第12話 おいしいケーキと紅茶も知っている
オレは近くの店に小早川沙月を連れてきていた。
かなり有名な歴史ある紅茶専門店だ。
扉を開けると、ふんわりとした茶葉の香りと甘いケーキの香りが交じり合って、オレたちを迎えた。
店内はエレガントなインテリアで彩られ、シックな色調の壁と、深い色をした木目の家具が上品な雰囲気を醸し出している。
店内にはクラシカルな音楽が流れており、それがまた穏やかで優雅な空間を演出していた。
目を引くのは美しいガラスショーケースに並べられた色とりどりのケーキだ。
しかし、それ以上に目を引くのは壁一面に陳列された茶葉の缶の数々だ。
500種類以上の茶葉があり、それぞれの名前と産地が記されている。
ちなみになぜオレがこんな場所を知っているかというと、ブラック事務所の時に紅茶にうるさい女がいたためだ。そいつにパシられたり、付き合わされていたからだ。
「わぁ……」
小早川沙月が感嘆するような声を出した。
たしかにこの茶葉缶の眺めは壮観だろう。
「ここ、いい雰囲気ですね……。師匠」
「言っておくけど、オレは君の師匠にはなってないからな」
「はい! もちろんです、ハルカさん」
とてもいい返事だった。
オレたちはリネン素材のスーツを着たウエイターに案内され、席についた。
「好きな紅茶とか、ケーキの種類とかはある?」
小早川沙月に尋ねると、彼女は左右に首を振った。
「深蒸し煎茶と、水ようかんですね!」
なんともユニークな答えが返ってくる。
「…………多分それは置いてないんじゃないかな」
たしかに茶葉自体は同じだが。
緑茶・紅茶・烏龍茶・プアール茶。それらは茶葉は同じものだが製法が違い、何より味も香りも全然違う。
「じゃあ水ようかんしかわかりません」
「……水ようかんはケーキじゃないんじゃないかな」
「でも、うちのクリスマスケーキは水ようかんと練り切りでしたけど……」
……どうなってんだ小早川家。
「よくわからないので、お任せしていいですか?」
オレは頷いて店内に視線を巡らせると、それに気づいたウエイターが近づいてきた。
「すみません、注文をお願いしたいのですが――」
と、オレは彼に言った。
注文を終えて小早川沙月のほうを見ると、彼女は落ち着かない様子で店内を見回していた。
「……すごい、雰囲気いいですね」
ほぅ、と彼女は息をついた。
彼女が落ち着くまで待ってから声をかける。
「それで、オレに何か用事があったということでいいのか?」
「はい。まずは先日のお礼をと思いまして。本当はすぐにでもお会いしたかったのですけど……。ですが、マスターが見せてくれた剣技が何もわからないままでは、お会いするのも申し訳なく……」
「……マスターでもないかな」
「はい。師父」
「それも違うから」
「わかりました、ハルカさん」
「それで会いにきたってことは、オレが何をしたかもう判ったってことか?」
オレが尋ねると、彼女は自信を持って頷いた。
「はい」
「あれは――」
と彼女が自分の理解を説明しようとしたところで、ウエイターがケーキと紅茶を持ってきた。
彼女に注文したのは、抹茶仕立てのオペラケーキだ。
緑と白で幾重にも層になった、美しい見た目をしている。
ホワイトチョコの濃厚でクリーミィな甘さ。層になったビスキュイとバタークリームのくちどけが高級感を感じさせるものだったはずだ。
そこに抹茶の深い味わいと苦みがアクセントになる。
「キレイ……」
エレガントな形のティーポットから、細やかな装飾のされたティーカップに、蜂蜜のような薄い色の紅茶がそそがれていく。
甘く、優雅で、独特な香りが広がる。
茶葉はジャスミン・ドラゴン・パール。
パールのような丸い形をしており、一つ一つ手作業で丸められている。それがジャスミンの花で香りづけをされているのだ。
その香りに、小早川沙月はうっとりした表情を見せた。
オレの前に置かれたのは栗のモンブラン。
モンブランは薔薇の形をしており、見た目にも美しい。
紅茶はダージリンのセカンドフラッシュ。
そそがれると、さわやかなダージリンの香りが広がる。
「いただこうか」
オレはダージリンに口をつける。さわやかな香りとともに、力強い紅茶の味――そこに熟した果実のような風味が加わっている。
「……ふう」
久々に紅茶を飲んで一息つく。
それを見て小早川沙月が真似するように、紅茶を少しだけ飲んだ。
「……これは、いいわね。心地よい苦みと、華やかな香り。これが紅茶――」
「ケーキの後に飲んでも最高だよ」
オレがいうと小早川沙月はケーキに遠慮がちにフォークを刺す。戦いのときの思い切りの良さとは、全く違う雰囲気だ。
小早川沙月は小さく切り取った抹茶のオペラケーキを口に運んだ。
「…………おいしい」
彼女は目をつむって、深く、実感するように言った。
「甘くて、でもちょっと苦くて。親しみのある抹茶の味がして、なんていうか――おいしい」
そして彼女がジャスミン・ドラゴン・パールに口をつける。
「――ああ」
それだけ言って、彼女は目を閉じた。
「――生きてて、よかった」
オレとしてもセレクトが間違っていなかったようで満足する。
洋菓子や紅茶になじみのない少女には、まず親しみのある和の味付けから入ったほうが、おいしく感じられやすいのではないかと思ったのだ。甘く苦く爽やかなケーキには、同じく爽やかで苦みを持つ紅茶が合う。
抹茶の日本的な要素と、ジャスミンの東洋的な香り。
細部まで計算しつくされたケーキと紅茶。
そしてまた計算された組み合わせ。
それは彼女が造詣の深い剣術にも似ている。
オレも崩すのが勿体ないとすら感じるモンブランを口に運ぶ。
栗の濃厚な味と香り、それらが口いっぱいに広がる。
それらを押し流す紅茶の心地よい苦み。
「「はぁ……」」
オレと小早川沙月は、同時に幸せなため息をついた。
「それで、どうしたんだっけ?」
オレは落ち着いた穏やかな声で尋ねた。
「……はい。ええと、ハルカさんの剣技自体もとても素晴らしいものでした。――でしたが」
「でしたが?」
「最後に見せた、あの、予備動作のない動き。あれについてずっと考えていたんです」
「何かわかったか?」
「はい。違っていたら恥ずかしいのですが、もしかしたらあれは、『風』によるものではないかと」
オレは内心で感嘆する。
どういった経緯で導いたかわからないが、それに気付けるなんて。
小早川沙月はとてつもない才能を持っていそうだった。
「当たりだ」
「……よかった」
彼女は安心したような吐息をついた。
「しかし、アレはどうやって……」
「君に貸してもらった剣。あれの効能で風を操れるんだよ」
「……なんと!」
小早川沙月が驚きに目を見開く。
「だからオレは、君が強くなる最終的な境地、その道の一つがあそこなんじゃないかと思ったんだ」
小早川沙月は興奮したように、身を乗り出してきた。
「……できたら、それはすごいことです!」
「ああ。発生のタイミングがわからない斬撃、歩法、それはどのような相手にも有効になる」
「――けれど」
と、彼女はすぐに悲しそうに言った。
「――翠風剣はすでに折れてしまいました……」
「あれ。直さないの?」
とオレが軽く疑問を尋ねる。
「……ハルカさんほどの方ならばご存じでしょうが、折れた日本刀は直すことができません」
「えっ」
「……え?」
――あーーー!! そっか! そっか!? この時代だとまだそうなんだ!?
日本刀は、何度もの鍛造を繰り返して作られるものだ。
折れた部分をつなぎ合わせることはできない。無理につなぎ合わせても脆くなってしまう。
溶かして作り直せば別物になり、上手くいくか失敗するかは
汗が一筋流れる。
――じゃあつまりオレは、小早川沙月に、どれほど練習しても使えない技術を見せびらかしたということに……?
かなり悪いことをしている気がする。
風の力を操れる剣は唯一無二のものではない。……ではないが、簡単に手に入るものでもない。
鍛冶の修復技術が発達するまで待つとなると、たしか五年くらいは待たなければならない。
オレ自身も鍛冶仕事がそれなりにできる。できるが、折れた刀を修復するというのは特殊技術だ。オレには不要だったこともあり、まったく磨いてこなかった。
黙り込んだオレに小早川沙月が声をかけてくる。
「師範……?」
「もしかして君は、どの呼び方なら大丈夫か探っているのか……?」
尋ねると、小早川沙月は横を向いて視線をそらした。
「とりあえず、師範でもないからな」
どの呼び方でもNGだ。
しかし、それにしてもどうするか。
と、考えたところで思いついた。
そうだ。
――未来の凄腕鍛冶師を引き入れよう。
と。
オレが知っている凄腕鍛冶師――鍛冶聖と呼ばれた男。
鈴木鉄浄。
彼のことを思い浮かべると、多少気は進まなかった。
腕は誰よりも優れていたが、性格は誰よりも劣ったクソ野郎だったからだ。
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