第38話 胸騒ぎ
ある日の朝のことだった。
朝食を食べる直前に、ティルが手紙を持ってリビングに入ってきた。
「クラウス様、魔王様から手紙が届いてたよー」
「魔王から手紙? 嫌な予感がするな」
ティルから手紙を受け取ったクラウスは険しい顔をしたまま、その場で手紙の封を開けた。
「これは……ティル、ちょっといいか?」
「はーい」
クラウスは眉間に皴を寄せて、ティルとともに書斎へと向かっていった。
「魔界で何かあったのかしら? なんだか大変そうね。とりあえず……先に食べておきましょう」
あの様子ではしばらく戻ってこないだろう。戻ってくるのを待つより、食べて片付けてしまった方が良さそうだ。
一人で食べる朝食は久しぶりで、なんだか少し味気なかった。
食事を終えても、二人が戻ってくる気配はなかった。
(なんだか胸騒ぎがする……)
クラウスがリビングを出て行った時の顔が思い浮かぶ。
たいていの問題には飄々とした態度で解決してしまう彼が、あんなにも険しい顔をしていたのだ。
「……よし! 二人が戻ってきた時に、少しでも気分が明るくなるようにしておこうかな!」
私が心配しても何にもならない。出来る事をしよう。屋敷をピカピカにして、とびきり美味しい昼食を作ろう。
そう思って廊下に出ると、お屋敷さんの光が私の前に現れた。
「お屋敷さん、どうしたの? ……こっちに何かあるの?」
光に導かれた先は、とある部屋だった。
(ここは……掃除しなくて良いって言われてた部屋ね)
「私が入っていいの?」
お屋敷さんに尋ねると、光がクルクルと回って、ドアノブのところで点滅した。
どうやら入ってもいいらしい。
扉を開けると、そこにはたくさんの本棚が並んでいた。まるで小さな図書館のようだった。
(書庫かしら? それにしてもたくさんあるわね。……あら?)
並んでいる本の背表紙を見て、違和感を覚えた。
書かれている言語が自国のものではない。それなのに読めるのだ。
(これは、魔界の言葉? 魔界にいるから読めるのかしら?)
とりあえず近くにあった本を手に取ってみる。
『上級魔族生態』と書かれている。周囲の本も似たようなタイトルだ。
(やっぱり魔界の本だわ! すごい! ここにある本、全部そうなのね)
私は読書をするのが大好きだったが、リドリー家にいる時には本を読める機会がほとんどなかった。家にある本は数が少なかったし、読む時間もあまりなかった。
だからこの部屋が宝の山に見えた。
(クラウスが集めたのかしら? すごい量ね)
どうやら魔族の生態や生理学関係の本が多いようだった。
「どれどれ……」
最初は興味本位でぺらぺらと流し読みをしていたが、だんだんと夢中になっていった。
魔王の手紙のことや、掃除をしようとしていたこと、それら全てを忘れて様々な本を読み進めた。
中でも悪魔の生態についての研究は興味深かった。
「これ、クラウスも当てはまるのではないかしら?」
私が見つけたのは、『悪魔のエネルギー摂取方法は変化する』という一文だった。
これが正しければ、クラウスはもう負の感情を求める必要はなくなるかもしれない。
そう思って読み進めてみたが、かなり条件が複雑そうだった。
(なるほど、変更自体は出来るようね。……厄介なのは、誰かと契約して条件を変更してもらわなくてはならないってこと。クラウスは魔王とすでに契約しているはずだから)
この場合、魔王がクラウスと再度契約しなければならない。
魔王の話をする時、クラウスはいつも固い表情をしている。あまり良好な関係ではないなら、この方法は難しいだろう。
だけど、私はクラウスのエネルギー摂取方法を変える方法が知りたかった。
(確かに人間の負の感情は集めやすいし、味も良い。だけど……やっぱりもっと健全な食事をとってほしい)
私は三人で食卓を囲んでいる時間が大好きだ。
クラウスもティルも自分の栄養にならないのに、私の食事に付き合ってくれている。
『もともと人間の食事に慣れるために始めた習慣みたいなものだからさ。カレンの食事好きだし、いっぱい食べるよー』
ティルがそう説明してくれたのだが、彼らの時間を奪っているという気持ちが心の奥底にあった。
全部でなくていい。ほんの一部でも食事からエネルギーを摂取出来たら……なんて、これは自分のエゴだ。
(そもそもクラウスが望んでいないのに、変えたいだなんて傲慢よね。一旦、このことは忘れましょう)
他に何か面白そうな本がないかと探していた時、扉が開いた。
「あーカレン、こんなところにいた! 探したよー。クラウス様が呼んでるよ」
「あ、はい」
ティルは、自室にいなかった私を探しに来てくれたらしい。
「勝手に書庫に入って申し訳ありません」
ティルに謝ると、全然気にしていないようだった。
「ここは掃除しなくて大丈夫ってだけだよ。気になるならいつでも入っていいからね! 僕も時々お勉強してるんだー」
「そうでしたか。興味深い本がたくさんあって、時間を忘れてしまいそうでした」
「気になる本があったら部屋に持っていってー!」
「ありがとうございます」
(そういえば、どうしてお屋敷さんは私を書庫に案内したのかしら?)
お屋敷さんが私を案内するときには、いつも理由があった。なにか本が必要になる時が来るのかもしれない。
そんな予感がした。
クラウスの部屋に入ると、真剣な顔をしたクラウスが私を待っていた。
「魔王がカレンに会いたいと言ってきている」
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