第88話 思い上がり
次の日。
私は、前に雪名さんと一緒に来た靴屋を一人で訪れていた。
ダークグリーンのパンプスのヒールの修理に来たのだ。
「靴のメンテナンス、適当な店でやったら駄目よ」雪名さんに注意されていたので、以前からソールの交換などの手入れは全て、結局ここでしてもらっている。
「申し訳ありません。こんな短期間でこんなふうに折れるなんて……。こちらの方の不手際だと思われますので、よろしければ新しく一から作り直させていただきます」
「い、いえ!私も手入れ適当だったし、走ったり色々乱暴に扱ってたと思うので!!作り直しとかは別に大丈夫です!」
店員さんに頭を下げられて、私は慌てる。
「では牧村様、最近、新しい色が出たのですが、よろしければまた靴をお作りになったりしませんか?このお詫びにお値段サービスさせていただきますので」
今度はちゃっかりと営業を仕掛けてくる。
正直、ここのオーダーメイドはなかなか高いのだけど、結局凄く履きやすい。それに私も、前よりも少しお給与も上がっているので、今度は自分でも買えそうだ。その上お値段サービスしてもらえるなら。
「えっと……ちょっとその新しい色見せてもらえますか」
私が店員さんにお願いしたときだった。
「そ、そ、そ、だ、だ、だ、だ!!」
靴屋さんの入り口の方から、言葉にならない言葉が聞こえてきた。
別なお客さんが来たらしい。
「む、む、むり……そんな恐れ多い……死んじゃう、幸せ過ぎて私死んじゃう……」
物騒な声がする。
私は思わず入り口の方を覗いた。
「あ、紗弓さん……と……」
そこには、入り口で怯えた子鹿のようにぷるぷる震えている紗弓さん。あと……
「雪名さん?」
「あ、好葉。いたの」
雪名さんは素っ気なく、しかし心無しかバツが悪そうな顔でこちらを見てきた。
「あ、ま、牧村さぁん!」
ホッとした顔で紗弓さんは私に駆け寄ってきた。
「今日、雪名様に呼ばれて、お伺いしたんです。そしたら雪名様ご私に靴を作ってくださるって恐れ多い事をおっしゃって……」
「靴を、作ってあげる……。紗弓さんに……」
私はぼんやりと、紗弓さんの言葉を復唱した。
「こんな私の為にそんなことしなくていいんです!そんな幸福を受けたら私、幸せ過多で、破裂して死んじゃいます」
紗弓さんは真面目な顔でバイオレンスな事を言っている。
そんな紗弓さんの事を、私は気にする余裕が無かった。
私は雪名さんの顔をじっと見つめた。
「雪名さん、紗弓さんに靴を作ってあげるんですか」
「ええ、そのつもりで来たわ」
雪名さんも私の顔をじっと見つめる。
「なん……」
何で?何で紗弓さんに作ってあげるんですか。そう言いそうになって、私は慌てて口を噤んだ。
居た堪れなくなった。
私は、店員さんに「今度直した靴取りに来ます」と短く伝えると、雪名さんと紗弓さんの横をすり抜けて、靴屋を飛び出した。
気持ちがぐちゃぐちゃしている。
何で紗弓さんに作ってあげるの?浮気じゃん。一瞬そう思った反面、いや浮気って何よ、ともう一人の私が突っ込んでくる。
ともかく、私は何だか恥ずかしい思い上がりをしていたようだ。
雪名さんが大事にしてくれるのは私だけだって。私だけが、雪名さんに靴を作ってもらえるんだって。
私の足だけが、私だけが、雪名さんの大事なものだって。
「好葉!」
後ろから雪名さんの声がした。
私は立ち止まって振り向いた。
「好葉……あの」
「ごめんなさい。私、何だか態度悪かったですね。紗弓さんにあとで謝らないと」
私は雪名さんの目を見ずに言った。
「それにしても、どうして急に紗弓さんに靴を?」
「作ってあげたかったからだけど?」
悪い?とでも言いたげな、当たり前のように雪名さんは答える。
正直、私はこの期に及んでまだ期待していた。
たまたま紗弓さんの靴が壊れて仕方なく、だとかそういう理由なんじゃないかって。でも雪名さんは、積極的に紗弓さんに作ってあげたかったようだ。
作ってあげて何をするつもりだったんですか?まさか……。
「好葉、何を考えているの」
雪名さんが、急に黙った私に問いかける。
「そうですよね。よく考えたら、私より条件のいい人がいたら、目移りすることだってあるに決まってますよね」
「は?」
「紗弓さん、雪名さんの好きな美里ちゃんに似てるし。それに雪名さんの大ファンだからお願いしたら雪名さんの言う事何でも聞いてくれますよね。顔を踏んでほしかったらきっと踏んでくれますよ」
「好葉、何言ってるの」
雪名さんの顔が怖い。
でも私も言葉が止まらなかった。
「私は、紗弓さんよりちょっと早くに雪名さんと出会ってたからこういう関係になってただけで。多分紗弓さんが先に出会ってたら、きっと紗弓さんとこういう関係になってたんでしょうね」
「まあ、それはそうでしょうね」
即答だった。
私は思わず雪名さんに背を向けて走り出した。
ああ、やっぱり私は、オオタカさんの言う通り根性が悪い。今は悪い意味で。
私は心の奥底で、雪名さんが否定してくれることを期待していたのだ。
バカね、そんなわけないでしょうって。
もうその日はテンションがガタ落ちで、何もする気が起きなかった。
明日、雪名さんに会いたくない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます