
イングリットを守るように、コンバットナイフを携えたナハツェーラー部隊が襲い掛かる。
サンダーソンが一射で敵のひとりを撃ち抜いた。リタの灼刃が展張し、もうひとりを切り捨てる。続けて襲来したナハツェーラー2名、処理が追い付かない。翼に組み付かれ、ケイリーの上体が後ろへ押し倒された。
「Ergreift diese Hexe!」
隙を突いたイングリットが帝国語で命じ、短機関銃を構え直す。
「させない!」
アメリアは叫ぶと同時、跳躍した。
視界が怒りで赤く染まる。リタが撃たれた時の光景が重なる。
二度と仲間を撃たせはしない。
鉄蜘蛛の前腕で、ナハツェーラーたちの頸を絡め取る。今の躯体には四肢しかないのを忘れて体勢が崩れるのも構わず、憎たらしい怪人たちを両側の瓦礫に叩き付ける。装甲板を傾けてイングリットからの射撃を防ぐ。イングリットも叩き潰すため、返す刃で前脚を振る。こちらは躱された。
身体を起こしたケイリーが鉄蜘蛛の股下を潜って射線から抜けた。
「アメリアもういい!」
ケイリーの声がやけに遠い。ちゃんと逃げたのならよかった。
「アメリア! 止まって!」
懐に抱えたリタに、襟首を掴まれた。
「邪魔しないで! 今ならイングリットを殺せる!」
「バカ言うな! 前見ろ前ッ!」
地響き。
翼竜が住宅街を踏み鳴らし、大通りになだれ込んできた。熱気が押し寄せる。イングリットとナハツェーラー部隊は蜘蛛の子を散らすように散開した。
火炎に視界が遮られる刹那、イングリットとアメリアの視線が交錯した。
何を、笑ってる。
そんなに面白いか、戦争が。
「何を笑ってやがる、このバケモノ!」
アメリアは牙を剥き、人生で最も乱暴な言葉を吐き捨てた。
熱気に焦げた髪が舞い上がる。自己嫌悪が帝国の魔女への怒りに転じ、ぐつぐつとお腹の底で煮えたぎる。
「アメリア」
リタが、アメリアの頬にそっと触れた。
「落ち着けっての」
アメリアはそれでようやく、自分が「鉄則」を破ったことに気付いた。
この形態は、格闘に用いてはならない。意識が闘争に引きずり込まれる。
「ごめん」
我ながらまったく、油断も隙もない。翼竜を安全に仕留める策を先ほど考え付いたばかりだというのに、危うく丸焦げにされるところだった。
迫りくる翼竜のブレスに背を向け、もう間近なドックに向けて猛ダッシュ。ケイリーもサンダーソンを抱えて後に続く。
ドックから警笛が鳴り響いた。『メルセルケビル』が発進準備を整えた合図だ。
アメリアたちがドック前に集合したのを見て、機関砲を担いだゲクラン将軍が駆け寄ってきた。周囲は帝国兵の死体で溢れ返っていた。
「魔女っ子共、誰も欠けてねえな!? 若造、助けに行っといて何お姫様抱っこされてやがる!」
きまり悪そうにケイリーの腕から降りたサンダーソンが頭を掻く。
「う、うるせぇな……合流できたんだからいいだろ」
魔女3人は顔を見合わせた。ほぼほぼ、こっちがサンダーソンを助けた格好である。
「それよかアメリアちゃん、あのクソトカゲを始末しねえと艦が沈められるぞ。策があるんだって?」
アメリアは力強く頷いた。有刺鉄線を解いてコイル状に組み直す。
「まずは『メルセルケビル』を発進させましょう。帝国兵を撒きます」
一旦、全員がタラップを駆け上って『メルセルケビル』の甲板に乗る。沿岸に辿り着いた帝国兵は、レジスタンスの面々が艦載機銃で追い払った。
いくつもの策謀の中心点にあった帝国軍の新型艦は、静かに、そしてあっけなく白海へと漕ぎ出した。もう敵弾は届かない。あと10分と掛からずに湾を脱出できるだろう。
「よくぞ戻った、諸君」
マリーが尊大な口調で一行を出迎えた。彼女も発進準備を手伝っていたためか、汗だくだった。
「王国海軍にこの艦を奪取した旨は通達しておいた。で、ガラティエ脱出の最後の障害であるかの竜にはどう対処する?」
「説明するよ。マリーちゃんにも協力してほしい」
アメリアが進み出た。甲板にいる全員の注目を集め、話し始める。
翼竜のここまでの動きを察すると、飛行能力という最大の形質を上手く活かせているとは言い難い。最初の飛行は高度を取った飛行船からの滑空に限っていた。そして戦闘中は、目先のターゲットを歩行で追いかけ、仕留めるために脚を止めてブレスを吐いている。
「あの翼竜、バカな上に飛ぶのがヘタクソなんです」
ゲクラン将軍が双眼鏡を掲げて港の様子を確認すると、帝国兵が翼竜を大通りの端へと誘導していた。
「なるほどな。簡単には離陸できないから地上で暴れてたってわけか」
「はい。ですので帝国軍は今、翼竜を助走させて再離陸させようとしているものと思われます」
「白鳥みてえに、か。すると海上で失速したら二度と飛べなくなるな?」
ゲクランは流石は将軍と言っていいのかどうか、話が早くて助かる。
「はい。炎のブレスへの対策にもなります。ですがあの翼竜が泳げる場合、海に落とした後の迎撃が困難になります。だからポイントを指定して撃墜し、その場で息の根を止めます」
アメリアは湾のある一点を指差した。
マリーのゾンビたちが鹵獲した公国軍艦艇が、波に揺られていた。
「マリーちゃん、少しだけ、短時間でいいからゾンビをもう一度動かしてほしい。艦砲射撃なら、あの分厚い鱗も撃ち抜けるはず」
マリーは険しい顔をした。
「数十秒でいいなら可能じゃが……細かい照準の調整はしかねるぞ。それに、大人しく砲の射角内に竜が収まってくれる保証もない」
「誘導役は私とケイリーがやる。空中でパンツァーファウストを当てて落下させ、うまく艦艇の上に落下させる。それから私の鉄条網で翼竜を縛り付け、射角に縫い留める」
「無理筋じゃな。針の穴を通すようなものじゃ」
マリーはドッグタグをじゃらじゃら鳴らし、嘆くように首を落とした。
アメリアはケイリーへと向き直る。
「ケイリー、私を乗せたまま翼竜を狙った場所に撃ち落とせる?」
「できる」
ケイリーは即答した。そのままマリーへ「できるって」と言い返す。
「いやいや……お主ら正気か?」
「他に策があるならいくらでもやるよ。でもないなら次善の手を打つだけ。時間がない、動かせそうな艦を教えて」
マリーは口を半開きにしてゲクランと顔を見合わせたが、結局反論しなかった。
「こちらから見て、横隊の手前から2番目。装甲巡洋艦『シュヴァリエ』の前方甲板に墜とすのじゃ。1番、2番砲塔に装填しておく」
「ありがとう」
遠目に、翼竜の巨体が走り出していた。大通りを滑走路に湾へと飛び立つつもりだ。
アメリアはパンツァーファウストをケイリーに手渡した。彼女は手慣れたようにセイフティを外し、2本の大筒を両腕に抱えた。
「アメリア、有刺鉄線も私の身体に巻け。鱗で覆っているから傷はつかない」
「わかった」
先にアメリアがケイリーの首にぶら下がり、腰に有刺鉄線を巻き付ける。ケイリーの負担は大きいが、数秒なりとも翼竜を縫い留めなければならないため、できる限りの量をまとわせた。
ぐるぐるトゲトゲの珍妙な恰好に、リタは笑いを抑えきれない様子。
「やば、何この……何? 新手の子連れ妖精?」
「パーフェクトケイリーだよ」
アメリアがやんわり擁護。
「人間に完成などない」
ケイリーはそっけなく答え、アメリアに目くばせした。いつでも行ける。
無事に帰ってきてよ、なんて魔女戦隊の仲間なら言わなくていい。
「行こう、ケイリー」
「しっかり掴まっていろ」
竜の魔女の頼もしさを感じた瞬間、強烈なGがのしかかる。
真っ青な海面が遠ざかり、吸い込まれそうな空が近づく。
飛ぶ、という感覚に関して、最初にアメリアの頭を支配したのは恐怖だった。空を切る脚には力が入らない。風を切る轟音が耳を苛む。息が苦しい。
急に意識が遠のきそうになって、ケイリーの胸に顔を埋めた。軍服の上から竜鱗鎧に覆われたそこは、硬くゴツゴツしていた。
けれど、心音が伝わる。思いのほか、緊張しているみたいだ。そういえば、誰かを抱えて飛ぶのはきっと初めてだろうな。
「大丈夫だよ」
大気の濁流の中で、アメリアは銀の乱れ髪をひと房掬って、撫でた。
「私はケイリーを信じてる」
戦争では、どれだけ最悪の事態に備えたかで勝負が決まる。希望は判断を鈍らせ、致命的な過ちを誘発する。ケイリー・カーライルが仕事に己の全てを注ぐのは、他人に何ひとつ期待していないからだと――誰かがうそぶく。竜の魔女は孤高のエースであり、虚空のエースだった。
ケイリーは少しだけ首を寄せて答えた。
「私も、アメリアを信じている。お前は出来る子だ」
アメリアはちょっと笑いそうになった。
「急にお姉ちゃんぶらないで」
「兄はいるが、末子でな。お前のような妹が欲しかった」
今度こそ噴き出す。ここを切り抜けたらちょっと甘えてみようか。リタも一緒に誘って。
翼竜の咆哮が空を振るわせた。
竜の魔女の銀翼が、陽光を斬り裂いて優美に舞う。
ガラティエ降下作戦、最後の戦局は洋上にて開かれた。
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