拡散
猫又大統領
脱皮
「本当に私で良いんですか、たまたまネットで見た怖い話の投稿募集を見つけて”あのお話”を投稿しました。あんな話は誰にもできないんですよ。だって……おかしいでしょ?」
三十代前半の彼女は、体験談を話すということで緊張しているのか落ち着かない様子で俯きながらいった。
僕が担当することになった企画は上司があくびをしながら考えた企画。SNSで恐怖体験を募り、その中で読者の閲覧が多かった内容を詳しく掘り下げて記事にするというもの。といっても最も人気のあった投稿は愛嬌のいい先輩が担当し、先輩は頑張ったで賞をお前に任せるぞ、と茶化す。
そういわれても仕方がない。目の前に座る彼女の投稿した話は恐怖とは違う。だから、怪談話が好きなユーザーとは違う人たちが彼女の投稿に興味を示していた。そこに商機を感じた上司は、新規開拓のチャンスということで本来ははじかれるような内容の投稿を記事化するように命令が僕に下る。
僕自身、興味はあった。それに上位の人気を集めた投稿内容はどれもこれも在り来たりで、斬新なものはない。
お化けに襲われて気絶。もしくは枕元に登場してそのうち気絶。起きたら手の形をしたアザがある。本人の身に重大な何かが起きたら誰も投稿できないということで死に至ることはない。誰かが死んだりしても伝聞形式なってしまって刺激が半減する。そのように僕は感じていた。投稿内容には刺激が、僕には睡眠が足りないと思いながら過ごした募集期間。
そこにふと湧いて出たような彼女の話。瞬く間に人の注目を集め広がる。これが巷でいう。バズるってことかとカフェインを吸収しながら嫉妬心が芽を出したのを覚えている。
正直な話。彼女のいう話はおかしい。恐怖よりも何かが恐怖を追い越す。
「私が投稿した内容はお化けとか妖怪とかそういう話ではないでしょ? 怪談特集に載せて下さいよ。こんな迷惑な人間が来ましたよ、みたいな書き方はやめてよ」
もちろん、と僕はいう。今日僕には楽しみがある。彼女がたまにこちらを見る目は真剣そのもの。硬い表情の彼女がどこまで人を目の前にして荒唐無稽な話をできるのか楽しみで仕方がない。
彼女は僕の足元に凝視すると、話を始めた。
僕は慌ててキーボードを叩く。
あの夜は、残業も終わっていつもよる駅前にあるビルの二階に入っているファーストフード店で夕食を取っていました。そこから人々を観察しながら食べるハンバーガは格別。でも今考えれば最低ですね。自分の愚かさが嫌で嫌でたまりません。なんてことをしていたんだろうって後悔の毎日なんですよ。
ごめんなさい。話を続けますね。
いつもの窓側の席に座り人の流れを観察をしていると、スーツ姿の男性が土下座をしていたんです。これは何か事件の匂いを感じて辺りを注意深くみてみても対象となる人がいないんですよ。不思議ですよね。面白くないですよね。土下座しているのにいない。それからは、この男性は酔っ払いだと冷たい視線を送りながら彼の横を通り過ぎる人々の反応を楽しんでいました。
私はバーガーを食べ終え、コーヒーも飲み終えると店を出ました。
ファストフードに入店から退店までを考えると土下座をかれこれ三十分以上続けている彼の横を通り過ぎる時に分かったんです。
土下座をしている対象はそこにいたんです。ずっと。
彼の前には、茶色いどんぶりがひとつ。その中は黄金色の透き通る汁に身を沈めた饂飩。
饂飩に向かって彼はずっと土下座を。
その時、男性がコンクリートに額をくっ付けながらこもった声でいったんです。
「お前にもわかる。これは……わかる……必要ないな……これは……饂飩なんだから」
何が饂飩だよ。見ればわかるよ。よっぱらいのよっちゃん。口には出さずにその時は明日も平日なのにここまで酔うなんてよっぽどいいことか、悪いことがあったんだなくらいでした。
明日の仕事の予定で頭がいっぱいだったんです。私にとってはなかなか大きなプロジェクトを任せられたのでそのことでいっぱいだったんですよ。
だから帰路では何も考えないで自宅の鍵を開けて、すぐ横にある電気のスイッチを入れようと暗がりでもだいたい位置がわかりますよね? いつも場所を触るとそこはニュルッとした弾力が指先に伝わって慌てて、手を引っ込めました。
そうすると、不思議なんですけど急に部屋の灯りがついたんです。でも、部屋全体が明るくなるというより部屋の中央にあるテーブルだけに光が差していました。
そのテーブルの上にはあったんです。あの男性が土下座をしていた饂飩が。
器の色、うどん、汁の輝きもすべて同じ。
「誰かいるの?」と私は大声で呼びかけました。まだ部屋の入口付近ですから家の死角はたくさんあってとても怖かったです。そんな呼びかけにも反応がなく、恐る恐る饂飩に近づいてみたんです。どうかしてますよね。引き返せばいいのに。
そうすると、器に入った饂飩はニュルニュルと上へ上へと少しづつ何本も宙に向かっていってパニックになって動けなくなりました。
ただじっと饂飩の行方を目で追うことが精一杯、一定の高さで止まったように見えました、そうですね、三十センチほどですかね。次に左右にゆらゆらとゆっくり饂飩が動きだしました。それも次第に弱まり完全に静止。
今度は、色が変わったんです。器がまっくろになって、それが白い饂飩、黄金色の汁に色がみるみるうちに移っていったんです。最後には全体が完全に真っ黒になりました。
それを見て茫然としていると、パキッと何かが破裂するような音が黒い塊となった饂飩から鳴って私は恐ろしくなって身を屈め、それでも視線はずっと黒いものから外しませんでした。
パキッパキッとさっきなった音が休みなく鳴りだし、黒く染まった饂飩の表面が剥がれ、神々しい目をそむけたくなるほど光を放っていたのです。
ひとつ、またひとつとまるでドミノのように黒いものがすべて剥がれ、眩い光に包まれた饂飩がそこには君臨していたのです。
そう、これは。
饂飩の脱皮。
脱皮だったんです。
私は確信しました。饂飩を食べないで、生きている私へのメッセージなんだと。すべてのものたちへのメッセージだと。
だから今回、皆さんに聞いてもらいたくて投稿したんです。
話し終わると。彼女の目には涙が。
少しの静寂の中、ありがとうございました、と僕がいうと彼女は微笑みを浮かべる。
「あなたの足元にいる饂飩があなたの顔を覗き込んでるの。ほら?」
僕は冗談だと思い足元に視線を向ける。
かわいいね、と僕は無意識に言葉がでた。
拡散 猫又大統領 @arigatou
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