バスガスばくはつ

さまーらいと

バスガスばくはつ

 この世界はきっともうダメでさ、だからみんないつかバスに乗るの。

 ずっと乗ったその先の終点はとても良いところでさ、みんなが天竺とかシャングリラとかエデンとか言ってるのは全部そこのことだってカムパネルラも言ってた。でバスって乗る時に整理券があるじゃん。整理券には数字が印字されてるのよ。番号はバスに乗った場所に依存してるからさ、幸か不幸かそれを見れば他人がどこから来たのか簡単にわかっちゃうわけ。世間話する時とかは便利だよね、あーあなたはあちらの町から来たんですねとかそこには行ったことないですねとか。

 でもなんかあたしの隣に座った女の子はそれがすごく嫌だったらしくてさ、そりゃそう思う人もいるよね、誰ですかって人に自分のこと知られて嬉しくないって気持ちもわかるよ。わかるんだけどさ、めちゃめちゃ綺麗な女がめちゃめちゃ綺麗な顔のまま、ずっと整理券の文句だけを言ってるの。何だか面白くて笑っちゃってたら、あたしもとばっちりをくらった。

「トウキョーってところに行けば、番号は印字されないらしいの。それどころか、整理券や切符なんてないんだって。乗る時にハコの中にお金を入れればそれで終わりでそこからは何にも縛られないんだって」

 彼女にとってそれは楽園みたいなものだったんだろうね。それで彼女は、今あたしたちが乗ってるバスから途中下車するって言い始めたの。笑っちゃうよね?このまま乗っていればある程度の幸せは確約されているっていうのに、それが自分にとって適切な幸福じゃないからって。これまで乗ってきた道のり分の料金を払って、整理券を捨てて、精算してはいさよならしちゃった。自分にとって適切な幸福ってなんだよ。

 そして何より笑っちゃうのは、途中下車した彼女にあたしが着いて行ったことなんだ。


 わかるのは方角くらいだった中、あたしと彼女はトウキョーに向かって歩き続けた。夏がとっくに始まってて、セミと温度がうざかった。彼女は地元では有名なお医者さんの娘で、兄弟があと四人居て、町を歩いていてもしばしば「ああ彼女はあのお医者さんの家の娘ね他の兄弟は優秀だとかよく聞くけどあの子の話は聞かないね顔だけは父親に似て整っててべっぴんさんだけど」なんてことを噂されて、そういう個人ですらない識別をされ続ける生活が受け入れられなかったんだって。だから偏見も色眼鏡もない世界に行きたかったんだって。なんとなくわかる気がするし、全然わかんない気もする。金持ちの不満ってのはいつも精神的なものだから、少し共感が難しいんだ。


 そんであたしたちはトウキョーについて、それはびっくりするくらいコンクリートだらけの街で、しばらく適当にぶらついてたら偶然バスを発見して、一目散に乗り込んだんだ。笑っちゃうほど中はぎゅうぎゅうで座るとこなんてもちろん無くて、けど確かに誰も切符や整理券なんて持ってなかったんだよ。

 やけに派手な見た目の人が多かったな。考えてみればその理由は単純なんだ。彼らのほとんどは自分自身に自信がない。内面に自信が持てないから外面を脚色する。みんながみんな彼女みたくこれまでの自分を清算して捨てちゃった人たちなんだって思うと、すんなり納得がいった。そんで同時に、かわいそうだなって思っちゃった。

 はじめ、彼女はその空間に満足そうだった。けどバスの中の他の人に声をかけたりするうちに、少しずつ違和感に気づいていったんだ。バスに乗っている彼らはこの子とおんなじで何者にもなりたくないのかと思っていたけど、そうじゃないんだよ。過去の肩書きを捨ててきたというのに、この後に及んで彼らは何者かになりたいと願い続けている。それが彼女にとっては大層ショックだったらしい。「何者でもない自分になりたいんじゃなかったの?ただ、何かになりたくて、その上でこれまでの自分が邪魔だと思っただけなの?」その価値観の違いは大きかったんだろうね。数十分もしないうちに耐えられなくなった彼女は、結局またバスを途中下車しちゃったんだ。

 あたしはこの時、バスに乗って行き着く先が天国なんていうのは真っ赤な嘘だと確信した。少なくともそれは万人にとっての天国ではない。最初に乗ったあれも、さっきまで乗っていたこれも、ここより良い場所に向かうとは思えない。そして、この世界はやっぱりもうダメなんだなとも思った。

 外は大雨でそれもお構いなしにびしょ濡れでわんわん泣きじゃくる彼女の肩を支えながら、一番かわいそうなのはこいつだなと思ったよ。結局どこにも居場所がないとわかって、綺麗な顔はくしゃくしゃになってもやっぱり綺麗だった。きっとバスの中のあいつらは、この顔があればあんなところに居ないしあんなふうに自分を着飾らないんだろうな、と思う。けどこいつは、こんなものに何の価値も感じてないんだろうな。ばかばかしい。どっちもきっと天国には行けないんだろうけど、願わくばバスに今も乗っている彼らの行き着く先がクソの掃き溜めみたいな場所だといいなとぼんやり思った。あるいは、終点に行き着く前に爆発してしまえばいい。それを見届けたらそのあとあたしは彼女と誰もいない場所でピクニックでもしようと思う。そして「こういうのも悪くないでしょ」と笑ってやる。二人きりでいれば彼女は誰と比較されることも後ろ指を刺されることもないし、あたしはこのご尊顔をずっと独り占めして眺めてられる。それでこの女は1ミリも救われないんだろうけど、それはそれで不憫で嬉しい。

 あたしはこの時初めて人を心の底から見下して、それから初めて恋をした。

 ペトリコールの匂いがしたな。

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