野茨の夢

ましさかはぶ子

茨島村





遠い場所で異国からの船が来たと言う噂が廻った頃だ。

だがこの茨島いばらじまむらではそれは現実感が無い話だった。


それよりも二年程前に起きた地震でここでは大きな被害が出た。


小さな村で村民もそれほど多くは無いが、

夜中に起きたせいで建物の下敷きになる者が多く、

火事も所々で起きた。

近場の山では大きな地割れが出来た。


遠い所の黒船騒ぎより、

村を立て直す方が目の前の問題だった。


「お花ちゃーん!」


雪が名前を呼びながら川辺を歩いていた。

彼女は可愛らしい顔立ちの若い女性だ。


「お雪ちゃん、こっちにはいなかったよ。

そっちもいなかったのか?」


丸眼鏡をかけた痩せた若い男性が川上側からやって来て

雪に近寄り言った。


「そうなの、彦介さん。

でも一体どこに行っちゃったのかしら。

もうすぐ日が暮れるし。」


雪は不安そうな顔をして周りを見渡した。


雪と彦介は茨島村の禰宜ねぎと巫女のような役割をしている。

そしてそこでは先の地震で親を亡くした子どもの面倒を見ていた。


その中の一人の花が昼頃から姿が見えなくなったのだ。


三歳の小さな子だ。

黒川に向かって歩いていたのを見た人がいた。


黒川は暴れ川だ。

山に雨が降ると水量が増えて川幅が増す。


今はしばらく雨も降っていないので、

水の流れより石がごろごろと転がっている川べりが目立っていた。


それでも小さな子にとって川は危ない所だ。

それをどうして止めてくれなかったのかと

雪は少しばかり腹が立ったが、今は探すのが先決だ。


だが徐々に日は傾いて来る。

そして最悪な予感が心に広がり胸が苦しくなっていた。

川岸には茨島村の名の由来となった野茨がびっしりと生えている。

白い花を咲かせて良い香りがするが、

今はそれどころではなかった。


「どうしよう……。」


雪は立ち竦み、彦介は不安げに彼女を見た。


その時だ。


川下側から人の声がする。

男性の野太い声と子どもの声だ。


「だからな、一人で川に行ったらいかんぞ。」

「……あい。」

「おっちゃんがいなかったらどうなったか分かるか?」

「あぶない?」

「そうだ、危ないんだ。死んだかもしれん。

だからもう絶対に一人で川に行ったらいかん。」


声が近づいて来る。

雪は思わずそちらの方に向かって走り出した。


「お花ちゃん!!」


子どもの声は探していた花の声だったのだ。

走った先には大八だいはちぐるまに荷物を積んでそれを引いている中年の大男と、

荷物の上に色の褪せた羽織にくるまれた花が座っていた。

荷物には分厚い布がかぶせてある。


大男はぽろぽろの腹掛と股引を身に付けているだけだ。

厚い胸元と太い腕がむき出しになっている。

そして男の右肩には木の枝のような薄い模様があった。


「ゆきちゃん!!」


花は雪の姿を見るとわっと泣き出した。

そして大男は大八車を止めると花を抱き下ろした。


走り寄って来た花を雪は強く抱きしめた。

彼女は着物を着ておらず古い羽織でくるまれていた。


「母ちゃんか?」


大男はにかりと笑った。


見上げるような偉丈夫だ。

彦介が恐る恐る彼に近寄った。


「あの、ありがとうございます。

私はこの村の禰宜をやっている彦介と言います。」

「なんだ、父ちゃんじゃないのか?」

「はい、親の無い子の面倒を見ていて、この子もその一人で……。」


男は雪と花を見た。


「なんだ、この子は父ちゃん母ちゃんがいないのか。可哀想にな。」


雪が花を抱いて男のそばに寄って来た。


「ありがとうございます。ずっと探していたんです。」

「そうか、手助けが出来たんなら良かった。」

「その、どこでこの子を……。」


大男が川下を指さした。


「この先で川底の砂を調べていたんだ。

そうしたらこの子が流れて来てな。びっくりしたよ。」


雪と彦介は背筋がぞっとした。


「この子が着ていた着物は車の後ろに干してある。

まあ川上から流れて来たからな、

そちらに行けば家があるだろうと歩いて来たんだ。」


男はからからと笑った。


「本当に、もう……、

絶対に一人で川に行っちゃいけないと言ったのに。」


雪と手を繋いでいる花が俯いて小さくなった。


「まあ、助かったし、俺がずっと説教したからな、

許してやれよ。

花ちゃん、もう絶対に一人で川には行かんな。」


男が身をかがめて花に顔を寄せた。

少女はちょっと顔を上げて男を見る。


「あい……。」


そして大男は豪快に笑った。


「あの、私は雪と言います。」


男は雪を見た。


「俺は金剛だ。旅暮らしをしている。」


彦介が金剛を見た。


「旅ですか、今夜はどこかに泊まるのですか?」

「いや、決まってないな、野宿かと思っているんだが。

どこか良い場所は無いかな。」


彦介がにっこりと笑った。


「もうすぐ日も暮れますし、

よろしければ今夜はやしろにいらっしゃいませんか。」

「おっ、それは助かるな。良いのか?」


金剛が嬉しそうに笑った。

その表情は嘘偽りのない正直者の顔だった。






茨島村の社は小さな所だった。

いわゆるむらやしろだ。


鳥居は地震で倒れたようでそのままだった。

その色は白い。

それには野茨の花の周りに茨が取り巻いている

神紋が刻んであった。


建物も所々修繕の跡がある。

地震で壊れたのだろう。

社としての名残があるものは倒れた鳥居だけだ。


三人の子どもが不安そうに境内の入り口に立っていたが、

雪達の姿を見ると駆け寄って来た。


「彦さん、雪ちゃん!」


そして後ろにいる金剛を見る。

子どもたちはぽかんと口を開けて彼を見上げた。


彦介もどちらかと言えば背が高い。

だが金剛はその彼でも肩に届く背の高さで

筋肉隆々だ。


一瞬皆後ずさる。

だが大八車から花がひょいと顔を出すと、金剛は彼女を高く抱き上げた。


花が思わず笑い出した。

その花を下に降ろすと金剛が引いている子ども達を見た。


「次は誰だ?」


彼がにやりと笑うと花がすぐに金剛の足元に寄った。


「もっとやって。」

「だめだぞ、順番だ。みんな来い。」


すると子ども達は顔を見合わせる。そして、


「おいら!」

「うち!!」


金剛はにこにこしながら子どもを順に抱き上げた。

雪と彦介はそれを見る。


「なんかあっという間に子ども達が慣れたわね。」

「ああ、なんだか不思議な人だな。」


そしてすぐに風呂が焚かれた。

花は元気だったが体が冷えているかもしれない。


そして金剛も風呂に入る。


花と一緒に金剛が入っていると他の子ども達がちらちらと覗きに来た。

それを金剛がにやにやしながら見ている。


「おい、お前らも入るか?」


子ども達は声を上げてすぐに着物を脱ぎ

風呂場に入って来た。


そして皆が出てくると食事が用意してあった。

外は既に暗くなっている。


「本当に金剛さん、色々とすみません。」


雪がご飯をよそいながら金剛に言った。


「いやいや、なんの、泊まる所どころか食事と風呂まで。

ありがたい。」


と金剛が手を合わせた。

子ども達もそれを見て一緒に手を合わせる。


「俺は子どもが好きだ。可愛いなあ、こいつら。」


金剛がむさぼるようにご飯を食べている子ども達を見た。

彼の隣で食事をしている彦介が金剛に笑いかけた。


「大した食事を用意出来なくてすみません。」


彼らの目の前にあったのは米に雑穀や野菜くずを

混ぜて煮込んだ粥だ。

香のものが添えてある。


「なんのなんの、上げ膳据え膳で本当に贅沢だ。

野宿と思っていたからな、俺は嬉しい。」


金剛がにやりと笑った。


「ところでこの子達はみんな親がいないのかね。」


彦介が子どもを見た。


「そうなんです、二年前の地震で親が亡くなったんですよ。

だから社で面倒を見ているんです。」

「ああ、」


金剛が少しばかり遠い目をした。


「この辺りだけ酷かったらしいな。」

「ええ、近場の村でも被害はあったのですが、

この茨島村が一番酷かった。」

「山が崩れて地面が割れたんだろう?」

「え、ええ、地割れが起きて……、」


彦介が少しばかり不思議そうな顔をした。


「金剛さんはここの地震の事をご存知ですか?」


金剛は香の物を良い音を立てて食べた。


「ああ、噂でな。」


金剛は食べ終えた器に茶を淹れて中を拭うように回すと

それを飲んだ。


「ごちそうさまでした。」


彼は手を合わす。

そして子ども達も彼の真似をして手を合わせた。


「なんだか今日はみんなお行儀が良いのね。」


と雪が笑った。


「なんだ、みんないつもは良い子じゃないのか?」


金剛が笑った。

すると一番年上の子どもが少しふくれた。


「そんな事ないよ、おいら達はいつもちゃんとしてるぞ。」

「そうかそうか、お前は何歳だ、名前は。」

「おいらは寅松だ、六歳で、こいつは長丸ながまるで五歳だ。」


寅松は髪の毛を後ろに一つにまとめている。

そして長丸はおでこが立派な子どもだった。


「うちは小春、四歳だよ。」

「あたいは三歳。」


小春は赤い着物を着た子どもだ。

そして花は愛嬌のある顔で笑っている。


「おいらは六歳になったから権蔵さんとこで仕事してるんだぞ。

畑仕事してるんだ。」

「そうよね、このお野菜ももらって来てくれたものね。

嬉しいわ。」


雪が寅松に言うと彼は少し恥ずかしそうに笑った。


「そうか、偉いな、おっちゃんは感心したぞ。」


大袈裟に金剛が頷く。

そして子ども達は金剛から離れない。

やがて気が付くと子ども達と金剛は同じ部屋で

一緒になって眠っていた。


雪が彼らに上掛けを掛ける。

そして彼女がくすくすと笑いだした。


「お雪ちゃん、どうした。」


わずかな光の中で書を読んでいた彦介が雪を見た。


「もうなんだかみんな可愛らしくて。」

「子ども達か?」

「金剛さんもよ、一緒になって寝てる。」

「そうだなあ……。」


彦介が書を再び読み始めた。


「何だか不思議な人だな。

すぐに人と仲良くなって、

人見知りする子ども達もあっという間に慣れた。」


彼は子ども達が眠っている様子を見た。


「どこから来た人かよく分からんが、

明日にでも話を聞いてみたいな。」

「そうね。」


と雪は彦介に近寄り読んでいる書をそっと閉じた。


「彦介さんももう終わりです。

あまり暗い所で書は読まないようにと言われているでしょ。」

「ああ、まあ、でも早く読み解きたい。」

「目が悪くなります。明日の昼間にしましょう。」


彦介はやれやれと言った様子で

眼鏡をはずして立ちあがった。


「そうだな、じゃあ明日だ。

でもこの社の蔵書は相当あるから。

昔から読んでいるけどまだ読んでいないものも沢山ある。」


お雪はふと思い出し、少しばかり悲しい顔をして言った。


「お父さんが亡くなる前に彦介さんに

本を助けてくれと言ったものね。

お父さんもいつも本を読んでいたわ。」


彦介がため息をつく。


「崩れた家の中から本を二人で持ち出したね。

あれは大変だった。」


雪は父と彦介がいつも話し合っているのを見ていた。


二人とも研究熱心で物事を突き詰める性格だった。

熱心になると食事すら忘れる二人だ。

それを雪は母と少しばかり呆れながら見守っていた。


そのような日々はずっと続くと雪は思っていた。

そしていずれ彦介と所帯を持ちこの社を継ぐつもりだった。


だがあの時起きた地震は全てを変えた。


あの日、村は激しい雨と雷に襲われていた。

誰も恐ろしさで家から出る事も出来ず、

田や畑を見に行くことも出来ない。


それは一日続き、皆は眠る事も出来なかった。

やがて嵐は収まったが、

疲れ果てた村人が眠り込んでいる時に地震が起きたのだ。

雨でどっしりと重くなった屋根は家を圧し潰した。

亡くなった人も多かった。


本当なら雪は二年前に彦介と祝言を挙げていたはずなのだ。

地震で父母は亡くなった。


社も崩れてしまい、

今は村人総手で建ててもらった急ごしらえの村社だ。

そこで親を亡くした子ども達を引き取って育てている。

自分達の家を建て直す前に

ここを作ってくれた村人への恩返しの気持ちもあった。


父母を亡くした雪の喪が明けても

子ども達には手がかかり祝言どころではなかった。

それでも本当にここしばらくやっと落ち着いて来た。


彦介が明かりに手を掛けた。


「今日は色々あって疲れただろう、お雪ちゃんも休むと良い。」

「そうね、おやすみなさい。」


と二人は別々の部屋に向かった。


まだ地震の被害はあらゆる所に残っていた。

この社も例外ではなかった。

祝言はまだ伸びるかもしれないと雪は思っていた。


だが彦介が一言言ってくれればとそんな気持ちもあった。

自分から言い出せば良いのだがそんな事は出来ないと雪は思った。


「女から言い出すなんて……。」


雪は呟く。

だが彼女は早く落ち着きたかった。




明け方、金剛がむっくりと起き上がった。

周りにはぐっすりと眠っている子ども達がいた。

小さな寝息が聞こえる。

金剛は子ども達に上掛けをかけなおすと、音もなく部屋を出た。


空はまだ夜の気配だ。

ほんのわずか東の空が薄明るくなっている。


金剛は大八車に近寄ると桶とその下から長いものを取り出した。


それは刀だった。


それはまだ鞘に納められている。

鞘は普通の刀よりかなり長く幅も広いおお太刀たちだ。

柄も太いが金剛が手に持つと丁度良い太さだった。

彼はそれを背負うと黒川の方に歩き出した。


川の流れは静かだった。


彼はその中程にざぶざぶと入り込むと刀を抜いた。


その刀は半分に折れていた。

薄暗い中に冷たい光が見える。


しばらく彼は構えたまま立っていた。

するとその刀がほのかに光り出した。

光は元の刀の形なのか、折れた先にも光があった。


そして彼はそれを振り上げて川面に振り下ろした。


風を切る音がする。

だが水音はしない。

水面の寸前で刀の光は止まっていた。


すると魚が何匹もゆらゆらと浮き上がって来た。


金剛はにやりと笑うとその中で大き目の魚を数匹掴み、

川べりに投げた。

彼はそれを数回繰り返し、魚を何匹も捕まえた。


金剛は川岸に行くと魚を集め、

大き目の三匹だけは桶に入れて生きたまま残した。


彼は刀を持ったまま片手で魚を拝む。

そしてその場で小刀を出して魚のはらわたを器用に出した。

それが終わると適当な枝を拾って捕まえた魚をまとめて

社の方に歩き出した。


「あら、金剛さん、おはようございます。」


社に戻ると雪が起きており、朝食の準備をしていた。


「ああ、雪さん早いな。」

「こんなものですよ。」


と雪が笑う。そして金剛が手に持っている魚を見た。


「あら、魚だわ。」

「子ども達に喰わせてやってくれ。

腸は出してあるから悪いが焼いてくれるか?」


雪が驚いた顔をして金剛を見た。


「獲って来たんですか?」

「ああ、それとちょっとお願いがあるんだ。」


金剛は桶を外の井戸近くに持って行き水を変えた。


そして彦介と子ども達が起きて来た。

子どもは井戸のそばにいる金剛に近寄って行く。

そして桶を覗き込んで歓声を上げていた。


「ほらお前ら顔を洗え。ここで洗わせて良いかな。」

「お願いします。」


彦介が返事をする。


一通り子ども達の準備が済むと彦介が金剛に近寄って来た。


「何だか昨日から色々とすみません。」

「なんのなんの。」


金剛が魚を覗き込んでいる子ども達を見て笑った。


「子どもとこうやって暮らすのも滅多にないからな。

面白いな、子どもは。」


金剛が彦介を見た。


「ところでな、頼みがあるんだが。」

「え、はい、なんでしょうか。」

「この村には鍛冶屋はあるかな。」

「鍛冶屋ですか。」


彦介が少しばかり不思議そうな顔をした。


「一応ありますが、野鍛冶ですよ。」


野鍛冶は主に農機具や生活用品を扱う鍛冶屋だ。

そのような所に金剛は縁があるのだろうかと彦介は思った。


「あるのか、野鍛冶でも全然大丈夫だ。

朝飯を喰ったら連れて行ってくれんか。」

「はい、構いませんよ。」


その時、台所から雪の声がした。


「ご飯よ、今日はお魚もあるわよ。」

「魚?確かに匂うなと思ったけど。」


彦介が呟いた。

子ども達が嬉しそうに中に入って行く。


「俺が朝獲って来た。彦さんも喰えよ。」


金剛がからからと笑った。







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