第11話 


「わたしってぇ、童貞が好きなんれすよぉ」

 酔っ払っていないふりをしても、語尾と高くなってしまう声音は隠せなかった。堅苦しくこわい上司はおそらく部下の愧赧きたんに相当する愚行に眉を顰めている。その内容もまたこの場に相応しくない。

「雰囲気ですよ、雰囲気。ああ、この人、慣れてるなって思っちゃうと、思っちゃうとっていうか、ニュアンスとしては感じちゃうと、もうムリなんですよ。事実がどうであれね」

 アサギリは部屋の隅の仮眠ソファーに崩れていた。

「昨日は随分と飲んだみたいだな?」

 すぐ傍のデスクで上司のイセノサキがキーボードを叩いている。見向きもせず、飲んだくれの部下の相手を務めている。

「ちょっとだけです。こんだけ……」

 アサギリは親指と人差し指で程度を示すすが、嘘偽りであった。彼女の飲んだ量といえば、人差し指から肘を使う必要がある。それに昨日といわず、朝まで飲んでいた。酔っては覚めて、覚めるたび何をやっているのかくだらなくなってまた飲むのである。

「パイロット用の薬を徒らに使うんじゃない」

 パイロット用に支給される薬は、妙な多幸感がある。痛みが消え、不快感が消え、同時にやる気と幸福感が湧くのである。酒で頭を痛めるたび、胃が爛れるたびに、彼女はその薬を入れた。正しい使い方ではない。しかし服用前の苦痛だけ、高揚感に変わる。

「ふふふ」

「薬物中毒者と変わらないな」

 上司は呆れてもう振り返りもしない。

「イセノサキさん……」

_へらへら笑っていたアサギリは遊び相手に無視されると、途端に表情を暗くした。

「なんだ」

 イセノサキはコンピューターのディスプレイから目を離さず応えた。

「合コンとかないんですか」

「ないな。したいのか」

「寂しいんですよ。カレシでもいたらなって。そうしたら、ちゃんとしますよ。変なトコ見せられませんからね」

 アサギリの口上は酔っ払いの割りにしっかりしていた。そして妙にしかつめらしい。イセノサキはキーボードを打つのをやめ、身体ごと困ったパイロットを顧眄こべんする。

「同居人がいるだろう」

「同居人っていうか、なんかもう男 同胞きょうだいとか、いとことか、そういう感じなんですよ」

「店の子はどうするんだ。あの多額請求者の……」

 この問いには何割か嫌味が含まれている。

「あの子も、なんか、弟なんですよ。弟より弟してますよ。あの子の学費はわたしが出すつもりなんで。結婚費用もね」

「カレシとやらに何を望むんだ?」

「ときめきですね」

 答えると、こわい上司の目は遠くなった。宙をぐるりと見回してから、何も言わずまたコンピューターのディスプレイと向き合う。そしてキーボードを叩きはじめた。

「いいでしょうが、別に。いいでしょうが……一等地の白木だらけのデザイナーズマンションに住んで、ブラインドから入る自然光でよくできた朝ごはんだのパンケーキだのを花瓶と一緒に撮って、"丁寧で意識の高い暮らし"ってやつを、やりたかったですよ。わたしだってね!ダサい基地ジャンなんて着てたら、どんなファッションしたってすぐ壊れるんですから」

 イセノサキは黙っている。

「わたしだって、運悪く出動命令出るかも?いやいや、暫くなかったし今日もないでしょ、今日に限って……でもわたしシケ人生だからな……って怯えながら映画館行くの嫌なんですよ」

 付近の映画館も、基地勤めに限り上映中の端末使用が許されている。

「昨晩、整備部の彼に会ったのか」

「はぁ?誰ですかそれ」

 怕い上司の一言は鋭利だ。脳裏にあった人影を撃ち抜く。

「女連れがそんなにショックだったのか」

「ち、違いますよ。違います……」

「"ときめき"は要らないんじゃないか」

 イセノサキはパイロットの昨晩の動向を確認していたらしい。寄宿舎エントランスまでは監視カメラがあったはずだ。

「ちなみに一応、女性寮立ち入り申請は出ているな」

「いいんですか、そんなことぺらぺら喋って」

「正式な書類だ。潔白の証明でもある。疾しいことが皆無とは言えないが」

 アサギリはどこか愉快げな上司の目に弾かれたように顔を逸らす。

「ミナカミ」

「はい」

 改めた調子で呼ばれ、アサギリは叱られる気がして上目遣いになる。

「合コンの有無を俺に訊くやつがあるか。他を当たれ」

「おお、自分自身のこともよくご存知のようで……尊敬してしまいます」

 軽口を叩いてアサギリはソファーから腰を上げる。

「ミナカミ」

「なんですか。他を当たりますよ。合コンしてそうな人を」

 この独り身の上司も、そろそろ結婚を考えているのであろうか。霹靂神はたたがみ統治ノ地は年々、初婚の年齢が上がっている。28歳は早くもないが遅くもない。まだそう焦る頃ではあるまい。平均値に甘えるのならば、あと数年は余裕を持てるはずだ。

「その話はもう終わった」

 イセノサキを見ると、感情表現のそう豊かではない彼の顔のどこがどう変わったのか、アサギリはわからないが、直感として真剣な話になることが予見された。

「一般人のパイロット候補を募るつもりだ」

「えっ」

 がん、と殴られて頭の中にメイヒル・アザレアの変わり果てた姿が捩じ込まれる感じだった。

「上手くいけば……上手くいって、育てば、パイロットを辞められるかも知れない。先に言っておく」

「ああ……その時に言ってくださいよ……期待だけ持たせておくんですね」

 アサギリは嫌味たらしく嗤う。

「だから、今は協力してくれ」

 ふと、上司の語気が弱くなった。アサギリの眉間に皺が寄る。気付きたくはないことだった。自信がない。今、彼は、自信がないのだ。それを察してしまえば、アサギリは強く出られない。

一般人パンピーからパイロット募るって、イセノサキさんが提案したんですか」

「いいや。本部からのお達しだ。だが、俺も賛成派に入った。残酷なことを言うが、ミナカミ、おまえの協力が必要だ」

 睥睨へいげいに似た真摯な眼差しに、アサギリは猛烈な気恥ずかしさを覚えた。

「パイロットデータなら、わたしじゃなくてもいいでしょうが」

 彼女は外方を向く。この基地所属のパイロットのなかでは、操縦技術も運動神経も劣っている。

「頼りにしているからな」

 話は終わったとばかりに、上司は仕事に戻る。アサギリはセンターから立ち去った。

 寄宿舎に戻ろうとしたところで、外をレーゲン・T・ランドロックトが走っていた。吸汗性の優れていそうな半袖シャツの袖を肩まで捲り、タオルを首から掛けている。ジョギングしながらアサギリの前で停まる。

「ミナカミ先生」

 金色の瞳に日の光が射し、不思議な輝きを持っている。彼のほうから声をかけられるとは思わなかった。

「ああ、ランドロックトくん。おはよう」

「おはよう」

 彼は緩やかに足を止め、汗にしとどの額をタオルの端で拭う。

「結構走った?」

「30分くらい」

 青みを帯びた艶やかなミディアムヘアがそろそろ見慣れてきた。高い位置で括っていた姿が懐かしくすらある。この地の言語にも徐々に慣れてきているようだ。

「そう。じゃあ、気を付けて」

 彼はふいと上体を傾けた。よく整備士が底部の点検をやっているときみたいに、下から覗かれる。

「なに」

 それは無防備に、いまどきホストクラブの接客員もやらないようなアプローチである。

「酒の匂いがした」

「きつかったかしら?ごめんね」

「別に」

 レーゲンは上半身を戻した。鼻の下に人差し指の背を当てる仕草が不快ぶりを表している。

「ちゃんと水分補給はすることね」

「酒を飲んだなら、ミナカミ先生も……」

 彼はタオルを首に掛け直し、また走り出す。




 パイロットの一般人公募の話が公表されたとき、アサギリはイセノサキから呼び出しを喰らっていた。基地外の者の出入りが増えるため、素行には注意しろとでも言われるものと、彼女は高を括っていた。たとえ素行について注意され、それを直さずとも、パイロットが解雇、馘首かくしゅされることはない。つまり呼び出し、注意、勧告しても無駄なのである。それを聡明な上司は理解しているはずだ。にもかかわらず、イセノサキは何度も何度も口酸っぱく注意する。訓告を怠らない。

「エンブリオ原型機カラカゼがヴェネーシア水源郷から輸送されてくるそうだ。ミナカミ、おまえには、その接待を頼みたい」

 怕い上司は冗談を言っているわけではなさそうだった。至極真面目に、つまりは平生へいぜいと変わらない。

「正気ですか、イセノサキさん。わたしにそんなことができると思いますか。接待だなんて、そんなそんな」

 アサギリはソファーにふんぞり返っていた。上司にさえもそういう態度だった。否、イセノサキに対してだからなのかも知れない。彼女は同僚や指揮官の前でそのような態度はとらない。

「おまえのためになると思う」

「へぇ。すごいイケメンとかなんですかね。期待しますよ。でも男のいうイケメンってアテにならないんだよなぁ」

 為倒ためごかしめいた物言いの上司がいくら意外だった。彼はこのような言い方はしない。

「モーリエ・アムールグランドホテルまで、どうだ?いけそうか」

「辞退したいところですね。パイロットを辞退できないのなら、業務くらいは選びたいというところで……」

 アサギリは本気なのかふざけているのか分からない。

「向こうには警護がつく。こちらもミナカミ、おまえの護衛として俺以外に1人出そうと思っている」

「危ないんですか、そんな」

「エンブリオの在り方そのものがまず賛否分かれているだろう。それから保守派団体、愛国者団体、反基連―反サザンアマテラス基地運動連盟―、環境保護団体その他諸々……無防備でいても絶対安全とは言えないな」

「最もこの世で安全な場所は、もしかしたらあの機体のコックピットの中なのかも知れませんね。これは風刺ですよ」

 茶々を入れるアサギリに、上司はにこりともしない。

「ツキヨノ・ランドロックトくんに声をかけようかと思っている」

「なんでですか」

 理由を訊かずともアサギリは漠然と分かっていた。イセノサキが最近になって、妙にあの異国から来た少年をかわいがっているのをアサギリもたびたび目にしていた。

「彼を基地のアルバイターにしておくよりも、護衛として育てたほうがいいのかも知れない」

「次トラブルを起こしたら、ハイスクールにでも中途入学させようと思っていたんですがね。語学院でもいいんですけど。で、本人にその話はしたんですか」

「いいや、まだだ。遊び半分に射撃練習やロッククライミングに誘ったことはあるが」

 アサギリはやたらと肉体的な鍛錬に励む金眼の少年を思い出していた。霹靂神統治ノ地では18歳など、まだ子供の年齢である。多くはハイスクールに通い、恋愛や勉学、クラブスポーツに勤しむものであろう。

「いいんですか?戦争のあった国の子の経験を、戦争のない国の輩が利用して」

「思うところはある」

「ま、わたしには関係のない話でした」

 アサギリはわざとらしく肩を竦める。

「根からの軍人というのがいる。それは生まれた土地の所為ということもある。根がそのまま花になってしまったら、もう引き返せない」

「随分と急な自己紹介で」

 堅い上司のしかつめらしい真摯な眼差しはいつでもアサギリに自省を促す。

「ちゃんとケアをしてあげるべきなんです、あの子供には。あの子供に必要なのは、同い年の子たちとのコミュニケーションのはずなんです。合わなければそれでいいですけど、余裕ゆとりのある大人がしてやるべきは、その環境づくりのはずなんですって」

 アサギリこそ拗ねた子供のような言い方だった。そして言ったはいいが、彼女自身、その提案を突っ撥ねる異国の少年の姿をありありと想像できた。

「分かった。彼が護衛官そのものを希望するか否かは置いておくとして、ミナカミ、おまえに付けさせるのはよそう。この話は忘れてくれ」

「わたしが接待係から外れれば万事解決じゃありません?」

「そうか。ダンスパーティーが催されるらしいから、その相手を決めておいてほしかった。ここの基地の人間は原則全員出席だ。整備士の彼を、と思っていたが」

 まさか、先程の為倒ためごかしめいた口振りはこのことを指してたのではあるまいか。アサギリの脳裏に、2人のカップルが映り込む。

「イセノサキさんには関係ないでしょうが。セクハラですよ……そういうの苦手なんで、わたし」

 男女ペアにならなければならない式典を、アサギリは何度か経てきたことはあるけれど、どれも単独でやり過ごした。ホールの隅で飯を食い、酒を飲み散らかすだけでも十分楽しいのだ。

「ミナカミ」

「イセノサキさんはモテて仕方ないでしょうね。そういうのって、男側が誘うのがしきたりって、女側に配慮してるつもりで、モテない単独ソロ女からみたら、選択権は男側にあるってことなんですよ。しきたりなんてことになったら女側から誘いづらいでしょうよ。そんな言い方をして、もしその人が、他の女の子誘いたかったらどうするんですか?拒否してくれたらしてくれたでわたしが傷付きますけど、優しい人なので、もし遠慮して"はい"と言ってくれたら、そんな姿なんかはもっと見たくないです。こういう場合に女から誘うってそういうことです」

 イセノサキは小難しい顔をしている。異性からは好かれるであろうが、好かれるだけであろう。交際まだいったなら愛想を尽かされるのがみえる。

「いいです、わたしは1人が慣れているんで、余計な手を回さなくて。壁の枯れ尾花でも、有り余りでも恥ずかしくないですから。お酒とか料理、あるんでしょう?」

 アサギリの態度は焦燥感を帯びて会話を切り上げた。彼女は寄宿舎に戻る途中の建物の陰に腰を下ろす。風が心地良いうちは、そこで不快を流れ落とすのが彼女のやり方だった。

 膝を抱いて、アスファルトの割れ目から生えた雑草とアリを凝らす。

 イセノサキは酷いやつである。気遣いが下手だ。壊滅的だ。気を遣っているつもりで、癪に触るのが上手い。堅物には分からないのだ。

「ミナカミ先生、こんにちは」

 ぶっきらぼうな挨拶が聞こえてアサギリは顔を上げた。半袖を肩まで捲り上げてノースリーブにしたシャツに、タオルを首から垂らしている金眼の少年がペットボトルを口元で傾けている。

「ランドロックトくんか。こんにちは」

「誰かと待ち合わせていたのか」

「どうして?」

「俺が来たのはハズレって感じだった」

 レーゲン少年は特に気分を害した顔をするでもなく、汗を拭いて水分を摂る。その姿は爽やかだ。この戦地育ちの未成年がふたたび逃れた土地で警戒と緊迫に身を置く必要はない。

「えっ、違うよ。誰か来るとは思ってなかったから」

「具合悪いのか」

「なんで?」

 アサギリは自分の頬を両側から揉んだ。体調不良の自覚症状はない。

「ここでうずくまってた」

「風に当たってただけ」

 また走り出していきそうな金目の少年を見上げる。眼前にペットボトルの底が迫る。

「飲む?」

「いい、要らない。ありがとう」

 彼女は首を振った。視界の殆どを塞ぐペットボトルが引っ込む。

「好きに飲め」

「もう行くよ。心配してくれてありがとう」

「別にしてない」

 レーゲンはタオルの両端を襟に突っ込んで緩やかに走り出した。物陰を脱し、瑞々しい筋肉が照った。それを見てからアサギリも尻を上げる。

 そこはサーキットのクラブハウスだった。自動販売機がある。多目的棟の購買部まで行くのが面倒で、彼女は中へと入っていった。基地内の者は社員証で買えてしまう。

 レーゲン少年の販売促進広告の如き清爽な飲みっぷりに煽られて、アサギリも大した口渇こうかつは覚えていなかったが、喉を潤したくなったのだ。

 自動販売機で味の付いた水を買う。サーキットの観覧席に入り、日の光を浴びながら冷たい水を飲む。

 公道ではスピード超過であろうが、このフィールドでは緩やかな走りのマシンがやって来た。そして観覧席の前で停まる。工具箱を提げた整備士がこの階の下から出てくるのが見えた。後姿で、フブキ・マヤバシだと彼女にはすぐ分かった。アサギリは暢気に人工甘味料の冷涼を楽しんでいたが、ペットボトルを下げた。偶然とはいえ、遠目から彼を視界に入れていることが後ろめたくなった。分厚いプラスチックのベンチから腰を上げる。しかしふと気配を感じ、振り返ると、斜め後ろの席にメイヒル・アザレアが座っていた。折れてテープの巻かれた眼鏡が輝いている。虚ろな目は、一直線にマシンを捉え

、傍にいるアサギリに気付いている感じはなかった。

「アザレアさん」

 呼んでみても、変わり果てた彼は答えない。

「君は、反対するべきだ」

 メイヒル・アザレアは眸子を動かさずに喋る。周りにアサギリ以外、人はいなかった。彼女に対したものではないのなら、それは独り言だろう。

「反対って?」

 アサギリはそれを独り言だとは思わなかった。

「反対って、何に?」

 二度問うても、彼は視界の端にすらアサギリを入れようとしなかった。フブキ・マヤバシに整備されるマシンを睨み壊さんばかりである。

「君は反対するべきだ」

 メイヒル・アザレアは同じ調子で同じことを言った。彼はすっと、立ち上がる。その肉感のない機械的な挙動が、アサギリの知るメイヒル・アザレアではないことを力強く彼女に知らしめる。

「また犠牲者を出すつもりか!」

 そして吠えた。マシンの運転手とフブキ・マヤバシが観覧席を向いた。

 メイヒル・アザレアは叫ぶと、そのまますとんとまた席に着いた。その挙動もまたかくかくと四肢だけの動作みたいに機械的だった。

「君は反対するべきだ」

 ここまでメイヒル・アザレアは一度たりともアサギリを見たりはしなかった。彼女が傍にいることに気付いているそぶりもないのだ。

「アザレアさん、どうしたの?反対って、何に?」

 コンセントを抜かれた家電同様にメイヒル・アザレアはもう何も言わなかった。マシンを凝視している。そしておそらく、そこに意味はなかった。

「大丈夫ですか」

 別の声がそこに混じり、アサギリはメイヒル・アザレアから目を逸らす。観覧席の入口に立っている人物を反射的に捉えた。フブキ・マヤバシが作業服に、作業途中と思われる汚れ方でそこにいた。

「あ……」

 アサギリは戸惑ってしまった。彼を目にすると何から話せばいいのか分からない。フブキ・マヤバシは彼女の返事を聞くでもなく、メイヒル・アザレアの隣にやって来た。

「アザレアくん、部屋に戻りましょうよ」

 どこでもない遠くを望む別部署の同僚にフブキ・マヤバシは昔と変わらない接し方をする。そしてメイヒル・アザレアは反応を示さない。肩や腕に触れられようとも頓着がない。

「事務に連絡します」

 アサギリが容喙ようかいした。支給品の携帯電話で事務局に連絡する。医局の者がすぐにやって来るらしい。

「大丈夫なの、マヤバシくん。お仕事は……?」

「大丈夫ですよ。ホワイト部署ですから」

 メイヒル・アザレアの両肩に手を置きながら、彼はアサギリを向いた。視線と視線がさりげなくち合うと、互いにふっと逸らした。

「すみません」

 咄嗟に彼は謝った。何故謝られたのかアサギリは分からず、自身にまずいところがあったかと彼女は焦った。

「い、いえ。よかったなって……だからその、ホワイトな部署で……」

 ぎこちなさを生じさせたのは、確実にぎこちない対応をしたアサギリのほうだ。フブキ・マヤバシはもう彼女のほうを見ようとはしなかった。このやりとりも節介な上司はているのかもしれない。

「あの……その、一般公募のお話が、あったじゃないですか」

 たどたどしくフブキ・マヤバシがまた口を開く。だがやはり顔も目も、相手を見ようとはしなかった。変わり果てた別部署の同僚に語りかけているようにさえ思われる。

「は、はい……」

「それで、このサーキットも、訓練用に、一般開放されるらしくて……それで、その整備をしていたんです……なんて、すみません。要らないことを言って……」

「い、いいえ、いいえ……わたしも、ちょっと呼び出されて、帰ってきたら、ちょうど何か飲みたいな、ってところで……」

 この前寄宿舎で見た、若く柔らかな雰囲気の女性新入職員とならば、彼は円滑に話せたであろう。

「その、最近の、調子は……」

 フブキ・マヤバシは喋りながら、医局からやって来たメイヒル・アザレアの介助者に気付いたようだ。言葉を止めた。アサギリも彼が目を留めたものを捉える。それからメイヒル・アザレアが連れていかれると、アサギリは流れのままフブキ・マヤバシと解散した。

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