第45話 魔王の思惑

 ハッとして横を向くと、クラウスがものすごい形相で立っていた。


「おい、レヴラノ。随分と楽しそうだな」

「主人を呼び捨てとは……随分な態度ですね」


 クラウスは荒々しく魔王に光の玉を投げつける。かなり苛立った様子だ。

 魔王は微笑んだままクラウスの攻撃を避け、クラウスにお茶を差し出している。


(私、今まで一体何を……? クラウスがいなくなって、魔王と話していて、えっと……クラウスが戻ってきて……そうよ、クラウス!)


「クラウス! 無事だったのですね!」


 私が立ち上がってクラウスの腕を掴むと、クラウスの表情がふっと緩んだ。

 眉を下げて、困ったようなホッとしたような顔で、私の頬を撫でる。


「俺より自分の心配をしろ。魔王に取り込まれる寸前だったぞ」

「えっ……?」


 魔王に取り込まれる? それがなんのことか分からなかった。


「人聞きが悪いですよ。カレンさんがお悩みのようでしたから、力を貸そうとしただけです」

「催眠状態の相手に、生死に関わる契約を持ちかけておいてよく言う。俺のエネルギー摂取方法をダシにして、カレンを騙したわけだ」


(催眠状態? そうだ、私は魔王と契約を結ぼうとしてたんだ)


 クラウスの言葉を聞いて、先程までの魔王とのやりとりを思い出した。


(私は一体何を考えていたの? 自分の命を捧げようとした……?)


 自分の言動を思い出して、背筋が寒くなった。

 もう少しクラウスの到着が遅ければ、魔王に心臓を捧げ、従属を誓うところだったのだ。


「わ、私……ごめんなさい」

「カレンは悪くない。お前を一人にした俺の責任だ」


 クラウスは私の背中をさすりながら、魔王を睨みつける。


「もう少し時間がかかると思ったんですがねぇ。力が弱い割には早かったですね」

「詰めが甘かったな。あんな小さい穴じゃ、すぐ塞げる」


(魔王がわざと結界を破ったってこと? 最初からクラウスと私を引き離すために……)


 人間の姿で私の警戒を解き、邪魔なクラウスを退出させて、私に催眠をかける。

 最初から仕組まれていたのだろう。


「カレンの心臓で、人間にでもなるつもりか?」


 クラウスの言葉に、それまでニコニコとしていた魔王の顔がピクリと歪み、能面のような表情になった。


「……いけませんか? 盟約のせいで、この立場のせいで、私はあの方の冥福を祈ることすら出来ないのに。人間の心臓さえあれば、私は盟約に囚われず自由に人間界と魔界を行き来出来る!」


 魔王が初めて声を荒げた。

 

(あの方? 誰なの? 魔王が人間界に執着する理由はその人なの?)


 私の心臓を欲したのは、単に私を従えるためではなかったようだ。


「魔王という立場が嫌ならば俺を指名しろ、レヴラノ。もうその地位から降りて、盟約から自由になれ。俺がお前を解放してやる」


 クラウスの絞り出したような声は、どこか悲しそうだった。


「もう遅い。クラウス……分かっているでしょう? 私は全てが憎いのですよ! あの方を殺した奴も、この力も、私を指名した先代の魔王も、盟約も! だからこの力を全て使って、魔界も人間界も終わらせます。それまでこの地位は誰にも渡さない!」

「それではお前の愛した人間は救われない」

「黙れっ! 俺の邪魔をするな!」


 言葉遣いが変わると同時に、魔王の姿がぐにゃりと歪んだ。

 そして瞬く間に黒い狼のような姿に変形し、私に向かって飛びかかってきた。 


「いやぁっ!」

「カレン!」


(食いちぎられるっ)


 そう思った瞬間、目の前にクラウスの腕が見えた。


 そして次の瞬間には、魔王がクラウスの腕に噛みついていた。


「……っ! もう止めろ、レヴラノ」


 クラウスが腕を振ると、魔王はヒラリと跳んで少し距離を取った。


「その人間の娘を寄越せ! お前を殺したくはない」

「……交渉決裂だ」


 クラウスがそう言った途端、金色の光が魔王を貫いた。

 

「何?! ぐっ……! ぐあ゛ぁぁ!」


 魔王がよろよろと倒れ込む。

 その後ろには、金色の剣を構えたティルがいた。

 鋭く魔王を睨みつけているティルは、剣と同じ金色の光を放っている。

 

(ティル?! 今の光、ティルなの? ティルが魔王を……)


 魔王はよろよろと立ち上がると、クラウスを見据えた。


「いい、使い魔だ。こんなに、強くなっていたとは……」

「当然だ。俺の使い魔なんだから、優秀に決まってるだろ」

「だが、これは、お前の魔力……こいつの、力ではないな」


 そう呟きながら、魔王がゆっくりと横たわる。

 舌を出して肩で息をするその姿は、威厳ある魔王ではなく、瀕死の狼そのものだった。


 クラウスが一歩ずつ魔王に近づいていく。


「俺の魔力は、ほとんどティルに注ぎ込んでいた。お前を油断させるためにな。……レヴラノ、お前は俺を遠ざけたが、俺はティルと協力する道を選んだんだ」

「そうか……最初から、こうするつもりだったんだな」


 ティルが無言でクラウスに剣を差し出す。クラウスがそれを受けとると、ティルが纏っていた光が消え、代わりにクラウスが光り輝いた。


「クラ、ウス……終わるのか、俺は……」

「あぁ、おしまいなんだ。レヴラノ」


 弱々しい魔王の声に答えるクラウスは、少し震えていた。


「クラウス、お前に、背負わせたくは、ない。魔王など、この世界に、必要ない……。お前は、お前だけは、自由に……」

「もう眠れ。あの世であの方が待っているのだろう?」


 クラウスが魔王に触れると、魔王の身体がだんだんと透明になっていく。


「かわいいクラウス……本当は……」

「分かってる。もういいんだ」


 魔王の姿が完全に消えると、声も聞こえなくなってしまった。


「ゆっくり休め、レヴラノ。……さようなら」




 しばらくの間、クラウスは何も言わずに佇んでいた。

 そして不意に私の方を振り返り、こう言った。


「少し、昔話に付き合ってくれないか?」

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