第12節 花嫁と闖入者と、大脱走。

 追手を振り切るように僕は式場に向けて走り出した。

 場所はもう分かっている。

 アオイさんが事前に情報を掴んでくれていたお陰だ。


 グランバーグ聖堂の一階にある教会形式の式場。

 そこにルネはいる。


「ルネ!」


 式場に飛び込むと、まず目に入ったのは大きな女神の像だった。

 いつかストロークホームスの教会で見た時と同じ、太陽神アテネを象徴する像だ。

 そして次に、席を埋める招待客たちの姿。

 その中にはダスカの姿もある。

 彼女の隣に座っているのは、ダスカやソルの実母であり、ルネの継母だろう。


 全員、突然の闖入者に驚いたように目を丸くしていた。


 奥に、純白のドレスに身を包んだ女性がいる。

 ルネだ。

 神父の前に立ち、横にはホグウィードの姿もある。

 ホグウィードを直接見るのはそれが初めてだった。


 鬼の姿のまま僕は式場に足を踏み入れ、ルネに近づく。


「何だお前は」


 僕を見たルネの父親が立ち上がり、立ちはだかった。


「お前、まさかあの時乗り込んできた男か」


 半分鬼と化した僕の姿を見て、ルネの父親が訝しげな視線を向ける。

 僕は彼をまっすぐ睨みつけた。


「ルネは連れて行く。婚姻はさせない」


「何を勝手なことを……!」


 ルネの父親が魔法を使おうとしたが、それより僕の方が一歩早かった。

 魔法を撃たれるより先にルネの父親を組み伏せ、無力化する。


「うぐ……! おい、何をボサッとしている、警備を呼べ! 私を助けろ!」


 ルネの父親の首に鬼化した太い腕を回す。

 軽く首を締め上げると「ぐぇっ」という声が上がり、その場にいた全員が動きを止めた。


「あなた……!」


「見逃して上げた恩を忘れたのですか!? 父様を放してください!」


「ダスカ、悪いけどその頼みは聞けない。この男を放して欲しかったらルネを渡してくれ」


 僕が言うと、ダスカは答えを出しあぐねて俯く。

 少し悪い気がしたが、こっちも必死なのだ。

 こうでもしないとルネを永遠に失うことになる。


「やれやれ、無粋な人は嫌いです」


 すると、落ち着いた声でホグウィードが言葉を挟んだ。

 動ずること無く、冷めた目でこちらを見ている。

 僕はルネの父親を縦にしたまま、ホグウィードと向き合った。


「神聖な挙式に無粋な人だ。すぐにお帰りいただきたいものです」


「ルネを返してくれたらすぐに帰るよ」


「いけませんね、花嫁を奪うなど許される行為ではありません」


「そんな結婚、ただのまやかしだ!」


「お黙りなさい」


 僕が叫ぶと同時に、ホグウィードの目が赤く輝く。

 見覚えのある光だ。

 ルネが意識を奪われたものとよく似ている。


 とっさに目を逸らそうとするも、遅かった。

 僕の自由が効かなくなり、体が強張るのが分かる。

 魔法に掛かっていた。


「くそ……!」


「そうそう、そうして大人しくしていてください」


 あともう少しなのに。


「ルネ……起きて……起きてよ!」


 空気が張り詰める。

 招待客たちは何が起こっているのか理解できない様子で、固唾を呑んで状況を眺めていた。

 僕は目に光を宿さないルネに、掠れた声で必死に呼びかける。


「こんなところで……終わって良いのか! もっと……店……大きくするんだろ……!」


 全身が岩になったみたいにまともに動かない。

 出せるはずのない声を、無理矢理絞り出した。

 額から汗が流れ、喉元に血管が浮かび上がる。

 鬼の血を巡らせ、全ての膂力を用いても体が重く、ほとんど動かない。


「ストローク、ホームス……」


 すると、僕の言葉にピクリとルネが反応するのが分かった。

 瞳が揺れている。


「そうだ……僕たちの帰る場所だよ……!」


 僕が声を絞り出すと、ホグウィードが鼻で笑った。


「何を言おうと通じるものか。おい、警備はまだか」


「通じる! だってルネは……天才魔女なんだろ!」


「天才魔女……」


 僕は全身の力を振り絞り、ジリジリとルネににじり寄った。

 体が強固な縄で拘束されているようだったが、必死にもがく。

 最初は鼻で笑っていたホグウィードは、魔法を掛けているにもかかわらず僕が動くのを見て少しずつその笑みを消していった。


「このまま一生このままでいいのか! 自分だけの人生を手にしたくて、この街を出たんだろ!」


 僕は懸命に声をかける。


「帰るぞ、僕らの家に! 店長!」


「私たちの……家……?」


 その時だった。

 ハッとしたように、ルネの揺れていた瞳がピタリと止まると。

 彼女はこちらを向き、虚ろな目に光を宿した。

 はっきり焦点を合わせて、まっすぐ僕の方を見つめる。


「道也……?」


「あぁ、そうだ! 僕だよ! 道也だ!」


 僕が叫ぶと同時に、ホグウィードが驚愕の色を目に浮かべた。


「馬鹿な! 私の精神支配を破れるはずがないのに……」


「ホグウィード、何をしている! 早くこの男を捕まえろ……!」


 僕に拘束されたルネの父親が真っ赤な顔で声を絞り出す。

 ホグウィードは狼狽したように「しかし……」と言った。


「何故だ、何故私の魔法を破れる? この小娘はともかく、この男は何故? 一体何が……」


 ホグウィードは何やらブツブツ呟いた後、やがてハッとしたように僕の方を見た。


「お前まさか、ユラヌスの血縁者か?」


「はっ?」


 何の話だ。

 疑問に思っていると、いつの間にかルネがホグウィードに手をかざしていた。

 そして彼女がグッと手を握りしめた途端、バチンと閃光が走り、ホグウィードが白目を剥いて気絶する。

 同時に、僕の体の拘束が一気に解き放たれた。


「あぁ、頭痛いわね……。何かずっと最悪の夢を見てたみたい」


 ルネはコキリコキリと首を鳴らすと、グッとその場で伸びをした。

 そして、ふと自分の姿を見た。


「あれ、何この格好? 今って昼間? 何で私、ウサギになってないの? っていうかここどこ? んで道也はウチのクソ親父を捕まえて何やってんのよ」


「話は後! 早く逃げるよ!」


 矢継ぎ早に質問が飛んでくるも、今はそれどころじゃない。

 僕はルネの父親を解放すると、ルネに近づいた。

 そのままルネをお姫様抱っこの状態で抱える。

「きゃあ!」とルネが声を上げた。


「何すんのよ、このスケベ!」


「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」


「うぅ……、よくわかんないけど、逃げるならさっさとなさい!」


「御意!」


 僕が走って式場から逃げようとすると、「待て」と背後から声を掛けられた。

 ルネの父親だった。

 彼はフラフラとよろめきながら、近くの椅子に体を預けて立ち上がる。


「ルネ、呪いを解くためにこの街に来たんだろう。良いのか、呪いを解かなくて。お前のその状態は一時的なものだ。ここから去れば、また呪いが再発するぞ」


「娘を騙し討ちで結婚させようとしたくせに何言ってるんだ!」


 僕が叫ぶと、そっとルネが僕の口を手で塞いだ。

 驚いている僕をよそに、ルネは僕の肩越しに父親を振り返る。


「やっぱ呪いは自分で解くわ。悪いけど、シルヴァニー家とは今日で絶縁するから」


「何だと……?」


「戻ってきて分かった。あんたたちは私の家族じゃない。私を利用しようとする奴しか、ここにはいなかった。だから気付いたの。やっぱりここは私の帰る場所じゃないって。私の帰る場所は……別にあるのよ」


 唯一の肉親と縁を切ると言ったルネの表情には迷いがなかった。


「行くわよ、道也」


「うん!」


「お、おい、待て!」


 ルネの父親の呼びかけから逃れるように、僕たちは式場を飛び出した。

 追手が来る前にこの場から去らねばならない。


 全速力でダッシュし、風を切るように建物を出た。

 すると、遠目に壁際に追い込まれているポロとピリカの姿が見える。

 今まさに黒装束の男たちに囲まれ、拘束されようとしていた。


「もうダメやぁ! 助けてくれぇ!」


「くぅん……」


 その様子を見た僕とルネは顔を見合わせ、お互いに頷く。


「道也!」


「分かってるよ!」


「「せーの!」」


 ルネの掛け声と同時に、僕は地面を蹴って大ジャンプした。

 全身が宙を舞うと同時に、ものすごい勢いで空気の流れる音が鼓膜を奮わせる。

 ルネは片手でウェディングドレスのスカートを押さえると、空いた手でパチンと指を鳴らした。

 ピリカたちを囲んでいた男たちが光の輪で拘束され、僕が着地すると同時に男たちが吹き飛ぶ。


「ピリカ、ポロ、無事!?」


 声をかけた途端、ピリカがすがりつき、ポロが巨大化した頭を擦り付けてきた。


「道也ぁ、店長ぉ、無事やったんかぁ! もうダメやと思たぁ!」


「わんわん!」


「遅くなってごめん。無事で良かったよ。早くここから逃げよう。ピリカとポロは僕が運ぶから、ルネは魔法で動ける?」


「当たり前でしょ。誰に物言ってんのよ」


 ポロに首輪を掛けて元の子犬に戻し、その場を去ろうとすると。

 誰かが僕らの後ろに立った。

 一人だけ魔法に掛かっていない人間がいたらしい。


「姉さん……目を覚ましたんだね」


 ソルだった。

 僕と揉み合った時のダメージが残っているらしく、まだ体がふらついている。

 襲われるかと身構えたが、その様子は無かった。


「父さんを裏切ったらどうなるか分かってるの。それに僕がいなければ呪いも、解けないかもしれないよ」


 ソルが壁に体をもたれかけながら息も絶え絶えに言う。

 その言葉にルネはフンと鼻を鳴らした。


「悪いけど、私あの男とは縁を切るから」


「家族じゃなくなるってこと……?」


 ルネははっきりと頷く。


「私はあんたたちのこと、心のどこかでまだ家族だと思ってたみたい。でも、この街に来て分かったわ。誰も私のことを家族だと思ってないんだって。唯一の血を分けたあの男ですらね。だから決めたの。もうあいつの支配は受けないって」


 ルネはこちらをチラリと一瞥し、フッと笑みを浮かべる。


「私の家族は別にいるのよ」


 決別の言葉を耳にして、ソルの瞳に悲しみが宿るのが分かった。

 何でもないように見えるけれど、寂しがっているのが分かる。

 でも、ルネはもう止まるつもりはないのだろう。

 何よりも家族に裏切られ続けたのは、彼女だったのだから。


「私は大魔法使いのルネ様だからね。あんたに解ける魔法を私が解けない訳ないじゃない。きっといつか解いて見せるわ」


「いっつもそうだ……。いつも姉さんばかりが自由になる……」


「私は自分で選択しただけ。羨ましかったらあんたも、自分で自由を選べばいいのよ。血を守ることなんて関係なくね」


 ルネの言葉にソルは悔しそうに唇を噛んだ。

 すると、聖堂の方から何やら騒がしい声が聞こえてくる。

 魔犬や花嫁強奪の騒動を受けて、追手が集まろうとしているのが分かった。


 あまり長居はしていられない。

 僕はポロとピリカを抱きかかえたまま、ルネに声を掛けた。


「行こう、ルネ!」


「ええ!」


 ソルをその場に残し、僕らは駅へと向かう。

 すると眼の前に不意に車が停まった。

 窓が開き、アオイさんが姿を見せる。


「乗って下さい! 駅まで送ります!」


 どうやら万一のために待機してくれていたらしい。

 アオイさんの姿を認識したルネは「はぁっ!?」と声を上げた。


「アオイ!? 何であんたがここにいるのよ!」


「こっちにも色々あるの! さぁ早く!」


 言われるがまま僕らはアオイさんの車に飛び込む。

 もみくちゃになったまま後部座席になだれ込んだ。

 ドアを閉めると同時に、アオイさんが車を走らせる。


 グランバーグ聖堂が遠ざかっていく。

 追手の姿が見えなくなり、ようやく一息つくことができた。


「ふぅぅ、どうにか助かったなぁ……」


「アオイさん、ありがとうございます。お陰で逃げられました」


「ねぇ、何が一体どうなってんのよ。何でアオイがここにいるの?」


「事情は帰りの電車で話すよ」


「うぅ、納得できないんだけど」


「とにかくルネ、無事で良かった」


 アオイさんが嬉しそうに笑った。

 ルネは唇を尖らせる。


「仕方ないから、これ貸しってことにしといて上げる」


「いつか返してくれるのを待ってるわ」


「ふんっ」


 ルネは少し照れくさそうに顔をそらした後。


「とにかくみんな、ありがとう……」


 と小さな声で言った。

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