第115話 俺、公務員になる



「これからお世話になります。岡本英介と申します。前職はメーカーで営業をしており最低限の事務作業は心得ておりますが……不慣れなことやご迷惑をかけることもございますが、よろしくお願いします」


 朝礼、冒険者協会執務室で挨拶をした俺は温かい拍手に迎えられた。日本冒険者協会の建物の中でも俺が配属されるDLSは窓口のない階層にあり普通のオフィスとそれほど変わらなかった。部署のオフィスにいる人が1人だけということ以外は。


 驚いたことに、始業時間ぴったりに働き始める。

 俺の常識で言えば、8時に時ごとが開始であれば7時50分にはみなデスクで仕事を始めているし、新人の挨拶なんかは始業前に行うものだ。けれど、今は始業時間を少しすぎている。定時にきて定時に帰る。公務員って素晴らしい。


「じゃ、デスクはそこだよ」


 相田さんが指差したデスクに鞄を置き、椅子に座る。用意されたノートPCとマニュアルの山。


「今日は、岡本くんのバディになる成瀬くんだ」


 俺の隣のデスクに座っていた女性が立ち上がって俺にぺこりと頭を下げた。彼女は地味な色のカーディガンによれよれのスーツ、寝坊したままみたいなボサボサの髪。首から下げたネームプレートを手に持つと


「な、成瀬ひとみです」


 と小さな声で言った。


「成瀬くんは、こう見えて高卒から協会員として働くエリートバディでね。事務作業なんかでわからないことがあれば彼女に聞いてくれ」


「あの、相田さん。バディって……?」


「あ、あぁ! すまないすまない。DLSはダンジョンの調査に行くだろう? 君が実行部隊なら彼女が事務方。まぁ芸能人とマネージャーみたいなもんだよ。最初は覚えるためにも事務作業を自分でやってもらうけど、ゆくゆくは岡本くんの持つ案件の事務作業全般やスケジュール管理は成瀬くんがやってくれるからね」


 なるほど、遠方のダンジョンに出向く時の手配なんかもお願いできるのか。営業と営業事務さんみたいな関係だな。

 俺はパワハラを受けていて営業事務さんを使うことが許されていなかったが。


「岡本英介です。よろしくお願いします」


「はい、えっと……相田部長。OJTは……どなたが?」


 成瀬さんの質問に相田さんはモゴモゴと言い訳をする。とういうのもDLSの部署はほとんどのデスクか空きになっていた。死んでしまって代わりがいなかったのだから仕方がないのかもしれない。


「成瀬さん、お願いできるかな?」


「あの、いいですけど。岡本さんは、この部署の部長になる人ですよね? まだ4年めで高卒出身の私だけでは教えられることや権限に限りがあります」


「す、すまないねぇ。とりあえず、事務と流れをおしえてくれたらいいから」


「査定、期待してますよ」


「あ、あははは、それじゃあ。岡本くん、初日は肩の力を抜いて。頑張るんだよ」


 足早に去っていく相田さん、残された俺を見て成瀬さんは「ふぅ」とため息をついた。


「相田部長、いい人なんですけどね。前の部長がダンジョンで死んでからは代理でこの部も相田さんが見てくれているんですけど、なんというかまぁ。岡本さん、とりあえず今日はこれを読んでテキトーにしていてください」


「あ、ありがとうございます」


「あの、私、随分年下ですし。いいですよ、タメ口で」


「ありがとう」


「いいんです。公務員は年功序列ですから。とは言っても、DLSはメンバーがいない以上やることってないんですよね。私はひたすらメンバーが来た時のためのダンジョンの仕分けをしてるんですけど。ま、岡本さんも急ぐ必要はないですよ。頑張っても頑張らなくてもお給料は同じ。今日は仕事の流れやDLSの歴史マニュアルを読んでコーヒーでも飲んで職場になれてください」


「わかった。ありがとう」


***


 といいつつ仕事するんだろ?

 なんて思っていた俺はどうやら阿呆だったらしい。成瀬さんは12時ぴったりになるとデスクに可愛らしい小さなお弁当を広げ、13時までには歯磨きをして戻ってくる。

 仕事も書類作業をしているが1時間に1度は立ち上がってお茶を淹れたり休憩をしたりして目を休める。


 もしも、民間の会社にいたら速攻クビになるレベルだ。

 けれど、決められた時間の中で決められた仕事しかできない公務員はどうやらそうではないらしい。現状仕事のないこの部署は出勤はするものの仕事はない。だからこうやって時間を潰すのだ。


「奥さん、ですか?」


「いえ、彼女で」


「へぇ〜、綺麗な人ですね。それに……」


 成瀬さんは俺がデスクに置いている写真たての中の写真を指差した。


「それに?」


「ワンちゃん。可愛い。私も家で犬を飼っていて。岡本さんのOJTが終わったらリモートに入る予定で」


「そうか。なんかすいません」


「いいんです。ワンちゃん。なんてお名前なんですか?」


「シバ」


「ふふっ。柴犬のシバ? 可愛い」


 成瀬さんがふにゃりと笑う。化粧っけがない地味でクールな人だと思ったが、それは仕事上の姿で本当は年相応の女の子っぽいところもあるようだ。


「テイムモンスターで、数百歳のおじいさんでしゃべるよ。コイツ」


「うっそ……喋るワンちゃん。あの、今度協会のお花見があるんですけど岡本さんとワンちゃんが参加するなら私も……」


 と彼女が言いかけたところで定時のチャイムがなった。


「あ、定時か。最後まで読んでから」


「いいえ、岡本さん。定時なんで仕事は畳んで帰りましょう」


 成瀬さんは俺が持っていたファイルをパチンと閉じると立ち上がって小さなバッグに荷物を詰め始めた。


「じゃあ、お疲れ様です。成瀬さん」


「岡本さん、お疲れ様です。また明日」


 成瀬さんは部署の電気を消すと俺に部屋を早く出るように促して、鍵をかけた。民間企業とのあまりのギャップに驚きつつ、俺は良い場所に就職したのかもと嬉しい気持ちに包まれた。




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