てんとう虫のサンバ

鈴北るい

てんとう虫のサンバ

植物園には、たくさんの子供たちがいた。うららかな日差しを浴びながら、思い思いに遊んでいる。


花を眺める者、木に登る者、写生をする者、芝生に寝転び、ぼんやりとしている者。


なかには、虫を追う者達さえいる。蝶々やトンボ、バッタ、その他たくさんの、名も知らぬ、小さな緑色の虫たち。


そしてその中心に、ひとりの女性が座ってほほえんでいる。我が子をいつくしむように。いや、実際彼女は、彼らすべての母親なのだ。


蟲夫人レディ・バグ。お呼びと伺いましたが」


「あら、あら、早いのね。もう来てくれるなんて」


私が声をかけると、彼女は六本の機械脚ですべるようにやってきた。


「私をお呼びということは、お急ぎかと思いまして」


「そうよ。もちろんそう。でも、こんなに早く来てくれるなんて、熱心でうれしいわ」


「敵でしょうか」


「そうなの。お願いできる?」


「規模は」


「一匹だけ。でもとても大きいわ」


「二級霊装を使いましょうか」


「うーん、そうねえ……きっと一級がいいわ。私も手伝いますから、手早く片付けましょう。きっとカブトムシさんもお待ちかねだから」


「わかりました」


「いい子ね。よく顔を見せて」


「それは後程」


つとめて短かく切り上げて、私は踵を返す。振り向けば、きっと彼女はいつも通りのやわらかい微笑みで手を振っていてくれることだろう。


だが、それに甘えるわけにはいかない。


追い掛けっこでもしているのだろうか、子供たちが目の前を駆け抜けていく。


私は、彼等を守らなければならない。


地球で最後の花園を、全てから。



* * *



21世紀初頭、ロシアのウクライナ侵攻に端を発する米露戦争は、全世界を巻き込んだ全面核戦争によって幕を閉じた。


だが、人類は絶滅してはいなかった。


そして、彼らは復旧よりも、ひたすらに復仇を求めた。


100年あまりの『復讐戦争』。誰のための、誰に対する復讐なのか、誰もわからなくなるような、恐ろしい時代があった。もはやタブーではなくなった核兵器が、生物兵器が、化学兵器が、そして、新たに開発された呪霊兵器が、世界を徹底的に破壊し尽くした。


それから、また、100年。


ごく僅かに生き残った人間たちは、巨大な壁の内側で、ようやく細々と生きている。


罪にまみれ、それでも生きんとする人間たちの砦、巨大移動要塞『てんとうむし《レディバグ》』。戦争以前の生態系を保ち、人類を生き存えさせている、半球形のガラスドーム。


それが私の故郷だ。今、この地に生きるすべての人達の故郷だ。


『見えるかしら』


呪霊通信むしのしらせを通じてレディ・バグが言う。もちろん、見えている。前方10キロ、目と鼻の先にそれはいた。


形だけを言うなら、それは10キロ先からでも見える巨大なカマキリだ。かつて人間を狩るために作られた、カマキリ型生体兵器が素体になっているのだろう。だが、あまりに大きすぎる。その体の中身は、タンパク質でも金属でもない。


体表に顔が見える。見間違いでもシミュラクラ現象でもない。苦しみ叫ぶ人の顔。アレがまともな生き物ではなく、怨念と魂の寄り集まった怪物であることの証だ。


『呪霊複合体、残穢と確認。ランク一級。一級霊装の使用を承認。ソーラレイシステム、展開』


その言葉と同時に私は跳んだ。高く、高く、10キロの距離を一足で。


見下ろす世界は、緑に満ちている。100年で破壊された生態系は、後の100年で甦った。地球は再び、命の満ちる星になった。


だがそこに人間の居場所はない。私のようなヒトならざる者でなければ、到底生きて歩ける場所ではない。


あらゆる呪いに満ち、その呪いを食らって育つ異界の森と、そこで生きる異形の蟲と獣たち。


もはや人の帰らぬ緑の中で、てんとうむしが輝く。


『ソーラレイ発射承認――天道なおも我に有り』


てんとうむしから放たれた光がカマキリを襲う。単なる熱線ではない。罪あるものを――すなわちすべての人を魂ごと焼く太陽の呪霊兵器だ。カマキリがうめく。悲鳴を上げる。なぜ再び苦しまねばならないのかと。なぜ再び死なねばならないのかと。


なぜ自分たちは苦しみ死なねばならないのに――お前たちは生きているのかと。


100年の戦争で、それから100年の苦難で、死んでいった者達が残した無念、苦しみ、恨み、それらが積み重なって生まれた呪いのカマキリが叫ぶ。


焼け。


殺せ。


のうのうと今日を生きる、全ての命を――


「一級霊装、地獄INFERNO、起動」


私は落下の勢いと共に、地獄の炎をカマキリに叩き付けた。



* * *



赤い街が見える。


赤い街を歩いていく人たちが見える。


彼らは皆、腕を前に差し延ばして、そこから何かが垂れている。


皮膚だ。焼け爛れ、剥がれた皮膚だ。それが地面にこすれると痛いから、みんな手を伸ばして歩いている。


眼窩には目玉がない。爆風で飛んでいってしまったから。きらきら光るのは突き刺さったガラス片。


水をくれ、水をくれと呻く声がする。


道端の水槽には、母子がつかって、そのまま死んでいる。


川を埋めつくすほどの死体、死体、死体、そこにまた、人が飛び込んでいく。


地獄だ。


100年前の地獄。


100年間の地獄。


数えきれないほど多くの人々の、かかえきれないほど巨大な苦痛の渦。


それが、焼けと叫んでいる。


殺せと叫んでいる。


なぜ自分たちだけがと叫んでいる。


だが、それでも。罪深くても。


生きていたいんだ、私たちは。


「霊装反転――リンフォン《RINFONE》」


私の言葉とともに、地獄が落ちていく。吸い込まれていく。門の先に。その門には、魚の印が見える。


すべての者に許しを。


すべての者に救いを。


どんな者の罪も、きっと無限ではないはずだから。



* * *



「無理をさせてしまってごめんなさいね」


意識を取り戻した私に、レディ・バグは申し訳なさそうに言った。


カマキリを倒すか倒さないかというところで、私は霊装の使い過ぎで倒れたものらしかった。


物理法則をあざわらうような威力を示す呪霊兵器の大きな欠点がこれだ。使い手の精神力に左右されすぎ、また受け手の精神に直接触れてしまう。かつては……時に今も、そのことは、大きな事故を引き起こし、多くの人を殺してきた。


「とても大きな……今までに見たことがないくらい、大きな子だったわ。きっと、つらいものを見たわね」


「問題ありません。最後まで意識を保っていられなかったのは不覚でした。申し訳ありません」


「何も謝ることなんてないわ。カブトムシとのドッキングを済ませたら、何かおみやげを買ってきてあげましょう。何がいいかしら?」


「不要です」


「あら、駄目よ、そんなことを言っては。大変な仕事をしたのだから、すばらしい物を手にする資格があるわ。そうでしょう?」


「平和を」


深い考えがあっての言葉ではなかった。ただ、なんとなく、口をついて出ただけの言葉だった。きっと思いの外、心が弱っていたのだろう。すぐに後悔する。それは、あまりに酷な言葉だっただろうから。人類の花園、それを守るためと言って……たくさんの子供たちを戦闘兵器に変え、使い潰し、怨念を積み重ね、それでも、なおも、人類の生に天道はあるのだと、言い張り続ける彼女にとって、あまりに。


私が弁明するより早く、レディ・バグは優しく私の頭を撫でた。


「それはもうあるわ。あなたが守ったんですもの。この立派な、長い手足でね」


そうだ、帽子を買ってきてあげるわ。そう言ってレディ・バグは去っていった。帽子、いいかもしれない。外に出て、直接の日差しに当たるという贅沢ができる体には丁度いい。


枕元にはソフトボール大の、正二十面体のパズルが置かれている。


一級霊装『リンフォン』。凝縮された極小サイズの地獄。地の穢れを祓うという名目で、人を炎の中に叩き落とす呪われた武器。


いずれこの中に、すべての地獄を蒐めることが叶うだろうか。


そうしたら、子供たちは、本当の外の世界に触れることができるだろうか。


それはあまりに遠い道程なのかもしれないが、もし、本当にそんなことができるなら、歩いていかなければならないと私は思うのだ。


なにせ、私の歩幅は人より長い。


私の身長は、八尺8フィートもあるのだ。

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てんとう虫のサンバ 鈴北るい @SuzukitaLouis

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