レシピ・24「人参探報と接近マンション」
「…人参が
――【ヒダル神】たちのいた空間に飛び込んでから十分後。
千春の
理由は先ほどの通り。
作ろうとしたシチューの材料の中に人参がなかったのだ。
「…にしても、どこまで階段が続くのか」
思わずそんな言葉が漏れるほど、階段はどこまでも上に伸びていた。
降りる時には遠くに見えていたマンションもずいぶんこちらに近づいており、いつしか、ベランダや室内にいる親子の影さえ明確に見えるようになっていた。
「…あれも、怪異なんだよな」
一応、そんなことをつぶやきつつ、ひとり階段をのぼる私。
――そう、ここにいるのはあくまで怪異。
ランドセルを背負い、スマートフォンを手にした子供。
机に突っ伏したままの母親の姿。
それらはぼんやりとした影のようでありながらも、どこか生者を思わせる。
「だが、行かないと」
そんな向こうの景色に戸惑いを覚えながらも、私は上階へと足を進めた…
*
『呼ばれたから、呼び返したよ?』
洞窟のような黒い目、頭部の大きい痩せ細った体。
席に腰かけるのは不気味な見た目に反し、可愛らしい声の子供たち。
卓上に突っ伏した私の横で千春はなんとか踏みとどまると【ヒダル神】の子供らを見下ろしながら腕を組む。
「まず、聞きたいんだけど…ヘルンたちはどこ?」
それに『ここにいるよ?』と、席に座った子供のひとりがへルン女史の顔へと変わる。
『中の子は寝ているよ、他の子も同じ。みんな借りの体でここにいるの』
「どうして、人に取り憑いたりするわけ?」
千春の質問に『…必要だから』と声を上げるのは、端に座る【ヒダル神】。
『地上に行きたくとも行けないから』
ついで、席に着いた【ヒダル神】たちが次々と声を上げる。
『ここは危険でいっぱいだから』
『みんなで固まっていないと生きていけない』
『安全な外に出たかった』
『でも、外には出れない』
『道具を使って外を見たり、呼びかけたり、こっちに呼んだりすることはできるけれど、それ以上はできないの』
『呼んだ人は、名前を知れば【順応】させずに取り憑けるの』
『でもね、お腹はすくの』
『ここに来てから、ずっとボクらはお腹が空いているの』
『お腹すいた』
『すいた』
『すいた、すいた…!』
キャアキャアと叫ぶ【ヒダル神】たちに「空いているのは分かってるし!」と千春は卓上から飛び降りる。
「…ひのふの――うん、へルン室長から聞いた通り、行方不明の九人にへルンを含めて十人ね。ということで、君たちと一緒に今日はシチューを作ります!」
それを聞くなり【ヒダル神】たちはキャアキャアと抗議の声を上げる。
『なにゆえ?』
『ボクらお腹が空いているのに』
『手伝う必要あるの?』
『できたら呼んでよ!』
そこに「働かざるもの、食うべからず!」と一喝する千春。
「美味しいものを食べたかったら協力して作る。自分たちも作ったという体験は料理のおいしさをアップさせるのよ!」
『ホント?』
『だったら、手伝うか』
『何をするの?』
ついで千春は「キッチンは?」と周りを見渡す。
『【キッチン】はあっち!』
すかさず、隣の部屋に見える調理場を指さす【ヒダル神】。
「じゃ、みんな向こうに集合!役割分担と手順を説明するわ」
歩き出す千春にキャアキャアとついていく【ヒダル神】たち。
「――コンロの火は相変わらず使えないけれど水は問題なし…おっと、君たち。そのままの姿でジャガイモは洗える?」
千春の質問に【ヒダル神】の一人が取り憑いていた男性の姿へと戻り『…この姿なら、水を扱っても【異界化】しないよ』と声はそのままで芋を洗い出す。
『前はびっくりしたものね』
蛇口で手を洗いながら別の【ヒダル神】が隣の仲間に話しかける。
『うん。ボクらの姿のままで水を飲むと一口で【順応】しちゃうから。水も手を触れた先から【順応】が始まって、もう二度と使えなくなっちゃったものね』
そんな会話をしながら、取り憑き先の相手の姿で芋を洗い玉ねぎの皮を剥いていく【ヒダル神】たち。
その横で材料などの点検をしていた千春が「ん?」と声を上げる。
「人参が無い」
【ヒダル神】に持ってきた携帯コンロの火をつけるように指示し、こちらに顔を向ける千春。
「おじさん、上に戻って。至急、人参が三本入った袋を二つもらってきて」
「…いや、別に人参くらいなくとも」
私は彼女を一人にすることへの心配からごねてみるも「んなわけあるか!」と千春に一喝されてしまう。
「人参が
…かくして私は来た道を戻り、どこまでも階段を上るハメとなっていた。
*
「――にしても、いつまで続くんだ?」
行きもそうだったが、いくら上れども先は見えず、必死に進めば進むほど上階は遠く見える。
ふと背後を見れば、自分が進んだ先ははるか下。
(…いや、いくらなんでもおかしいだろ)
その場にへたり込みそうになるも、ふと(…そういえば)と千春が目的の場所に行く際に叫んでいたことを思い出す。
「――私たちが出てきた【ゲート】、来い」
なんとは無しにつぶやいた言葉。
まさか、これで出てくるはずがない。
そう高をくくっていたはずなのに、目の前にはボンヤリと不思議そうな表情をしたヘルン室長の姿が見える。
『おや、一分も立っていないのに戻ったか。何かあったのか?』
室長のその言葉に私は少し迷ったあげく、こう続けた。
「あの…すみませんが人参を二袋用意してくれませんか?三本入りで」
*
『――なるほど。すでに時間のズレは生じ始めているようだな』
お願いした通り、私は人参の入った袋を【ゲート】越しに受け取り、話を聞いていたへルン室長は腕を組む。
『まあ、娘の安否だけも確認できてよかったよ。このまま千春くんに任せることにしよう』
そんな室長に「…一応、時間が無いことは重々承知なんだが」と私は前々から思っていた疑問を口にする。
「へルン室長は以前からこの異界について研究をしていて――ようはこの場所について、どのような見解を持っているか教えてくれるか?」
『――どのような…とは?』と、逆に問い返すへルン室長。
「具体的に言えば、この場所はいつから存在し。なぜ、常に変化をするのか…その理由を少しでも知りたいと思ってな」
私の近くで、より鮮明に見えるマンションの光景。
――動かない母親の横で倒れた子供の影。
床に落ちたランドセル、壁にかかったままの塾のカバン。
これらは、なぜ見えるのか。
何を目的として存在するのか?
そこに『これは、あくまで私の個人的な見解だが…』と、室長は口を開く。
『【異界】とは有史以前より存在し、重なりあった空間同士の情報を延々と読み取り続ける【場】では無いかと私は考えている』
「重なり合った空間の…情報?」
『そも、伝承として人に語られる【異界】という存在自体、人の文化に歩み寄るようにその形態を変えているということにはキミも気づいているかな?』
室長の質問に「――まあ、ネットの噂と伝承を比べれば」と私は言い淀む。
…そう、初めて千春と会った時には実感が湧かず、あのように曖昧な返事となってしまったが、正直ネットで噂される
何より、ネットの話も虚実はともかく有名になれば出版社が黙っていない。
――そんなサブカル書籍も私はたまに手にとり、目を通していた。
ただ、室長の言う通り。
伝承で認識される【異界】とネットで認識される【異界】――それらに似通う点もあるにはあるが大部分は違う形を取っていることも確かであった。
『なぜ、そうなるか。元々別の場所なのか、果ては見た側の問題なのか?』
へルン室長の言葉に私の中でふと思いつくものがあった。
「…もしかして【順応】がそれに関係していると?」
それに『私も、そう思っている』と室長はうなずく。
『――【順応】は生物で言うところの吸収に近い。肉体のみならず情報をも分解し、異界の一部する現象。それらが異界全体に影響を及ぼすものならば、対象の記憶や知識が反映されないわけがない』
へルン室長の言葉に「…つまりそれは昔から、それこそ室長が言った通り有史以前から続いていると?」と、私は尋ねる。
『
室長はそう答え、私と彼女の間にしばし沈黙が落ちる。
「――では、そろそろ戻ります」
ふと長居してしまったことに気づき、踵を返す私。
そこに『…遠野くん』と室長は語りかける。
『我々は、なぜこの二年と言う歳月を繰り返していると思う?』
突然かけられた質問に私は戸惑うも『…おそらくは』と、室長は返事を待たず、ひとり言葉を続ける。
『本来、時間は一方向にしか流れない――それが滞る理由としては何らかの要因があると私は思っている。それはこちらかキミらか。何かが欠けてしまっているからであり、それがこの時間軸を繰り返す原因となっていると私は考えている』
「――では、何が欠けていると?」
思わず聞き返す私に『遠野くん』と、室長は再度声をかける。
『…もし、そう思うのなら。些細なことでも良い。この世界で気に掛かったことを過去の私に伝えてくれ。こちらも協力しよう』
それに「でも、そうしてしまったら、そちらとは違う時間軸には――」と私は言いかけるも、わずかに距離があったためか私とへルン室長のあいだに高低差が開き【ゲート】がどこまでも遠くなっていく。
『こちらのことは気にしなくて良い』と、へルン室長は続ける。
『――これは、あくまで罪滅ぼしだ。私は帰ってきた君たちに酷い仕打ちをしてしまった。この先、挽回する余地は限りなく狭まってしまったが、出来るだけのことはしたいと思っている』
…その言葉と同時に私は見た。
隣に近づかんとするほどに寄った、マンションの室内。
机に倒れ、ハエのたかった女性。
スマートフォンと手が一体化してしまった子供の影。
その手に持ったスマホの画面が大きく乱れ、子供の背から何かが起き上がる。
痩せこけた姿。大きな穴のような眼窩。
同じような影はマンションのあちこちに見えており…
(――そうか、これが【ヒダル神】の…!)
私は「…
「おじさん、どこで油売ってきたのよ?」
目の前には千春の顔。
ついで、彼女は開いた空間の中へと私を引き込む。
――こうして私の一人時間は終わりを告げ、彼女の料理を手伝うハメとなった。
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