1.1

「何があってこんなことになったんですか!」

 事件から数分後。昼休みの残り時間が終わる前に、僕はこの件の原因となった場所と人物を特定した。

 職員室にいる世界史の教師で二年三組の担任・荒巻先生。中性的な見た目の女性で、ラフな態度と恰好から親しみやすいと言われる先生だが、少々面倒くさがりである……というのが一年一ヶ月ほど授業を受けてきた僕の印象だ。

 そんな荒巻先生には、僕史上ではかなり怒ったつもりの言い方もあまり響いていないようだった。

「何がと言われると話が長くなりそうだから、放課後でもいい?」

「駄目です。今すぐこいつが暴走した原因を教えてください」

「暴走とは失礼だなぁ。私は先生の言う事に従ったというのに」

 反省するどころかしたり顔でそう言ったのは、同じクラスの……式見恵香だった。

 先ほどすぐに思い出せなかったのは、式見と同じクラスになるのが今年初めてで、高二なってから一ヶ月ちょっとの間に、式見との絡みがほとんどなかったからだ。まぁ、式見に限らず他の女子ともあまり絡んではいないのだが。

 そんな式見の口からダメージを負った人差し指を引き抜いて、クラスメイトから何か言及される前に教室から引きずり出し、色々質問した結果……ここに連れて来られた。式見の言い分からすると、責任は全て荒巻先生にあるらしい。

 それに対して荒巻先生は、如何にも仕方ないなぁといった空気で話し始める。

「いやさ、知っての通り式見さんって、めっちゃ授業サボってるじゃない?」

「えっ、初耳ですけど。病弱で休みがちとは聞いていましたが……」

「アラマッキー何バラしてんの!? 今後サボりづらくなるじゃない!」

「サボりづらくなってくれた方がありがたいんだけどな」

 荒巻先生の嘆きに対して、式見はぶつくさ言い始める。

 式見が病弱だという話は噂として聞いていた程度で、実際に式見の顔色や授業に出席できているかどうかは気にしたことがなかった。

 ただ、事件が起こってから今に至るまでの式見を見ると……確かに元気満点だ。白い肌以外は健康的に見えるし、何ならちょっとやかましいと思うくらいの活発さがある。

「まぁ、式見さんの抗議は置いといて、ゴールデンウイーク前も授業に出席してない回数が多くてさ。その件で今日も話をしていたんだけど、いつも通り話は平行線で……」

「そこは心配ないわ。去年だってこうやって進級できる程度には出席してたんだから」

「いや、補講とか追加の課題とか色々下駄を履かせた結果なんですけど。まぁ、こんな感じで去年から二年連続で式見さんの担任をしているアタシは、振り回されているわけですよ」

 荒巻先生は疲れた感じでため息をつく。元々気だるげな雰囲気がある人だけど、それでも明確に疲れている察せるほど、式見には苦労させられているらしい。

 だけど、僕にとって荒巻先生と式見のこれまでの関係性は本題ではない。

「そこからどうして僕が出てくるんですか……?」

「ああ、そこだったね。話している中で何の拍子か忘れたけど、式見さんにも真面目に授業を受けて欲しいって言ったんだ。そこから、今の同じクラスで真面目な生徒として柊くんが思い浮かんでね。一年生の時から授業態度いいと思ってたし、他の先生もよく真面目だって言うし」

「あ、ありがとうございます」

「それで、柊くんの爪の垢でも煎じて飲んで貰いたいって、たとえ話で言ったら……式見さんがわかったと言って職員室を飛び出したわけ」

「なるほど、そういう……って、全然わかんないんですけど!?」

「アタシに言われてもわからないよ。実行犯はそっちだし」

「だから、私は言われた通りに爪の垢を貰いに行っただけよ?」

 式見はどうしてわからないのかしら、という態度で僕に言う。

「たとえ話をそのまま受け取るのもおかしいし、そこから指に噛み付いてきてるのも意味わからないんだが!?」

「だって、今から貴方の真面目成分を身体へ取り入れるために爪の垢を恵んで欲しいの――なんて言ったら絶対に寄越してくれないでしょ?」

「当たり前だ」

「それなら無理矢理奪い取るしかないじゃない」

「なんだその山賊みたいな思考は!? しかも直に摂取しようとしてるし!」

「はっ……! 確かに煎じて飲まなきゃ意味なかった……」

 式見は本当に今気付いたかのようなリアクションを見せる。

「いや、そこだけ反省するのは何なんだよ。もっと前の段階から猛省しろ」

「まぁでも、だいたいのコトはナマの方がいいって言うし、そのままでも間違ってはないか」

「何の話だよ」

 生ものだとお腹に悪い可能性だってあるだろうに……って、いかんいかん。何でこいつのペースに流されそうになってるんだ。

「ほう……」

 そう思った瞬間、僕は荒巻先生からの視線を露骨に感じる。

 普段から直感が冴えているわけではないのだが、この時だけはなぜかその視線から悪い予感がした。

「柊くん。一応、確認だけど、式見さんとはこのクラスで初めて一緒になったよね? 小中学校も別だろうし」

「は、はい。そうですけど……」

 僕の答えに荒巻先生は一人で納得しながら頷く。

「よし、ちょうどいいな。柊くん、今日から式見さんの面倒を見て欲しい」

「……はぁ!? なんで僕が!?」

「爪の垢はともかく、真面目な柊くんが色々面倒を見てくれたら、式見さんにも良い影響を与えてくれるかもしれない。アタシはさっきの会話からそれを感じ取ったんだよ」

「絶対気のせいですよ!?」

 さっきのやり取りは僕が反応しなければ会話として成立していたか怪しいし、そもそも三分に満たない会話で何かを感じ取れるとは思えない。荒巻先生が面倒になって式見を僕に押し付けようとしているように感じてしまう。

「まぁまぁ、そう言わずに。式見さん的にはどう?」

「私は全然構わないけど」

 式見はなぜか得意げな表情で言う。

「なんで!?」

「まだ爪の垢を採取できてないし、これで私が真面目にならなかったらアラマッキーも文句言えなくなるだろし」

「爪の垢の話は引きずるのかよ」

「おっけー 式見さんは乗り気だけど……柊くんは?」

「ぼ、僕は――」

「四六時中見張れってわけじゃなくて、ちょっと気にかける程度でもいいから。ね? 先生を助けると思ってさ」

 荒巻先生は下手に出るような感じで言うけど、僕にとっては先生からのお願いというだけでそれなりの圧があった。

 それに加えて職員室内にいる他の先生からも注目が集まっていることに気付く。式見の現状が本当だとすると、他の教科の先生方も式見の対応には苦労しているのだろう。そんな式見を真面目な僕が見てくれたらあるいは……という期待があるのかもしれない。

 そんな期待を寄せられてしまうと、僕の答えは一つしかなかった。

「……わ、わかりました。ちょっと気にかけるくらいならやってもいいです」

「ありがとう、柊くん! これでアタシも楽……じゃなくて、より式見さんの指導に力を入れられるよ」

 荒巻先生がそう言ったのと同時に数人の教師もざわざわとしていた。


 僕が先生から真面目と評価されることで、面倒ごとに巻き込まれるとは思っていなかった。

 今までも特に望んでないボランティア活動を勧められたりすることはあったが、それは将来的に役立つからやらせておきたいという意味がある――と僕は思っている。

 だけど、今回のこれは全く話が別だ。ボランティアのようなものではあるが、将来的に役立つ可能性はあまり期待できない。

 内申点にクラスメイトの面倒を見たボーナスがあるなら話が別だけど、そういう個別ボーナスがあるなら他の項目の実績解除を目指した方がいい。

 そもそも僕は今の時点で、式見恵香という人間にあまり近寄りたくない雰囲気を感じ取っている。初対面で他人の指に噛み付くような女子が――

「――みんな勝手ね」

「えっ?」

「まぁ、いいわ。暫くよろしくね。真面目な模範生徒クン」

 でも、他でもない先生方から頼られたのなら仕方がない。

 僕は――真面目な生徒なのだから。

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