第36話 人間の妻 ※クラウス視点

 隣で気持ちよさそうに寝息を立てている彼女は、カレン・モルザン。俺の妻だ。


「ふっ……さっきまであんなに緊張していたのにな」


 カレンと出会えたのは本当に幸運だった。

 ある日突然ティルが連れてきた人間の女。それがカレンだった。


(まったく、ティルにはますます頭が上がらない……)




――――――――――


 魔界での結界強化を言い渡されてからというもの、エネルギー消耗が激しくなっていた。

 

「クラウス様の結界は完璧なんだから、強化する必要なんかないのにさー」


 ティルは不満そうだったが、仕方のないことだ。魔王は定期的に「そういうこと」を命じてくる。


(俺が力を持ちすぎるのを警戒しているんだろう。自分で生み出しておいて厄介なことだ)


 気に食わないが、逆らう訳にもいかない。人間界で摂取する負の感情の量を少しずつ増やしながら、なんとか耐えていた。

 エネルギーが少なくなってくると、思考に霞がかかったような気分になる。考えるのが少し面倒になるのだ。


「こうもエネルギー消費が激しいと、屋敷の維持が面倒だな」


 どうやらぼんやりした頭で、ティルに愚痴を言ったことがあったようだ。

 それ以来、誰かを雇えとティルがしつこく言うようになった。


「じゃあさ、僕が見つけてきてあげる! それで、ぴったりの人が見つかったら雇ってね」


 どうせそんな奴、現れない。だから了承したというのに……。

 優秀な使い魔は、ぴったりの奴を連れてきたという訳だ。




「あの……カレン・リドリーと申します。支えてくださってありがとうございます」


 それが彼女の最初の言葉だった。俺をまっすぐに見つめて挨拶をする人間は久しぶりだった。


 社交界の人間も、魔界で会う悪魔も、初対面の時にはびくびくと目を逸らしながら挨拶する奴ばかりだ。まして魔界で会う人間など、普通なら逃げ出すか倒れるかだ。

 だがカレンは違った。俺が悪魔だと知った後も、その態度は変わらなかった。


 俺を怖がらない。魔界で倒れない。働きたいと望んでいる。まさに理想の人材だった。


(断る理由もないな……)


 だが所詮は人間だ。いつ気が変わるか分からない。いつ死ぬかも分からない。

 試す意味も込めて契約結婚の話を持ち出してみたが、彼女がひるむことはなかった。

 それどころか俺の外聞を心配していた。


(この人間はどこまでお人好しなんだ? こんなんでどうやって生きてきたんだ?)


 極めつけに自分の感情を食べないかと提案してくるのだから、思わず舌を巻いた。


「私、わりと負の感情が出てると思うんですけど。どうです? 美味しそうですか?」


(負の感情からは程遠いオーラを放っておきながら何を言っているんだ……?)


 連れてきたティルでさえも若干引いていた。


 カレンはとにかく不思議な存在ではあったが、この上なく好都合な人材だった。

 彼女を雇うことは間違いなく今後プラスになる。それを分かっていて手放すほど、俺は愚かではない。ぼんやりとした頭でもそれくらいは判断できた。


(おまけにご馳走まで持ってきてくれたしな)


 カレンの家族は最高の獲物だ。水晶で覗いただけでも分かるくらい醜い感情だけで構成された極上品だ。それも三人。

 カレンと彼らは全くの別の生き物だった。


 好きにして良い。家族に未練はないと言い切った彼女は、悪魔の適性がありそうだった。




 カレンは、ティルや屋敷にすぐに気に入られた。

 彼女の性格がそうさせるのか、波長がそうさせるのか。どちらにせよ、彼女はこのモルザン家の一員として相応しい存在だった。


(俺が殺意を向けても笑って許せる度胸もある……)


 彼女は俺に殺されかけた後、光の玉に囲まれて楽しそうに笑っていた。その姿に目を奪われた。

 彼女には興味が尽きない。会って間もないのに、こんなにも気になるのは初めてのことだった。

 



「雇ってくださって、結婚相手に選んでくださって、ありがとうございます。昨日、ちゃんとお礼を言えていなかったので……」


 カレンの嘘偽りのない言葉は、俺の心を揺さぶった。

 彼女の感情にはいつも嘘がない。真っ直ぐ真実を伝えてくれる彼女の表情は、とても美しかった。


(カレンをずっと傍に置いておきたい)


 俺は次第にカレンに心を奪われていった。自身の気持ちに気づいたのは、父親に怪我を負わされたカレンの顔を見た時だった。

 カレンの家族を根絶やしにする。そう心に決めたのもこの時だ。


「クラウスは悪魔というより救世主みたいですね」


 そう言ってくれたカレンを守る。彼女の妨げになるもの全てから―――

 


 

 エネルギー不足が解消された後、カレンがますます愛しく感じるようになった。

 彼女の好意に気づいたから、というのも理由の一つだろう。

 あんなにも分かりやすいのに、本人は気づいていないのがまた可愛らしい。


(両思いなら遠慮することはない。そもそも俺たちは夫婦なのだから)


 気づかせてやればいい。簡単なことだ。

 少しずつ彼女へ向ける好意の量を増やしていく。カレンの元家族を葬ってからは、あからさまに態度に出した。


 それから数週間後、カレンはようやく俺への想いを口にした。


「わ、私はクラウスのことが好きなので、クラウスが私をどう思ってるのか気になるんですっ!」


 カレンの言葉に頬が緩んだ。


(これでカレンは名実ともに俺の妻だ)


 まさか自分が人間に好意を抱くとは思わなかった。長く生きていると色んな事が起きるものだ。


――――――――――




「おやすみ、カレン」


 隣で眠っているカレンの頬に口づけをして、俺も目を閉じた。今日はよく眠れそうだ。

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