09 意地悪
健介はまず、緑色の缶ビールを開けた。ハイネケンだ。あたしも同じものにした。乾杯した後、あたしは買い置きしていたスナック菓子をローテーブルに並べた。
「蘭、ポテチはうすしお派なん?」
「うん。健介は?」
「おれコンソメ」
「そっか。また今度買っとくわ」
パソコンデスクの上を見た健介は、スマートスピーカーがあることに気付いたようだった。
「アレクサおるやん」
「ほとんどキッチンタイマーと化してるけどな」
「音楽聴けるん?」
「うん、登録しとうよ」
「アレクサ、ナイン・インチ・ネイルズかけて」
あの、インダスなんとかというロックバンドの名前だ。重い音がドン、ドン、と聞こえてきた。鼓動が高鳴った。いつもアリスや美咲と宅飲みをするときは音楽は聴かないが、健介とならこういうのがいい。あたしは言った。
「いっつもこんなん聴いとん?」
「実は最近は聴いてなかってん。ハマったんは大学の時やで。色んな洋楽聴いてた」
「他にも色々、教えてよ」
「ええよ」
ポテトチップスをつまみながら、あたしたちは酒を堪能した。さっき神仙寺さんに作ってもらったカクテルが、やっぱりキツかったのか、あたしは缶の半分ほど飲んだところで残してしまった。それを健介が飲んだ。そして、辺りをきょろきょろと見回しながら彼が言った。
「タバコってベランダで吸っとう?」
「うん。一緒に吸おか」
あたしは立ち上がってガラス扉を開けた。夜風が強く、火をつけるのに苦労した。二人の煙が重なり合い、もつれあい、闇に消えていった。あたしはキスをせがんだ。健介は応えてくれた。
部屋に戻ると、スマートスピーカーがより一層激しい音楽を奏でていた。あたしたちはベッドに寝転がり、せわしなく互いの服を脱がせ始めた。ここのマンションの壁は薄い。あたしは声を押し殺しながら、健介の攻めに耐えた。
「蘭、可愛いなぁ」
健介はあたしの黒髪を指でといた。そうされるのは嫌いではなかった。あたしも彼の硬い髪を触った。あたしは言った。
「健介も可愛いで。犬みたい」
「犬かぁ」
そう言って口角を上げた健介は、あたしに覆いかぶさり、何度もキスをしてきた。このがっついている感じが、まさしく犬だ。あたしは心の中で笑った。すっかり終わった後、あたしはポンと彼の肩を叩いた。
「めっちゃ気持ち良かった。もうあたしの身体に慣れた?」
「せやな。でも、もっともっと気持ちようさせてあげたい」
あたしたちは横たわったまま、固く抱き締め合った。その内に、あたしは眠ってしまっていた。
目が覚めると、もう朝日が天高く昇っていた。健介の姿はベッドに無かった。立ち上がってガラス扉の向こうを見ると、服を着てタバコを吸っているのが見えた。あたしも下着をかき集め、ジャージとパーカーを身に着けて、ベランダに出た。
「健介、おはよう」
「んっ、おはよう」
寝起きの健介の髪はボサボサだった。あたしは彼の前髪に触れ、横に流した。そして、いきなり意地悪なことを言ってみた。
「中島さんが言っとった女の子とは会ってへんの?」
「なんか、返事返ってこうへんねん」
「既読はついたん?」
「ついた」
「ブロックされてるかどうかの方法、教えたろか?」
あたしたちは部屋に戻り、健介のスマホをあたしが操作した。ラインのスタンプをプレゼントしようとして、相手が「このスタンプを持っている」と出たらブロックされた証拠だ。お相手の女の子は、どうやらブロックまではしていないようだった。あたしは勝手にメッセージを送った。
『何しとん?』
健介はあたしの肩を掴んだ。
「おいおい、何してんねん」
「えへへ、返ってくるかなぁと思って」
しばらく待ってみたが、既読はつかなかった。お腹が空いてきたので、あたしたちはドトールへモーニングを食べに行くことにした。もちろん喫煙席だ。ハムとチーズがはさまれた温かいパンをあたしは食べた。テーブルに置いていた健介のスマホが振動した。
「返事きたわ」
健介は画面を見せてきた。
『起きたとこ。健介くんは?』
あたしは二ヒヒ、と笑いをこぼした。
「で、どないするん? また会うん?」
「どうしようかなぁ。正直そんなにタイプやないねんな。派手やし」
「そうなん? 健介のタイプってどんな子?」
「蘭みたいな黒髪で肌白い子」
健介はあたしの頬を撫でた。大きな手に包まれていると、安心した。あたしは言った。
「会えばええやん。あたしの良さがよくわかるかもよ?」
「そうかもしれへんな」
苦笑する健介。結局、会う約束を取り付けたようだった。二人とも食べ終え、コーヒーを飲みながらタバコを吸った。健介が言った。
「おれ、仕事やから、これ吸ったら行くわ」
「うん、わかった」
あたしは改札口まで健介を見送った。それからコンビニに寄り、お昼のパスタを買った。それとコンソメ味のポテトチップスも。健介には、ずいぶん意地悪なことをしてしまったのかもしれない。それでもあたしは、彼に他の女を抱いて欲しかった。束縛されない関係なのだと、きっちり証明したかった。
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