五月雨の出会い

武尾さぬき

第1話 雨のバス停

 雨が降っている。無数の雨粒が鉄柵を叩く音が絶え間なく響く。私は部屋の窓から外を眺めていた。


 部屋は一戸建ての家の2階にある。家の前の道路を挟んで向かい側に、木造の小さな屋根のバス停があった。私は今、そこをじっと見つめている。



 6月の下旬、時間は午後4時過ぎ、外はまだ昼間と見紛うほど明るかった。雨音と濡れた路面を走る車の音、遠くにセミの鳴き声も混ざって聞こえてくる。


 この時間、雨の日だけバス停に姿を見せる人がいる。遠目と雨も相まって、顔はよくわからないけれど、その人は学生服を着た女の子……。



 ある雨の日、私は偶然彼女の存在に気付いた。夕方から雨がしとしとと降りだしたその日、何気なく窓から外を見ていた私はバス停のベンチに座る彼女に目が留まった。


 ここのバス停は利用客がとても少ない。もの珍しさなのか、なんとなく彼女の姿を眺めていると、彼女もこちらを見た。


 ――いいえ、実際はこちらを見たように感じただけ。家からバス停までの距離と、視界を邪魔する雨を考えると、彼女がこちらを見ていたかなんて定かではない。


 ただ、私はなぜか彼女に、と感じたのだ。それはひょっとしたら私が人だからかもしれない。


 バス停の女の子は単なるバスを待っている子なのか……、それとも私に見えている子なのか?



 それから私は、夕方雨が降っているとバス停を気にするようになった。彼女は決まって雨の日姿を現す。

 まるで、時間と雨とが一定の法則を成した時に起こる「現象」かのように女子学生はそこに姿を見せるのだった。


 彼女は2階の窓から自分を覗く私に気付いているのか、降り注ぐ雨を挟んで私たちは何度か視線を合わせた。いいえ……、合わせているような気がした。



◇◇◇



 木造の屋根を雨が繰り返しノックする。浅い水溜りを車がはじく。ここでも遠くにセミの鳴き声が聞こえる。

 私は今、バス停にいた。時間は午後4時過ぎ。いつもなら正面に見える家の2階から私はここを見つめている。今は逆に、バス停からそこを見上げてみた。


 ――その時……。


 かすかに水をはじく足音がした。私が振り向くと、濃紺の傘を畳む女子学生の姿があった。


 彼女は傘を2度3度と畳んでは広げ、水しぶきを飛ばしていた。ボブカットの真っ黒な髪をした女の子。毛先はかすかに濡れて頬に張り付いている。不自然なほど真っ白な肌、横顔から長いまつ毛がくっきりと見えた。


 私がじっと見つめていることに気付いたのか、彼女ははっとしたようにこちらを見た。そして、今度は確実に……、私たちは視線を合わせた。



 道路脇の用水路は水が激しく流れている。雨はまだ一向に止む気配がない。


 目が合った私たち。


 私はなにか口にしようとしたが、なにを話していいかわからなかった。目が少し泳いだ時、バスの時刻表が目に入った。


「あっ……、えっと、バスまだしばらく来ないみたいですよ?」


 その場を取り繕うよう私が口にしたのは時刻表の話。彼女は傘をくるくるとまとめながらじっとこちらの顔を見ていた。


「ええ……。ここのバス、本数少ないですよね」


 彼女が小声でそう言ったのがかろうじで聞きとれた。雨の音に紛れてしまいそうなか細く、女の子にしてはやや低めの声だった。


 私は彼女の視線を気にした。こればっかりは仕方ないのだけれど…….


 私は身長がとても低いのだ。今17歳なのにまだ150cmに届かず、しかもここ1、2年はまったく伸びていない。


 まさか、成長が止まってしまった……?


 いやいや。まだきっと、おそらく、多分……せめて150を超えるまでは伸びるはず。伸びないとおかしい、お願いだから伸びて下さい。



 私たちは人2人分くらいのスペースを空けて、バス停のベンチに腰掛けていた。お互い降り止む気配のない雨を見つめながら、ゆっくりと流れる雲と、それと同じような時を過ごしている。



 近くで見た女子学生は思っていたより大人っぽい印象だった。きっと高校生かな。それなら私と一緒だ。だけど、彼女の着ている制服に見覚えはなかった。


「高校生? このあたりの学校?」


 沈黙が気まずくなった私は、横目で彼女を見ながら話しかけた。座高でも明らかに視線を上にしないといけないのが少し悔しい。

 女子高生は一瞬怪訝そうな顔を見せた後に、またか細い声でこう答えた。


碧山あおやま高校です。この先の、下り坂をずっと下った先にある……」



 碧山高校……?


 私はこの返事に違和感を覚えた。当然だ。なぜなら「碧山高校」は今、私が通っている学校だからだ。つまり、彼女と私は同じ学校に通っている学生ということ。


 たしかに碧山高校は、目の前の道路を進んだ先の下り坂をずっと行った先にある。だけど、彼女が着ている制服は碧山高校のものではない。通っている私が言うのだら間違いない。



 ひょっとしたら転校生? まだ新しい制服ができ上がっていないとか?


 私は自分なりに納得いく理由を探しながら、彼女が同じ学校の生徒と知って少し安心した。大人しそうなこの子と共通の話題が見つかったからだ。


「そうなの? 私も碧高あおこうに通ってるの! 何年生?」


 少し降りが激しくなった雨。私は雨音に声が紛れないよう少し大きめの声で話を続けた。彼女との微妙な距離間もボリュームを引き上げる要因になっている。


「2年です。私は、雨宮あめみや 水面みなもと言います。失礼ですが、お名前は……?」


「雨宮さん! 私は、大高おおたか 瑞希みずき……。3年生よ、よろしく」


 この名前を言うときいつも微妙に恥ずかしい。大きくも高くもないのに「大高」だからだ。残念なことに私の名はまったくたいを表していない。


 話の流れでなんとなく自己紹介をした私たち。私が「3年生」と言ったとき、雨宮さんの目が見開いたのに気付いた。きっと身長から中学生と思われていたに違いない。くっ……、悔しい。



 制服の謎についてはまだ聞けてないけど悪い子ではなさそうだ。だけど、ここで私は新たな疑問が湧いてくるのだった。


 雨宮さんはどうしてこのバス停に歩いて来たのだろう……と。


 同じ碧高に通っている私だからこそわかる。このバス停でバスを降りるならなんの不思議もないのだけど、このバス停から乗り込むのは少し……、いや、かなり不自然だ。


 なぜなら碧高の真ん前に同じ系列のバス停があるからだ。時間的にきっと学校からの帰りだと思う。雨の日だけバスに乗るのもなんとなくわかる。だけど、までは歩いて20分くらいかかるはず。


 わざわざここまで歩いてバスに乗り込むのはとても不思議に思えた。



 雨宮さんはぼんやりと雨雲を眺めている。あまりお話好きのタイプではないのかもしれない。けど、私は彼女のことをもっと知りたくなっていた。


 そして……、私は持っていた鞄の中からを取り出す決意をするのだった。


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