第21話
飛行機の調査が済むと、エンブリオ・アクギを回収しなければならなかったが、そのためにはまず上にある飛行機を退かさなければならなかった。しかし現場は山林である。カラカゼを出して撤去作業を手伝うことになった。これはアサギリにとって、厳しい負担であった。とはいえカラカゼはエンブリオ・アクギやアスマやヘルナと比べると性能が落ち、一般公募で採用されたパイロット向けに作られているためか、彼女の受ける負荷もアクギよりかは軽くなる設計になっていた。しかし連日は堪える。
出動前、彼女はテンセイ・イセノサキが収容されているスキャリオン・コンジャック総合病院に立ち寄っていた。
彼の身の回りのことは、へキラ・アラナミワーシップという儚げでスレンダーな美女がやっていた。それを知ったときアサギリは安堵した。今までイセノサキに女の陰はなかった。また仕事ばかりで私生活に
アサギリは、彼の口から、そして母の口から聞いた彼に関することを忘れてしまうことにした。なかったことにした。思いつく理屈に絡めて捨てることに。
彼女が来訪する時間、元上司は眠っていた。ヘキラも、元部下が見舞いに来たことは告げなかったようだ。そしてこのことにアサギリは何の反発も抱かなかった。むしろ気が利いているとさえ思ったし、気を遣わせているとも思った。元上司には療養だけでなく休養も必要だ。律儀な彼は、連日見舞いがあったと知れば眠らなくなってしまうだろう。
アサギリは元上司の険しい寝顔を一瞥すると、付き添い人から出されたパイプ椅子から腰を上げた。
「そろそろ帰ります。明日からもう参りません。少し予定が立て込んでいて……」
それは嘘である。ヘキラに悪い気がした。彼女はただ淑やかに労う。
アサギリは基地に帰り、格納庫へと向かった。パイロットスーツに着替え、エンブリオ・カラカゼに乗る。作業工程は現地でオペレーターから伝えられる。そしてそのオペレーターというのはカミヅケミヤマなのである。エンブリオ・アクギでは怒りっぽかった彼女だが、エンブリオ・カラカゼに乗ると途端に憂鬱になってしまった。気弱く、卑屈で、後任の上司の恐ろしさにも怯えた。長いこと運転させることを医局のパイロット専属の主治医は良しとしなかった。
けれど……
エンブリオ・カラカゼに割り当てられた作業は少なかった。山の斜面というだけ作業車が入りづらく、大きな部品を回収するのが主な仕事で、シェルター部分が廃材回収用に換装されている。
アサギリは茫としながら、カラカゼを操縦していた。早く帰りたかった。脳波を読み取られ、叱咤が飛ぶ。カミヅケミヤマは前任者よりも細やかであった。前任者ならばアサギリも逐一反抗していたが、慣れない上司で、専用機ではないカラカゼでは、彼女も怒る気力が起きなかった。すべて肯定し、雑なほど素直に詫びを入れていく。要は聞いていなかった。
しかしカミヅケミヤマが席を外した。サブオペレーターに代わる。
「カミヅケミヤマさんは、呆れてしまったんですか」
卑屈な笑みを浮かべてアサギリはサブオペレーターのモニターを見上げた。しかし他に緊急の用件が舞い込んだらしい。暫くしてから彼は戻ってきた。
『ミナカミ。大規模火災が起きた。作業を切り上げて、現場に向かってほしい』
アサギリは話を聞いていないような面をして、一拍、二拍ほど置いて訊き返した。
『地点は分かったな』
「あ、クロマツモール……え?クロマツモール、火事なの?」
彼女は寝呆けて脱力したような有様であった。もし今、カラカゼに乗っていなければ跳び上がるように驚いたであろう。彼女のよくいく大型ショッピングモールだった。都心部に行くほど店舗が少なくなっていくのも特色だった。
アサギリはクロマツモールへ飛んだ。
『ときに、透過線のレクチャーは前任者から?』
「受けました」
カミヅケミヤマは小さく首を捻った。
『実践は?』
「無いです」
彼女は新任上司の態度が気に入らなくなった。
「無いほうがいいんですよ!反・平和主義者め!仕事なくなるもんなぁ!」
エンブリオ・アクギで起こる精神的な不均衡が、突如カラカゼの操縦中にも起こってしまった。彼女は歯を軋らせた。
「何が正義のサザアマ基地だ!ふざけやがって!手前等で問題起こせば一大広告打てるもんな!」
『落ち着きなさい』
カミヅケミヤマは静かな姿勢を崩さない。アサギリは怒鳴り散らしたかと思うと、今度は眉根を寄せて泣きそうになる。
『クロマツモールの使用者なら話が早い』
彼女はキャンディーマシンのボタンを押して、膝掛け横についたレールに蛍光色の飴玉を転がした。それを摘んで口に放るのかと思いきや、それを掴んでモニターへ投げつけた。カラカゼは急加速してクロマツモールに向かった。黒煙によって、遠目でも分かった。広大な駐車場の特に店側からは車が引き、消防車や救急車が偏っていた。周辺の道路では渋滞が起こっている。
「カラカゼに消火活動なんて機能があるんですか」
飴玉の投擲ではモニターは壊れなかったし、気に入らない新任上司の鼻っ柱を折ることはできなかった。嫌味たらしく彼女は問うた。
『ない。消防と連携して、救助を手伝うか』
「できそうですか!」
『いいや。カラカゼに換装した電磁透視機でデータをとって、送ってくれるだけでいい』
モニターの奥で、新任上司が呼ばれた。厳めしい顔がわずかに横へ斜める。後にしろ、緊急です、のやり取りを、アサギリは聞きながら機体を停めた。よく知っている大型商業施設でも上空から見ることはまずないが、しかし馴染みのある外観だった。それが大きく黒煙を上げ、燃えている様は、響いてくるものがあるのだった。
『ミナカミ』
「はあ」
改まりすぎて却ってそれは上司を軽侮していた。彼女は透過撮影用の機材を探っていた。カラカゼには人体でいうところの頭部、眼窩の位置に搭載されていた。
『ミナカミ。中止だ』
「はぇ?中止?現場まで来ちゃいましたよ」
モニターを通していくらかグリーンがかっているカミヅケミヤマは緩やかに首を左右に振る。集中できないと、アサギリが文句をつけたために画質を下げてあるのだった。人の顔が視界に割り込むのはストレスだった。
『許可が降りなかった』
「なんですか、許可って」
『カラカゼの協力は断られたということだ』
首を振っていた仕草について、彼女はこの上司から感情を読み取っていた。だが今は毅然としている。しかしそれが当然なのである。職業柄、そして立場的にも、感情に振り回されて成り立つものではない。
「そんなことは分かってます。なんで断られたかって聞いているんですよ」
『光線の安全性について……それから、救助に目障りなのだそうだ。要らん野次馬も呼ぶと』
「で、そんな、死ぬことに比べたら後からどうとでもなるようなことを理由に、のうのうと撤退するんですか。あとはレバーいじって、照準を合わせて、トリガーを引くだけなんですけど。それだけで要救助者がどこにいるのか見えるんですよ」
アサギリのほうで準備はできていた。後頭部で両手を組む。あとは指令を待つのみだった。前任者と同じ素養を見込まれたのだろう。彼女は仕事のために抑圧される立場にあるこの男をいじめたくなった。
『撤退しろ』
しかし答えは変わらない。感情や人倫に従ったとしても、集団になった途端、或いは、他人事である以上は、それを赦さない。つまり基地として責任を負わさなければならない。就任して間もなく解職というわけにはいかないだろう。
「合点承知しました。ごたいそうなもの取り付けても、使えないじゃないですか」
『返す言葉もない』
いいや、その返答で随分と彼女は嫌な思いをした。それらしい正論を返され、反発したかった。
「カミヅケミヤマさん。カミヅケミヤマさんがお上の命令を聞いても、あたしが聞かなきゃイミないですよね」
『オペレーターとして言うべきことは言った』
「クロマツモールはあたしもお世話になってるんですよ」
機体の動きは基地にいる連中には見えないだろう。しかしどの部位がどのように動いたかは数値として見られている。そしてシミュレーションもされている。すでに照準が建物に向けているのも知れているはずだ。
『ミナカミ。基地よりも市民の暮らしは警防隊と特救隊と共にある。我々は断られた身だ。彼等の務めに差し障れば基地の風当たりが強くなる。分かってくれ。市民と警防隊たちの理解のもと、基地はやってゆけるのだ』
「その理解ある市民を救えるかも知れないところで、見殺しにしても……ですね。カミヅケミヤマさん。あなたは悪くないです。あたしも悪くない。自分の生活が一番ですからね」
カラカゼはクロマツモールに踵を返した。帰着後に見たテレビでは死傷者は3桁にのぼっていた。火はまだ消えていなかった。
更衣室のテレビを消した。関係のないことだ。救いようはあるが救うことを選ばれなかった人などはこの世に腐るほどある。しかし目の前のことだった。アサギリは着替えもせずにロッカー前のベンチに座っていた。ノワキ・シオザワフカザワならどうしただろうか。ハルシグレ・ヌキサキなら……
だがやがて彼女は着替えはじめた。嫌な汗が張りついている。人には会いたくなかった。
「ミナカミさん」
更衣室を出るとすぐにフブキ・マヤバシが彼女を捕まえた。油だらけの革手袋が腕を掴みかけ、触れそうなところで彼は我に帰った。焦った様子で革手袋を外す。しなやかな白い手に、落としきれない油汚れがついている。
「サーキットの観覧席で待ち合わせできますか」
「はい……」
赤いフレームの眼鏡の奥で、柔和に目が眇められた。
「じゃあ、少しお待たせしてしまうかもしれませんが……ご予定があったら、そちらを優先してください」
「いいえ、待ってます」
宙に添えられた油汚れの手を、アサギリのほうからも握りかけ、しかし触れる寸前になって互いに停止する。目が合ってしまう。アサギリは反射的に逸らしてしまった。
「あ、の……待ってます」
それは相手に伝えるには、あまりにも小声だった。
「はい」
しかしフブキ・マヤバシは力強かった。
「お先に失礼します」
アサギリはサーキットに向かうところだった。シャワーを浴びたいと思った。けれど整備士たちの定時の仕事もそろそろ終わる頃らしかった。
サーキットに行くまでの途中で、走っていたレーゲンを見かけた。彼はペースダウンしてアサギリのほうへとやって来る。何となく、具体的な理由を探るのを避け、彼女はこの少年には会いたくなかった。しかし退ける理由もまたなかった。
「お疲れ、ミナカミ先生」
「精が出るね」
彼女は自嘲するように口元を歪めた。レーゲンは金色の双眸を飄然としている。
「ミナカミ先生は?大丈夫か?テレビで観ていたが」
「ああ、観てた?恥ずかしいな。行って、帰って、野次馬よ。駆けつけたら、現場の許可が……下りなくってさ。何してるんだかね。やれることもやらずに」
「現場の許可が下りなかったんじゃ仕方がない」
彼女はまた自嘲するような笑みを浮かべる。いくらか相手を挑発しているようだったけれども、彼に気にした様子はない。
「なんだか意外。ランドロックトくんなら、ああいうの、強行しそうだったから……」
「上官の命令は絶対だ。上官がだめだというのに、やるわけにはいかない」
彼は足元のボトルを拾い上げた。ここは彼の休憩スポットだったのだ。ペースダウンしてやってきたのは彼からではなかったのだ。むしろ用があるかのような
水分補給をしているレーゲンが横目で彼女を捉えた。
「自分なら助けられるかも、助けられたかもって感情、面倒臭いね」
「それがなければ務まらないこともあるだろ。そしてそれがすべて叶うわけでもない。擦り合わせていくしかない。面倒臭さと、叶えられきれないことを」
彼は背中を叩いた。掌が大きく感じられた。
「後先考えずに優しさと正義感で突っ走るのは民間兵がやればいいことだ。でもこの国にそんなものはなくて、そんなものが無くて済むならそれがいいさ。
彼はまた一口、ボトルから生えたシリコン製のストローを吸って、走り出した。果物でも埋め込んだような肩が瑞々しい。横顔を落ちていくのは眩しい汗だ。そろそろ日が落ちる頃だというのに、昼間のような快活ぶりである。
アサギリは大きく溜息を吐いた。
フィールドを望む観覧席は、設置したはいいが使う機会にあまり恵まれず、直射日光を浴びて劣化するのを待つのみだった。色褪せた浅掛けのベンチのひとつに腰を下ろす。フブキ・マヤバシが何の用だろう。彼はすぐにやってきた。アサギリは決まって西側の、後ろから4列目に座る。特に意味があってのことではない。癖だった。フブキ・マヤバシも西ゲートから入ってきた。そして迷いもなく彼女を見つける。両手に缶を持っていた。
「お疲れ様です、マヤバシくん」
「お疲れ様でございます……どうぞ…………あ、今飲みます?」
「え、ああ、はい……」
フブキ・マヤバシはプルタブに指を引っ掛けた。すでに油汚れは落とされていたが、しかしまだ薄らと黒ずんでいた。
炭酸が軽快な音をたててた。彼はそれを手渡す。
「……ありがとう」
缶を開けてもらったのが、妙に照れ臭くなった。目が泳ぐ。フブキ・マヤバシは朗らかな表情をしていた。
「いいえ」
何か用があるわけではないらしかった。彼は何も話さない。アサギリも口を閉ざしていた。だが沈黙に対する焦りはない。
「仕事中だったとは思うんですけどニュースとかって、観られました……?」
たどたどしく彼女は口を開いた。
「ラジオは流れていますから、少しは」
「じゃあ、クロマツモールのことも?」
「はい」
アサギリはその件についての話だと思った。思い込んでいた。フブキ・マヤバシに糾弾されたら、立ち直れないかもしれない。彼女は腹の辺りが重くなった。病とは異質の、絞られるような苦しさが走る。だが受け止めるほかはない。上官の命令とはいえ、物理的な拘束があったわけではないのだ。
彼女は不安になってしまった。己が妄想がすべてを善良であるがゆえの理不尽な被害者的強者に作り上げてしまう。近しい人にもそうだった。その影を重ねる。そして近ければ近いだけ、恐ろしくなる。
「クロマツモール、結構お世話になったからさ、残念だな」
故意に上擦らせて喋った。不自然なほど、調子が変わった。彼女はピエロになることを選んだ。フブキ・マヤバシを、不謹慎な女を非難する清廉な人物として思っていたかった。素のまま接し、彼の言葉によってありのままの自身を傷付けたくなかった。
「そうですね」
次の言葉が出てこなかった。自身の感情を偽るにしても、彼へ陋劣な言葉を聞かせることを厭うた。
炭酸飲料を口に入れた。パイナップルの味に近いのだろうか。甘酸っぱかった。機体に乗る前に飲む紙コップ半分ほどの蛍光色のジュースに似ていた。同じものではなかろうか。
そのあとの沈黙だけは、重く感じられた。フブキ・マヤバシは前のめりに座り、膝に肘を掛け、橙みを帯びた芝生と寂れたアスファルトの道を望んでいた。だが何か観察しているわけではないようだった。
「マヤバシくんは……何かわたしに、用が?」
「ないです」
「え……?」
彼は上体を起こした。穏和な顔立ちに、優しげな微笑が浮かんでいるが、彼もどこか自嘲的だった。
「傍にいたかったんです。すみません、お忙しい身なのに……特に大切な用はありませんから、ご予定があるのなら外してください。でも、そうでないのなら、もう少しだけ……」
「あの、新人の子は?」
フブキ・マヤバシは寂しかったらしい。あまりに突拍子もない感情のように思えた。先程まで仕事中だった。仕事仲間がいたはずだろう。あくまで職務上の付き合いである。寂しさを埋める相手ではないらしい。
「えっ?」
「あの、新入社員の子。事務局の子?まだ定時じゃないのかな」
彼は戸惑っている様子を見せた。アサギリはそれが面白くなかった。フブキ・マヤバシは照れている。
「何を言って……」
「ピンクのスカートの、茶髪の子。よく一緒にいたでしょ」
「彼女が、どうかしましたか……?」
「寂しいって、言ってたので……あの子、癒し系っぽかったし………」
フブキ・マヤバシは徐々に俯いていった。卑屈な笑みを伴う。そして落ち着くと、眉根が深く寄せられた。
「すみません、ミナカミさん」
「何がですか」
「いや……おれの気紛れに付き合わせてしまったな…………って」
彼はすっと立ち上がった。油とドックの匂いがした。雰囲気が変わったフブキ・マヤバシに、彼女はたじろいだ。
「いいえ……」
「でもおれは、ミナカミさんといたかったんです……すみません。そんな資格は、もう無いのに……」
上司に挨拶をするみたいに、彼は頭を下げた。アサギリは己の失態に気付くのに少し時間を要した。
「失礼します。また明日」
そしてフブキ・マヤバシは観覧席を去っていった。アサギリはそのままでいた。立ち尽くしていた。失態を犯したこと自体には気付くことはできた。だが理由は分からなかった。
つぅ……と涙が静かに落ちた。追って弁解をすべきだ。弁解が必要なことは分かっている。だが何を弁解すべきなのか分からなかった。誤れば余計な
失態を犯し、弁明を要する。そして嫌われたということは分かった。アサギリは長いことサーキットにいた。彼との会話を反芻する。そうしているうちにカミヅケミヤマのことを考えた。あの無愛想で強面な上司は、選べない立場にいて選ばねばならない立場にいる。彼女は涙を拭いた。
サーキットを出ると、レーゲンが植え込みを造る縁石で休憩をとっていた。彼がここを休憩スポットにしたことを失念していた。覚えていたところで関係がないように思われた。だが彼はやたらと目立つ蛍光グリーンのタオルで鼻の頭を拭きながら、金色の眼差しをアサギリにくれた。
「さっき、整備士のカレが出ていったけど。喧嘩でもしたのか」
人の事情には疎い少年だった。それでいて機微には敏い。
「喧嘩だと思う?」
アサギリは少年の顔が見られなかった。声の調子も投げやりだった。
「泣いてはないけど、泣いてるように見えた」
「マヤバシくんが?」
「どっちも」
彼も拗ねたように鼻先を背けてしまった。やっとアサギリは顔を向けることができた。
「わたしが不用意なこと言って、傷付けたの」
「人間関係、面倒臭いな」
レーゲンは給水ボトルを呷った。
「わたしが野暮なこと言っただけ」
だがそれは分かっても、さらに具体的な部分については理解できずにいた。一体何が彼の癪に障ったのか。
「それなら謝ればいい」
「何が悪いのか分からないの」
少年は呆れたような顔をした。
「とりあえず謝ればいい。何が悪いのか分からなくても、何かやった自覚があるなら」
「それじゃあ、また繰り返すでしょう。仕事上のことならそれで済むかも知れないけれど、一個人のことにはね、中身が伴うわけで」
彼はますます意味の分からなげな顔をする。
「謝って、訊けばいい。ミナカミ先生は利口じゃなかったとしても莫迦じゃない。
アサギリも、フブキ・マヤバシがしたような卑屈な笑みを口元に浮かべる。
「ランドロックトくんは素直でしょう。直情的っていうか。もっと入り組んでて、繊細な壁のある迷路みたいな関係もあるわけで……」
「相手に気を遣いまくって言った言葉で伝わるか?大事なときにも核心は届きやしない。真意を伝える気がないなら会話なんてやめるこったな」
レーゲンは相変わらず、外方を向いていた。他人事ながら苛立っている様子である。
「あんまり参考にならないけど、たまにはそうしてみようかな。ありがとう、ランドロックトくん。じゃ、ランニングお疲れ」
「俺が言いにいく。男がめそめそするな。女に気を遣われて恥ずかしくないのかって」
「絶対にやめて。そう考えてるのは昔のじいさんとランドロックトくんくらいだから」
腰を上げようとするのを彼女は押し留めた。話したのは間違いだった。
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