9.詐欺だろ



 走り慣れた住宅街の道を、胸に湧き起こった衝動のまま、ペース配分など考えずひたすら駆けていく。

 春先の終わりといえど朝の空気は冷たく、火照った頬の熱を奪うと共に、少しだけ頭も冷やしてくれる。そして考えるのはやはり、英梨花について。

 再会して妹じゃないと知って、ドギマギしているというにもかかわらず一つ屋根の下。

 いきなりのことで感情が付いて来ず、一体どうすればいいのやら。

 翔太も健全な年頃の男子である。

 英梨花ほどの美少女からあんな風に近い距離感で接されると、あらぬことを考えるなという方が難しい。今はもう、妹だからというストッパーが無くなってしまっているから、なおさら。考えても考えても、頭の中はぐちゃぐちゃだ。答えなんて出そうにもない。


(くそっ、もしこれが美桜だったらここまで悩まなくてもいいのに!)


 ふと、そんなことを思ってしまう。

 美桜は幼い頃からずっと一緒で、お互いに良いところも悪いことも知り尽くし、それこそ兄妹のように育ってきた。今更異性として意識することも、一緒に暮らしたとして間違いが起こることもないだろう。


「あぁ、もうっ!」


 翔太は答えの出ない問題に振り回されながら、走り続けた。


 たっぷりいつもの倍の距離を走った翔太は、歩いて身体をクールダウンさせつつ息を整え、家へと戻る。

 多少昂っていた胸も静まってきた。「よし」と頬をピシャりと叩いて自分に気合を入れ直していると、家の前で誰かがインターホンを鳴らしているのに気付く。

 見知らぬ女の子だった。

 ふわふわした明るい髪をなびかせ、ひらひらした春らしい桜色の服を着た、英梨花にも負けず劣らずといった可愛らしい女の子だ。思わず見惚れそうになるほどに。その手にはかなり大きな旅行用のキャリーケース。住宅街にあって、なんとも違和感が強い。

 当然ながら、翔太には彼女の心当たりがない。

 母、もしくは英梨花の知り合いなのだろうか?

 わからないが、どちらにせよ我が家に用があるらしい。


「その、うちに何か用ですか……?」

「……ぁ」


 恐る恐る話しかける翔太。

 するとこちらに気付いた彼女は一瞬きょとんとした顔を作り、まじまじと見つめる。そしてくすりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


(……え?)


 その時、何かが引っ掛かった。

 妙な既視感を覚えると共に、まさかといった疑念が生まれる。翔太がどんどん目を大きくしていると、彼女は芝居がかった口調と共に胸へと飛び込んできた。


「しょーちゃん、会いたかった……っ!」

「ちょ、待て、やめろ!」

「こんなにドキドキしてたら、翔ちゃんに聞こえちゃうかも……」

「おい、どういうつもりだ!」

「あーもぅ、しょーちゃんってばノリ悪いなぁ」

「……誰、その子?」

「っ⁉」「ぁ」


 その時ふいに、玄関から英梨花の無機質な声が響く。感情が読み取れない、背筋がヒュッとなるような声色だった。

 恐る恐る振り返れば、不機嫌さを隠そうとしない英梨花が、凍てつくような視線で見下ろしている。翔太は反射的に彼女を引っぺがし、言い訳を紡ぐ。


「英梨花、これはその……」

「えりちゃん⁉」

「……え?」


 すると彼女は英梨花へと飛びつき、ぎゅっと手を握りしめ、まじまじと不躾に見回しながら興奮気味に口を開く。


「その髪はえりちゃん、えりちゃんだよね⁉ わ、わ、すっごい美人さんになってる!」

「え、や、あの……っ」

「やっべー、髪さらさらだし腰とかほっそ! ほっぺはもちもち! やみつきになる!」


 彼女の勢いのまま揉みくちゃにされ、翻弄される英梨花。どうしようと助けを求める目を向けてくる。翔太はガリガリと頭を掻き、大きなため息を1つ。

 見覚えはないが聞き覚えがある声の彼女へ、確信を込めて言う。


「やめてやれ、美桜。英梨花が驚いてる」

「おっと、ごめんごめん。だってえりちゃん久しぶりだし綺麗になってるし、興奮しちゃってさー!」

「みー、ちゃん……?」


 英梨花は彼女――美桜を見て目をぱちくりさせ、瞳に話が違うと言いたげな色を浮かべ訊ねてくる。

 しかしこれは、翔太にとっても想定外だった。つい昨日顔を合わせた時とまるで違う。

 美桜のことは幼い頃から、何でも知っていると思っていた。だけど、目の前の女の子は知らない。先ほど抱きつかれた部分が、まるで熱を持っているかのよう。


(さ、さっきのあれは美桜だってわからなかったし!)


 内心、そんな言い訳を自分にする翔太。

そして努めて怪訝な表情を浮かべ、直接問い質す。


「って、どうしたんだよ、その格好。コスプレか? まるで別人だぞ」

「あっはっは! しょーちゃんもさっき、あたしだって気付かなかったみたいだしね」

「う、うっせ!」

「やー昨日、用事あるって言ったでしょ? 兄貴や父さんがさ、高校生になるんだし少しは女らしくしろって美容院とか予約していて、それで。あ、これいわゆる高校デビューってやつだな! ……で、どうよ?」


 そう言って美桜は自らを見せつけるかのようにくるりと回る。緩やかな髪と今まで私服では見たことがないスカートがふわりと舞い、思わずドキリとしてしまう。

 翔太は慌てて視線を逸らし、そのことを認めまいとぶっきらぼうに言う。


「ま、まぁまぁじゃね?」

「むぅ、なんだよぅ。もっと褒めてくれてもいいのに」

「みーちゃん、可愛い」

「わー、えりちゃんもかわいー好きー、翔ちゃんもこれくらい素直になりなよ、ほらー」

「……いいだろ。ていうか何しにきたんだよ、その荷物はなんだ?」

「あ、それあたしの身の回りのもの。さすがに重いからしょーちゃん持ってよ」

「ちょっ、おい!」


 言うや否や、美桜は慣れたいつもの調子で葛城家へと遠慮なく上がり込む。

 呆気に取られていたものの、翔太も慌てて荷物を持って英梨花と共に後を追う。

 そして美桜が向かった先は、一階の納戸代わりに使っていた、はずの部屋。

 だというのにそこはすっかり片付けられ、机やベッド、棚などが運び込まれていて普通の部屋の様相になっており、どういうことだと目を白黒させる。

 美桜はその部屋を見渡し、「お、いいねー」と暢気に呟き向き直った。


「翔ちゃん、荷物はその辺に適当に置いといてよ。あとは私がやるし」

「え、いやこれって……」

「えっへっへ、今日からあたしも一緒にここで住むから。よろしくね、2人とも!」


 にぱっと花咲くような満面の笑みを見せる美桜。

 それとは対照的に、突然のことに唖然とする翔太と英梨花。

 互いに顔を見合わせ、理解が追い付くと共に、驚きの声を重ねる。


「「……えぇ~っ⁉」」


 寝耳に水の話だった。

 美桜も一緒にこの家で住む――見た目の変貌も相まってキャパオーバーになってしまい、狼狽えてしまう。英梨花もどうしていいかわからず、オロオロするばかり。

 そんな中、美桜はいいことを思い付いたとばかりに、ポンッと手を叩いた。


「あ、そうだ! せっかくえりちゃんもいることだし、ひと勝負しようぜ!」

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