<第十一話> 小僧が変身するとき

芝生に覆われた中庭。

そこに今、時ならぬ雄叫びや剣劇の音。

数は一対一だろう。

だが、その場の空気はいつもと異なっていた。

兵士の教練とは違うようなのだ。

しかし、そこに見え、聞こえ感ずるものは武芸の教練につうづる気迫であろう。


そう、今まさに男が二人、それぞれの手に練習用の得物を持って対峙しているのだ。


それは少年ロランと老騎士ライルであった。

それが今、戦闘訓練をしている者たちの名である。


ロランはまたしても老騎士ライルに速攻を仕掛けたが、いとも簡単にロランの短剣は弾かれ、庭の砂を蹴り上げた目つぶしもかわされ、こっそり持っていたもう片方の手に握っていた短剣もかわされてしまったのだ。


冒険者に教わった、騎士道とは遠く離れた実践向きの汚い手、その一。

それを見事にかわされた。

ロランは呻く。


ロランは背中を強かに打ち付けていた。

騎士の技などクソ食らえと、騎士とは何なのかを教えてくれた当のライル老を前に、以前冒険者から教わった軽戦士──つまり盗賊、ニンジャの技だ──を試したのだが。


「つ、強ええ」


とロランは赤色交じりの唾を吐きだす。


鉄の味。

彼は口の中を切っていた。

ロランにはライル老の攻撃が見えなかった。

ロランは受け身に失敗したのである。

そして、フラフラと立ち上がったものの、口の中どころか体全体が痛い。


「小僧、それがしの剣を正面から受けなかったのは称賛に値する。よく考えたな。しかし──」


ロランは先ほどの立ち合いを思い出す。


「冒険者の真似事をするなら、目つぶしだけでなく体重と速度を乗せた体当たりや、前蹴りや体を捻る回し蹴り、そして膝の皿を正面から踏み砕く関節技などを磨け」

「え?」

「小僧、おぬしはハルフレッド様の影としてのみ価値を持つ。それでも良いのか? 本当にそれだけで良いのなら、冒険者や軽戦士の技など忘れ、捨ててしまえ。騎士の剣だけを教えよう。だがな小僧……」


ライル老がまっすぐに、未だ起き上がらず仰向けにひっくり返ったままのロランを見据え。


「お前は影として、数々の刺客や傭兵、そして盗賊や冒険者崩れとも戦うことがあるだろう」


とライル老は告げる。そこに感情はない。

だが、ロランはライル老を厳しく見つめ。


そして両者、目が合うと、静かに火花がはじけ始める。

ライル老は見る。ロランの瞳が未だ死んでいないのを。

世界に絶望など、感じてはいないのだロランは。

そう、この元賤民は。

彼の名はロラン。老いたライルとは一回りも二回りも……いや、もっとそれ以上、歳は離れて。

ライルは見る。

この少年、ロランの目が貪欲に、新たな知識と技を欲しているのをライル老の経験は看破する。


だから、ロランはライル老にこう噛みつく。

そう、それもこの老騎士の予想の範囲内。

死して目の前の少年、ロランが吠える。


「俺はロランだ。いくら顔や体つきがハルフレッド様に似ているとはいえ、別人だぜ!」

「ほう? 小僧、よく言った。それではお前の名は?」

「俺はロランだ、辺境伯爵公子様じゃねえ!」


 ロランの叫びを聞いて、ライル老。


「そうだな、その通りだ小僧」

「え?」

「ほう、いい目をするようになったと言っているのだ。小僧、いや。ロラン。良い心構えだ」


 ロランは静かに両手に持つ短剣をだらりと降ろす。


「もう小僧とは言わないのか? 爺さん」


 少年は聞いた。


「男が生き方を決めたのだ。蔑称など使っていては、このライル、元王宮近衛騎士としてのプライドが許さん」


 ライルは薄く笑って彼も武器、長剣を下げた。


「だったな爺さん、強いわけだぜ」

「ああ、もちろんだ。わしはこれでも先代国王陛下の肝入りだ」


 ライル老の名乗りを聞くロラン。

老騎士には若さの眩しい少年である。

だから彼は、少年を試そうと、鍛えようと心に決めた。

で、あるから。

その元近衛騎士は剣の柄を再び力強く握りしめる。


 ロランも両手に持った短剣を十字に構え直した。


「そう、それでいい。ではロラン、いや、戦士ロラン。わしから一本でも取ってみろ。いつかお前たち兄妹に豚の丸焼きでもご馳走してやろう」


 と、老騎士ライルは長剣を正眼に。


「それは嬉しいことを聞いたぜ! 俺は一生に一度でいいから肉を腹いっぱい食ってみたかったんだ。妹のアリアも一緒さ。で、その豚ってのは人間様の食べ物なんだろうな?」


 ライルは意外な答えに迷ったが、武器を構えたまま、反時計回りに彼は間合いを取り始める。


「豚も知らんのか」

「いや、貴族は家畜でなく人間の肉を食うと聞いたことがある。隠語と思ったんだ」

「安心しろ。今話した豚は家畜の豚だ、人間、ヒュムに食べられるために育てられている生き物のことだ」

「そうなのか、鶏とは違って、さぞ美味いんだろうな。欠片か、腐った物は食べたか経験があるかもな」

「ああ、新鮮な肉の料理だ。そうして調理した豚は鶏の数倍旨いぞ。わしが保証しよう」

「その話、乗った! 勝負だライル爺!」


 と。

 笑みさえ浮かべていた二人の男は、どちらからともなく自然に黙る。

 そして、ゆっくりと両者は対峙したまま円運動を再開し始めた。


「ロラン。お前はそれでも短剣の二刀流で構わぬのだな?」


 ライル老は確認する。


「俺は強い敵とは戦わない! 弱い敵と戦い生き延びる! この短剣だけが俺の武器じゃないぜ爺さん!」

「よく言った! 影は主人が死んでも生き残り、主人の大義を晴らす責を持つ。お前は今日ただいまより、正式にハルフレッド様の影となったのだ!!」

「ふん、どうせなら影は影でも、表の顔で将軍が務まるように、ミッチリここでも鍛えさせてもらうぜ! 爺さん、俺はあんたを利用する!」


 ロランは吠える。


「ああ、わしらがお前を影として利用するように、お前もわしらを利用して現実を駆けあがるのだな!」


ライル老はカカカと笑う。


「応! さあ! もう一勝負こいよ爺さん!」

「覚悟は良し! 来いロラン! お前の技、弱さ、強み! すべてわしが暴く!」


 と、戦士ロランと老騎士ライルとの修練がまた再開されて。


「ロラン、強くなれ、死ぬな、生き延びろ! そのための技を磨けロラン!」

「言われなくても!!」


 剣戟は激しく続く。

 二人の修練。

 それはお日様の許す限り、ほぼ毎日続いたのである。




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