第3話ファラオの呪い
今回は、古代エジプトが舞台。
それは、1922年11月4日、イギリス考古学者ハワード・カーターが指揮した発掘調査で発見された、ツタンカーメンの墓。
ツタンカーメンは紀元前1333年〜1323年のエジプト第18王朝のファラオ(王)。
彼が10歳前後から19歳前後まで王位についた。
彼は若くして亡くなるのだが(19歳くらい)、ずっと他殺説が有力であった。
しかし、近年の研究で先天性の足の骨の疾患があった事、マラリアの合併症であった可能性もあり病死が一般的な説になったが、まだ、他殺説もあるようだ。
今回のテーマ、ファラオの呪い。
ハワード・カーターに資金援助していたカーナヴォン卿がツタンカーメン発見6週間後に急死したこと、発掘に携わった人間が次々と変死を遂げ、ハワード・カーターが64歳で亡くなると人々はファラオの呪いとささやき始めた。20人ほど関係者が亡くなる。
しかし、今となっては呪いでもなんでもない事が判明。
発掘現場にはガスが充満しそこに菌が含まれていたから、病死と言われている。カーナヴォン卿は、ひげ剃り中に蚊に刺された部分を傷つけ、そこから菌が入り肺炎で亡くなりました。
さて、ここで問題です。
ツタンカーメンの棺には、若くして未亡人となった、近親者の配偶者アンケセナーメンが手向けた花がありますが、それは何の花だったでしょうか?
それは、麦栽培のとき雑草として咲いていた花でした。
答えは、ヤグルマギク。
アンケセナーメンはファラオの棺の上に、青いヤグルマギクを置きました。
カーターはこう残す。
「最も感動的だったのは、横たわる少年王の顔の横のあたりに小さな花が置かれていた。(中略)黄金で包まれたが、どの輝きよりもそのささやかな小さな花ほど美しいものはなかった」と。
若くして世を去ったツタンカーメン。
夫を愛する気持ちは、古代エジプトでも現代でも同じだったに違いありません。
2人の間に子供はいませんでした。
アンケセナーメンはどんな気持ちだったでしょうか?
この後、色々あり、ツタンカーメンを暗殺したのはアンケセナーメンとその後の夫アイだと言う説もありましたが、どうなんでしょうか?マンガにもなりましたね。
僕は病死だと思いますが……。
今回は、ファラオの呪いについてお話ししました。
ま、真剣に小さな違いについてのコメントはなさらないで下さい。
小話として、読んで下さい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます