Y

どですかでん

あいとえみ

 そのころ、あいとえみのふたりは学校から抜き足差し足、泥棒のようにぬけだして、リュックを浮わつかせていた。むねがわくわく高鳴った授業の初日も、省庁あがりの教授の「えー」「あー」にぶちこわされて、まわりの学生もひそひそばなし、ババぬきをしたりと、目もあてられない。これが大学かとあきれて、あいはとなりで舟をこいでいたえみに、映画でも見に行こうやと肩を叩いた。えみはよろこんで「こんな七流大学にゃおさらばさ」と意気揚々、門扉の警備員に挨拶して、いまは渋谷への道すがら。


 渋谷ゆきの電車のプラットフォームにたつ。


 ワニを飼いたいんだよねとあいはいった。


 プールつきのヴェランダに飼育して、小ワニの妄想でもするのである。

 自分の娘にいっさい言葉を教えず、愛玩動物として育てこんだ富豪があるという。そのスリル。娘の胸背や肢体にむける親のまなざし。征服欲。それと似たものかとあいはおもった。


 なぜワニが好きなのかと、えみが眉間をよせる。


「じつは子供のころ、ワニのたまごを見てショックを受けたんだよ」


 携帯でさがしだした写真をみせる。ニワトリのたまごにそっくりの卵殻を、腕が今にもシンクの角のステンレスに叩きつけようとしていて、下には火がかかったフライパン。おもわずえみの目がまるくなると、


「これ、おじさん。ワニを養殖してるひとで、たまごのほとんどは孵化するんだがね、たまにひびが入ってるものがあって、そういうのはぜんぶ回すんだって。ひとついくらか当ててみ?」


 えみはじっと考えこむしぐさをして、適当に、千円?と答える。


 すると指をぱちんと鳴らして、あいは人差し指をぴんとのばした。


「ははん。万だよ万。一個で万」


 うれしそうに鼻を高くした。

 おじさんの親類であることを自慢したいのか、たまごを自慢したいのか、えみにはわからなかった。


「そのたまご焼き、食べてみたら、ぜんぶ黄身にかわっちゃったみたいで味が濃かった。まるで白身ぬきのたまご。とても鶏とはくらべものにならないね」


 えみはうそぶくようにしゃべるあいをよそに、メレンゲをおもいうかべた。クジラの肉もうかんできた。ゲテもののような気がしたのだ。


「たまごから文鳥を育てた、というのをドラえもんでみたけど、ワニもたまごから育てられるんじゃないかって気がついて、おぼろげに、絶対ワニ、育てたいなって」


 うなずいたえみは「なんか不思議」とわざと嘆息した。

 あいはあごに手を当ててえへんと得意げに「そう?」といった。


「だってさ、それってけっこうトラウマじゃない? もし食べたたまごがワニだったら、やじゃんか。子供のころ、池でメダカみたあと、しらすがおかずに出たことがあるんだけど、なんだかメダカを食べてるみたいで気持悪かったもん。考えてみいよ。ほら。食べたたまごがカエルとかだったら、やじゃんか」


 するとあいは口を尖らせて、


「いやいや、ちゃうよ。えみくん。きみのほうこそ考えてもみたまえ。ダチョウのたまごを食べても不快感はないやん。それはダチョウという生きものに不快感をいだいてないからじゃ。たとえばカエルはさ、もう見た目からしてニワトリとはだいぶ異なるじゃん、卵が。とうめいのビー玉のなかに、正露丸みたいなやつ、あるし」


 えみはこころで、正露丸、古っ、と微笑すると、それをみすかしたように冗談で


「まあ、じんたん、くろしんじゅ、こくとうあめ、藍玉、パチンコ玉、目ん玉、尻子玉、肝っ玉、銀玉、黒玉、児玉、埼玉、シャボン玉、善玉、悪玉、無駄玉、焼玉、たまたま……」


と続けて、もう黒ですらない。内心タピオカでいいよとひそかに思うと、


「でも、ワニのやつはいつも食べてるニワトリのとほぼおなじだし、違和感なく食べれるよ」


 ようやく電車が来て、雲の影に覆われた渋谷に向かった。

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