大庭健『私はどうして私なのか』とぼく探しのためのバンジージャンプ

いつもながらこれは「青臭い」を通り越して、実に「幼稚極まりない」問いかなとも思うのだけれどそれでもいまなおぼくは「ぼくとは何だろう」と考え込むことがある。今日もあるミーティングに参加した際、ふと「ああ、またやってしまった」「ぼくはどうしてこうなのかなあ」と思ってしまい、そこから「そもそもそうして『ぼくって何だろう』と考えるぼくこそいったい何なのだろう」と思い始めてしまったのだった。大庭健によるこの『私はどうして私なのか』を読もうと思ったのも、そうした質問に答えを出してくれるものではないかと期待したからである。結論から言えば、必ずしも満足の行く「答え」を出してくれるものではなかった。だがそれは当たり前のことかとも思った。いや、これは本書の欠点ではない。思えば、今まで誰ひとりとしてこの深遠な/普遍的な問いに決定的な「答え」など出しはしなかったのだ(仮に出されていたら、人はこぞってその「答え」に飛びついてきただろうしこうした本も書かれずに終わったにちがいない)。この本が教えてくれているもの、それは端的に「方法論」「思考術」だと思った。ちょうどウィトゲンシュタインの本がそんな性格を帯びたものであるように。


当たり前のこととして、ぼくはこのぼくの肉体を動かしてこうした文を書いている。そのぼくの身体の中にぼくという人間の主観をつかさどる何かが宿っている。それが魂なのか意識なのか、それはわからないけれどともかくもそのぼくの霊体は目に見えるものではなく、したがってこれと言って指し示すことはできない。だが、その霊体はぼくという人間の肉体の中に入っており……とまあいきなり話がややこしくなった。だが、この大庭健の本はそうしたややこしさを回避しないで慎重に/ていねいにほどいていく。大庭のアプローチはそこから、言語を介して自分自身(つまり「ぼく」や「私」)をどう語るかに焦点を合わせていく。これも難しい議論に聞こえうるかもしれないが、ぼくが言いたいのはごく素朴なことでありこれまた「幼稚」といってもいい次元の話である。つまり、「ぼくはぼくだ」「これがぼくだ」と語る際にその言葉が語らんとするものと、実際の事実の間にどのような対応関係がなりたつかということだ。ウィトゲンシュタイン的に言えば「言語の限界」「表象の限界」ということになるかもしれない。


何だか「幼稚なこと」を書こうとしていると言っているわりに話が込み入ってしまうが、簡明に語るならたとえば「ぼくはぼくだ」と語る。だが、その言葉はいったい何を指し示しているのか。それは単に「AはAだ」というそれこそ同語反復/トートロジー以上のことを語っていないのではないのか。この言葉がそんなトートロジー以上のことを語れるとしたらどこに可能性があるのか……ここから、言葉とその言葉が指し示しうる意味の「あいだ」に「隙間」(もっと言えば「乖離」)がありうる可能性が示唆される。もちろん、ぼくたちはそんな「隙間」「乖離」を気にしないで、誤解をはらみつつ(時に起こる誤解はそのつど双方の関係の中で微調整していきながら)コミュニケーションを楽しむ。そうでないと何もしゃべれなくなってしまうからだ。裏返せば、ここまでコミュニケーションの内奥では無意識のうちに「飛躍」をはらみながら意味を汲み取る作業が行われているということが見えてくる。そうした「飛躍」(それはたぶんに柄谷行人が『探究』で表現したような「命がけの」ものだろうか?)がはらまれたコミュニケーション、それがぼくたちの住む現実を成している。それが興味深い。


そうしたコミュニケーションが成り立つ世界、そしてそのコミュニケーションを通して(もっと気取って言えば「他者との関係性によって」)作り上げられる世界の中で自分自身の「比類なさ」が見えてくる。パラドキシカルに言えば「他者の存在によって」こそ、そうした永井均的な独我論的思索への入り口が見えてくる。そう考えていくとこの本は1本太い道筋を通した本であることは間違いないが、その道筋の脇道としてそんな「独我論」や「意識の神秘」「精神分析」といった分野を齧ることもできるなかなか奥が深い、バラエティに富んだ内容を保持しているとも言える。ぼく自身、自分自身のこの不甲斐なさやみっともなさに始終(多分に生まれ落ちた時から今までの、実に50年近い年月を)悩まされている身として「ここからどこか、別の道へと分け入っていくことで『ぼくとは何か』を考える糸口がつかめるのかもしれないな」と思った。まずは、ふと思い出してしまった柄谷行人『探究』を読んでみようかな。

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