迷子の女の子のママを探したらパパになった話

九戸政景

本文

「ママ……どこぉ……」



 繋がれた手の先から心細そうな声が聞こえる。そんな声を出しているのは母屋おもや茉莉まつりちゃんというおよそ小学生低学年程の女の子だが、茉莉ちゃんは俺とは面識はない。


 だけど、勘違いはしないで欲しい。俺は茉莉ちゃんに対して邪な感情を抱いて拐ったとかではなく、ただ単にお母さんとはぐれたらしい茉莉ちゃんを見つけて、とりあえずお母さんと合流出来るまで一緒にいるだけなのだ。



「いないなぁ、茉莉ちゃんのママ。まあ花火大会でこんなに人もいれば見つかりづらいよな」

「……茉莉、ママと会えないの?」

「いや、きっとママだって茉莉ちゃんを探してるよ。君みたいな小さな子が迷子になったわけだし、色々不安にはなるだろうから」



 今夜のような花火大会でなくても小さな子、特に小さな女の子が迷子になって不安そうにしていれば、そこにつけこんで悪事を働こうとする輩は少なからずいる。


 だからこそ、早く茉莉ちゃんをお母さんの元に帰したいのだが、茉莉ちゃんと出会って30分くらいは経っているのにも関わらず、それらしい人とは出会えていない。


 さっきも迷子センターに行ってみようとしたが、茉莉ちゃんが今にも泣き出しそうな顔で自分で探したいと言った事でそれを出来なくなっており、俺は少し途方に暮れかけていた。



「……流石にそろそろ迷子センターに行った方が良さそうだな」



 泣き出すのはわかっていても茉莉ちゃんにそれを提案しようとしたその時だった。



「茉莉ちゃん!」



 そんな声が後ろから聞こえ、俺達の目がそちらに向けられる。そして近づいてくるその人の姿に俺は思わず見惚れてしまった。



「え……」



 その人は俺より少し背が低いくらいの背丈をした長い黒髪の美人であり、うっすらと化粧をしているのか唇は綺麗な赤色をしていて、それが血色の良いシミ一つない綺麗な肌を際立たせていた。


 その人は下駄の音を鳴らしながら鯉の模様の浴衣姿で近づくと、軽く目に涙を浮かべながら茉莉ちゃんを抱き締めた。



「もう、バカ! はぐれないでって言ったでしょ!?」

「ママ、ごめんなさい……でも、このお兄ちゃんが茉莉と一緒にママを探してくれたから泣かなかったよ」

「貴方が……あの、本当にありがとうございます。なんとお礼を言えば良いのか……」

「いえ、良いんですよ。それにしても……こう言ったらなんですが、茉莉ちゃんのお母さんにしてはだいぶお若いというか……」

「お母さん……ああ、なるほど。私は別に茉莉ちゃんのお母さんではないですよ?」

「え? でも、茉莉ちゃんはママって……」



 俺が首を傾げると、その人は上品そうにクスクス笑った。



「ママっていうのは茉莉ちゃんがつけたアダ名で、私は茉莉ちゃんの従姉妹です。それに、まだ高校生ですしね」

「なるほど、そういう事だったんですね。ママって言うから、てっきりお母さんの事だと思いましたよ」

「他の人からもそう言われます。でも、そんなに茉莉ちゃんのお母さんっぽいのかな……」

「少なくとも、大人っぽいと思いますし、浴衣姿も相まってすごく綺麗な人だと思いますよ。ウチの高校にいたら大人気になるくらいには」

「あら……ふふっ、言葉がお上手なんですね。でも、そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます」



 そう言う従姉妹さんの笑みはとても綺麗で夜空に咲く花火や浴衣や髪飾りで着飾って近くを歩いている人達の誰よりも綺麗だと思った。



「……さて、俺はそろそろ帰るかな」

「えー! お兄ちゃん、帰っちゃうの……?」

「ああ。元々、花火を観に来たわけじゃなく、勉強の息抜きでなんとなく散歩でもしようと思って外に出てきたわけだからさ。それじゃあ従姉妹さん、茉莉ちゃんはお返ししますね」

「あ、はい……あの、茉莉ちゃんを見つけて下さった分、何かお礼を……」

「そういうのも良いですよ。別にそれを目的にしてたわけじゃないので」

「せ、せめてお名前だけでも……!」



 従姉妹さんのその必死そうな様子に俺はドキリとしてしまい、俺は思わず名前を口にしてしまった。



「ち、父尾ちちおです……父尾冬次とうじ……」

「父尾さん、ですね」

「父尾……ねえママ、父ってなぁに?」

「父っていうのは、お父さんの別の言い方だよ」

「お父さん……それじゃあお兄ちゃんはパパだね!」

「……え?」



 悪意一つない純真な笑みから繰り出された茉莉ちゃんの突然の言葉に驚いていると、それを聞いた従姉妹さんは焦った様子を見せた。



「こ、こら! 父尾さんが困るでしょ!」

「でも、父ってお父さんの事なんでしょ? だったら、お兄ちゃんはパパだよ!」

「だ、だからって……」

「良いですよ、俺のアダ名がパパでも」

「父尾さん……」



 従姉妹さんが困ったような顔をする中、俺は茉莉ちゃんの手と従姉妹さんの手を繋がせ、もう一つの手を使って茉莉ちゃんの小指に自分の小指を絡ませた。



「それじゃあパパと指切りしよう。花火大会が終わるまでは絶対にママから離れない事。良いかな?」

「うん! 指切り拳万げんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った!」

「よし。それじゃあ従姉妹さん、俺はこれで」

「……はい。改めて本当にありがとうございました」

「パパ、バイバーイ!」



 従姉妹さんが丁寧に一礼をしながら、茉莉ちゃんが元気よく手をブンブンと振りながら言うのに対して手を振り返し、まだ高校生でありながらパパと呼ばれる事に少しだけむず痒さを感じながら俺は花火を背に家へと帰った。


 翌日、俺のクラスが登校日だった事で久しぶりにクラスメート達と教室で出会い、とりとめのない馬鹿話をしていたその時、教室の前の方につけられているスピーカーから音が鳴り出した。



『生徒の呼び出しをします。父尾冬次君、父尾冬次君。至急生徒指導室まで来てください』

「え……?」

「おいおい、冬次~」

「なにやらかしたんだ?」

「いや、覚えはないって! と、とりあえず行ってくる……!」



 クラスのダチ達が囃し立てる中、俺は教室を出て生徒指導室まで向かった。そして中に入ると、そこには生徒指導の先生じゃなく、なんと生徒会長が座っていた。


 生徒会長は大きなレンズのメガネを掛けて長い黒髪を髪ゴムで一つに纏めており、真剣な表情からとても真面目そうで冗談などが通じなそうな感じがした。



「え、えーと……」

「呼んだのは私です。どうぞ、向かいの席に座ってください」

「は、はい……それじゃあ失礼します……」



 少し緊張しながら座ると、生徒会長はメガネを外してから髪ゴムを外した。その瞬間、俺は目の前の人物が誰なのかわかり、思わず声を出してしまった。



「えっ……」

「昨夜はどうもありがとうございました、父尾さん」

「い、従姉妹さん……!? え、同じ学校だったんですか!?」

「どうやらそのようです。因みに、私の名前は田母神たもがみ真実まみといいます。改めてよろしくお願いします」

「こ、こちらこそ……あの、どうして俺を呼んだんですか? これといって何かをやらかした記憶は無いんですが……」

「ええ。父尾さんが何かをしたからお呼びしたわけじゃありません。お呼びした理由、それは……」



 田母神生徒会長が少し溜め、漂う緊張感にノドをゴクリと鳴らしていると、田母神生徒会長は真剣な顔で口を開いた。



「貴方に茉莉ちゃんのパパに、そして私の夫になってほしいんです」

「……え?」



 思わぬ言葉に俺は変な声を出してしまった。そしてこの日から何の面白味もなかった俺の日常にちょっとした非日常が入り込んで来る事になったのだった。

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迷子の女の子のママを探したらパパになった話 九戸政景 @2012712

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