第5話 《SIDE:小早川沙月》

 ■行方不明者情報

 氏名: 小早川沙月(こばやかわさつき)

 年齢: 15歳

 性別: 女性

 職業: 高校一年生、探索者(動画投稿者)

 行方不明日時: 2013年6月22日(土)

 行方不明場所: 千葉県北部、ゴブリンの出現するダンジョン

 最終確認情報: ライブ配信動画にてユニーク種のゴブリンに敗北。そのゴブリンは他の探索者が逃亡中に引き連れてきたものであり、小早川はそれを押し付けられ、戦闘になって敗北した。最後にゴブリンに連れられていく様子が確認されている。

 特徴: 天才剣士として知られ、人気の動画投稿者。

 その他: 彼女の敗北と連れ去られる動画はインターネット上で出回っており、探索者の負の側面として話題になっている。

 情報提供先: 最寄りの警察署、探索者ギルド

 情報提供報酬: 必要に応じて検討

 小早川沙月さんの安否が心配されています。何か情報をお持ちの方は、速やかに情報提供先にご連絡いただきますようお願い申し上げます。


 彼女の情報は、行方不明から10年経っても寄せられることはなかった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


《SIDE:小早川沙月》


――剣を極め、流派を知らしめたい。

 それは小早川沙月の願いだった。


 沙月は剣術を伝える家系に誕生した。

 五歳で神童と呼ばれ、十歳で天才と呼ばれ始めたとき、現代世界にダンジョンが発生した。


 沙月の実家の伝える流派は風響流といった。

 風響流は争いのない現世において、すたれ始めていた。

 だから沙月はチャンスだと考えた。

 ダンジョンで風響流の名を売れば、流派の再興ができるはずだ。


 風響流はただの武技ではなく、心や哲学も鍛えてくれる。

 だからこの価値のある流派を失わせないため、動画投稿者・配信者として沙月はダンジョンへと入ったのだ。


 ゴブリンやブルーゴブリンなども一蹴する実力、そして美しい容貌で、彼女はすぐに人気者となった。

 配信デビュー一か月で登録者数10万人。

 めきめきと上がっていく実力に、周囲は期待しているようだった。


――この期待を叶えて、人気配信者になるの!


 そう考えて沙月は今日もゴブリンをたくさん屠っていた。

 ゴブリンダンジョンは一階層一階層が広く、一つ下の階層にいくだけで、敵は相当強くなる。

 沙月はゴブリン系の魔物ならば、三階層まで倒すことができるようになっていた。

 一か月という短い期間でここまで腕を上げるのは、一般的に見て驚異的だった。


 ダンジョンの奥からゴブリンが三匹ほど現れる。

 醜い顔をさらにゆがめ、沙月のほうに駆けてくる。


「――ふっ!」

 沙月が剣を振るうと、ゴブリン三匹の首と胴が分たれる。


 ゴブリンは目で追うことすらできないほどの速度だった。


 風響流が何より重視するのは速度。

 風のように自由に素早く刃を舞わせる。


『すげええ! 見えなかった!』『気づいたらゴブリンが死んでるとか! 沙月ちゃん最強すぎ!』


 コメントが沙月の剣技をほめそやす。


「ふふん。まあね。風響流なら当然よ。最強ってこと」


 沙月はちょっと得意げな顔で言って、刃をふるって血を落とした。


『最強! 最強! 最強!』『卍風響流卍』『天才すぎ!』


「まあね。そんなことあるけど。最強だし」


『沙月最強!』『かたなつよつよガール!』


「でもお父様とおじい様はもっと強いわ」


 抜刀したままダンジョンを歩く。

 沙月が歩けば首が飛び、ゴブリンは命を儚く散らす。


 そして、気になるコメントが流れた。


『沙月ちゃん! やばいよ! 五階層からユニーク種があがってきてる! もう近くまで来てるよ! 逃げて!』

 最初はいたずらかと思った。だが、似たようなコメントがたくさん流れてくる。


 首の裏がざわついた。


 危険が近づいているという確かな予感がする。

 これは昔祖父や父と相対したときに覚えた感覚だ。

 自分より格上の相手が迫っているという危機感。


――今日の配信はこれで終りね。


 そう思い沙月は刀を布で拭ってから、懐紙で拭う。

 そして最後になめし皮で拭い、鞘に納める。


「今日は――」

 この辺でおしまいにするわね――。


 そう言おうとしたところでコメントが来る。


『5階層の敵くらいで逃げ帰るの? 風響流って弱くね?』


 沙月の頭の中がカッと一瞬で熱を帯びた。

 だがその熱を意識して鎮める。

 こんなことでムキになっても仕方がない。

 それは心の弱さであり、捨てねばならないもの。

 沙月は自身の心技体の中で、心が一番弱いことを知っている。


 しかし、次第にコメントが増えていく。


『思ったより風響流も弱いなー』『いつも最強っていってんのに逃げるの草』『雑魚狩り最強風響流!』『雑魚狩り最強!』『雑魚狩り専門!』


 刀の柄を強く握った。

 強く、強く強く強く。

 沙月の手が青白くなるほどに強く。


 コメントには『そいつらアンチだから相手しちゃだめだよ』とか『お前ら、安全なところから好き勝手言うんじゃねえよ!』などというものもあったが、熱くなった沙月の目には入らなかった。


「いいわよ。やったやろうじゃないの! わたしと風響流なら、ユニークなんか目じゃないってこと、見せてあげる!」


 そう言って、沙月は止める声も聞かずにダンジョンの奥へと向かっていった。


 ゴブリンを一刀両断しながらダンジョンを進むと、騒がしい音が聞こえてきた。


「あ、ああああ! 助けて! 助けてくれ!!」

 そう叫んでいたのは、ガタイのいい男だった。その少し後ろに細身のローグ風の男が走っている。


 さらに後ろには異形がいた。

 ゴブリンのようには見える。


 しかしそれはゴブリンというにはあまりにも、異常が過ぎた。


 ゴブリンよりも二回りは大きく、深紅の肌をしている。鎧の上にまで筋肉がせり出し、鎧の一部分を覆っている。両手には鋭く骨い爪がある。まるで一本一本が大ぶりのダガーのようだった。口からは獰猛な牙が突き出ている。

 鎧には禍々しい棘がついており、装甲には見たことのない文様――おそらく何かしらの呪文が刻まれている。

 大きな戦斧を持ち、圧倒的な威圧感をふりまいている。

 怪物が一歩踏み出すごとに、ダンジョンが揺れるような感覚すらした。


――アレは、危険すぎる。

 沙月はそう感じた。


 迷いが生まれる。

 戦うべきか、逃げるべきか。

 その迷いの間に、大男と細身の男が脇を通り過ぎる。


 ドンっ。


 想定もしていなかった衝撃にバランスが崩れる。


 細身の男に、赤黒いゴブリンのほうへと押された。

 視界の端に映った細身の男は申し訳ないような、安堵するような、ゆがんだ笑みを浮かべていた。


「なっ……!?」

 赤黒いゴブリンはもう目の前に迫っていた。


 戦うしかなかった。


 戸惑ったのは一瞬だけ。


 すぐに気持ちは落ち着いた。

 沙月は意識などしていなかったが、その状況に感謝すら覚えていた。

 迷う暇などない、弱い心を持つ余裕などない状況だ。


「……はっ!」

 沙月の持つ刀が走る。

 その太刀筋はまるで風か蛇か。


 赤黒いゴブリンの筋肉を易々と切り裂き、血しぶきを舞いあげる。


『沙月ちゃん逃げて!』『今逃げてきたやつ! あいつ、押した!』『あれブラッドシャドウゴブリンだ! 20階層で出てくるやつだよ! 無理だ!』

 音声読み上げソフトによって読み上げられる音声。それらは一切耳には入らなかった。

――否。

 耳には入っている。

 しかし脳が認識していない。

 沙月の持つすべてのリソースはブラッドシャドウゴブリンに振り分けられていた。


 ブラッドシャドウゴブリンの戦斧が振るわれる。

 轟音と共にダンジョンの床が砕ける。

 戦斧は沙月の肩の外側、わずか一センチの空間を切り裂いていた。


――避け過ぎた。

 沙月の脳は一瞬そういった判断の処理をした。

 脳に今の軌道を刻み込む。


 かつてないほどに思考は素早く巡っていた。

 この絶望的な状況だからだろう。


――刀とは命を以って磨くもの。

 必死にならねば磨かれぬ剣技がある――とは風響流の教えである。


 必死とは読んで字の通り必ず死ぬことだ。


 絶対に生きて帰れぬ場所でしか磨かれぬ技術がある。

 必死になる、死に物狂いになる、などという言葉がまるで子供の言葉遊びにしか思えないような、濃密な死の匂いに満ちた時間。

 その場に至って、沙月は初めて見えたものがあった。


 今まで見えていたつもりで見えていなかったもの。

 知覚していた認識全てを一段上から見て、肌で理解するような感覚だ。


『すげえ……沙月ちゃん。見切ってる』『ってかブラッドシャドウゴブリンの肌切り裂いてる!? あの刀何!?』『もしかして、勝てる!?』『卍風響流最強卍卍風響流最強卍卍風響流最強卍卍風響流最強卍卍風響流最強卍卍風響流最強卍』


 一度当たれば沙月は負け。何度当てれば勝てるかもわからない。

 そんな戦いがどれほど続いたことだろうか。


 しかし、斧で砕かれたダンジョンの床の破片が沙月の足にぶつかった。

 勢いよく当たったそれは沙月の足の動きを悪くするには十分すぎた。


 そして。

 沙月は自らの刃でブラッドシャドウゴブリンの戦斧を受けてしまう。

 刃がたわみ、

 歪み、

 折れた。

 動かない片足。

 折れた刀。

 体中、痛まないところなど一つもない。

 勝ち目などほとんどない。


 それでも、沙月の戦意は折れていなかった。

 勝ち目がほとんどない、ということは、僅かながらも勝ち目があるということ。


 刃がなければ爪で、歯で。自らの骨を突き刺してでも勝つ。

 気持ちは叫ぶが、身体がついてこない。


 ついに地面に倒れてしまう。


 その沙月に赤黒いゴブリンは近寄ってくる。

 斧を振り下ろせば殺せるはずなのに、ゴブリンは沙月にとどめをささない。

 沙月にその醜悪な手を伸ばしてくる。


――殺さないで、いたぶる気?


 だとしたら。



 殺せるチャンスはまだ消えてない。



 少なくともすぐに殺さなかったことを後悔させてやる。

 沙月はそう考えた。


 本来であれば――。

 今この時点では、遥しか知らないが。本来の世界線であれば――。

 沙月はこのまま赤黒いゴブリンに連れ去られ、二度と発見されることはなかった。


 そうなるはずだった。


 沙月が命の最後の一滴が費えるまで戦うと心に決めたとき。


 場違いなほどに明るく、のんきな声が聞こえた。


「はーい。皆さん、あれはブラッドシャドウゴブリンです。本来20階層以降に出てくるユニークですよ。危険なのでよほど自信がなければ手を出さないほうがベターです」


 そこには沙月と同じくらいの年代の、少年がいた。

 アイテムバッグを持っていないのかリュックを背負い、粗末な槍とこん棒、そして投網を持っている。


――えぇ? ……投網?


 戦意で埋め尽くされていた沙月の頭の中が一気に現実に引き戻された。

 だが、その現実はやや非現実的ではあった。





■ブラッドシャドウゴブリン

種族: ゴブリンの希少種


居住地: ダンジョン第20階層以下


○特徴

・外観: 常に血のような赤い光を放つ目を持ち、黒く鋭い爪と牙を持つ。通常のゴブリンよりも大柄で筋骨逞しい。

・戦闘能力: 他のゴブリンを遥かに凌駕する戦闘能力を有し、倒すには高レベルの冒険者が必要。素早さ、力、耐久力、戦術の全てにおいて優れる。

・魔法: 闘争の中で培われた魔法の能力も持つ。特に影魔法に長けており、敵を出し抜いたり追跡を振り切る際に用いる。

・性格: 高い知能を持ち、冷酷かつ執拗。敵を執念深く追い詰め、狩る。

・伝説と行状:

ブラッドシャドウゴブリンはダンジョン内で数多くの冒険者たちを葬ってきた恐れられる存在である。第20階層から上がってきた時、低階層の探索者を皆殺しにした。応援にかけつけた探索者も含め、何十人もの犠牲者を出した。ベテラン探索者による討伐隊が組まれ、複数の犠牲者を出しこれを討伐した。

この生物の正体や出現の原因は未だに明らかにされていない。

一部の研究者たちは、古代の呪いやダンジョンの深部に眠る何らかの邪悪な力が影響しているのではないかと推測している。


▼警告: ブラッドシャドウゴブリンと遭遇した場合、ただちに逃走することが推奨される。強力な探索者でも単独では勝利するのは困難であり、高い危険性がある。その強さと冷酷さから、ダンジョン探索者たちにとっての大きな脅威とされている。

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