第8話

 ヨルが言うには、氷の女王の呪いを解く方法は、3つ存在するのだそうです。


 ひとつめは、呪いをかけたものを消すこと。つまり、氷の女王を殺してしまうというものです。

 けれど、ユルはどうして自分の両手が呪いで凍っているのかさえ知らないままでした。顔も知らない氷の女王を殺してしまうだなんて、なんだか良くないようなことの気がしましたし、できるのかどうかもわかりません。

 ユルがそう告げると、ヨルはゆっくりとうなずき「ユルがそう望むのなら、ぼくにはそれはできないねぇ」と、のんびり言うのでした。



 ふたつめは、真実の愛を見つけて氷を溶かしてしまうこと。けれど、これはお互いへの疑いなき愛がなければ叶うことはないという、なんとも難しいものでした。

 ユルはまだ12さいで、愛だなんてどこでどうやって見つけていいのかも、何ひとつわかりませんでした。

 幽霊ファントマのみんなはうわさ話が大好きで、恋のお話も楽しそうに聞かせてくれましたが、いまいちそれを掴みきれないユルは、どちらかといえばモンスターのみんなの話す、お空や食べ物の話題の方が楽しかったのです。



 そしてみっつめ。


「ユルがぼくと一緒になればいい」


 それが一番かんたんな方法だよ、とヨルは大きな目でユルを見つめながら言いました。


「どういうこと?」

「なぁに、そんなに難しいことじゃない。言うなれば、ユルという存在を書き換えてしまおうというところさ」

「書き換える……?」

「そう。呪いという概念をきみから剥ぎ取って、呪いのない存在として生まれ変わるのさ」

「生まれ変わる? でもそれって……死んでしまうってことじゃないの?」

「ちがう、そうじゃないんだ。でも、なんて伝えたらいいのかなぁ」


 ユルはびっくりしてヨルを見ましたが、ヨルは変わらずにちろちろとその舌を出してゆっくり言葉を選んでおります。


「ユル、この世界にはね、すべての生き物のことを記した書物と、それを大事に抱え込んでいる大きな大きながあるんだ。それを、世界樹といってね。ふだんはヒトにも怪物たちにも視えやしないシロモノさ。だけどね、ぼくはそこに干渉できる蛇なんだよ。その樹のところへ行って、お願い事をしてくるのさ」

「ヨルは、そんなにすごい蛇なの?」

「いいや、すごくはないんだ。偶然だもの」


 どうして、そんな大事な話をしてくれたの? そうユルがたずねれば、ヨルは笑いながら「だってぼくたちは似たもの同士で。それにぼくはユルが大好きだもの」と言うのです。

 そういえば、出会ったころ、ヨルもまたすてられた身の上だと話してくれたことをユルは思い出しておりました。


「だけど、そんな大変なことをして、どこかでゆり戻しがきたりはしないの?」


 不安そうに呟くユルに、ヨルはそっとほおずりをしました。


「ユルという存在そのものが、一度別のものになってしまうんだ。だって、それほどに染みついた呪いを、呪いごと消すのだもの。つまりは、呪いをかけられたきっかけそのものすら、無かったことになるんだ」

「ぼくが、ぼくでなくなってしまうの?」

「いいや、ユルはユルさ。けれど……呪いのあった時間に起きた出来事は、すっかり忘れてしまうんだ」


 そんな……! ユルは地下室の中に響くような、短い声をあげました。

 だってそうです。呪いのあった時間ということは、自分がこのホテルにやってきてからの全ての時間すら失うということなのです。


「それなら、マシューは? マシューはどうなってしまうの?」

「安心をおし。ユルからも、あの狼人間ヴェアヴォルフからも、ここに棲むすべての怪物たちからも、その思い出は抜け落ちてしまう。なに、最初から無かったことになるだけだから、悲しむ必要もないのだよ」


 でも、と口ごもるユルにヨルはそっと頭をよせて囁きました。


「無理に、とは言わないよ。ぼくはユルが大好きで、大切だから。もしも呪いが解けるのなら、そうしてあげたいだけなんだ。もう窮屈な思いだってしないでいいし、誰かを凍らせることも、寒い思いも寂しい思いもしなくていいようになるんだよ」

「でも、みんなは……みんなはどうなるの?」

「何も変わらない。ただ、ユルを知らない、ユルがいない毎日を当たり前のように過ごしていくだけさ。でもね、その代わりにぼくはずっとずっとユルのそばにいてあげられるよ、ユルが願うのならば」


 ユルはどうしたらいいか、まったくわかりませんでした。

 呪いは恐ろしいし、消すことができるのならば消してほしいと心底思っております。けれど、ヨルのこともホテルのみんなのことも、ユルはとてもとても大好きなので、選べませんでした。それに、考えれば考えるほど、マシューと一緒に暮らした日々のことが浮かんできます。


 だけど——。

 ユルは迷ってしまいました。もしも自分がこのまま呪いを背負ったまま、16さいを迎えてしまったら。それは考えれば考えるほど、恐ろしいことです。

 それに、もう自分に触れたマシューが凍りそうになるところも、彼の怒った顔や悲しそうな顔を見るのは、もっと辛くて悲しいことだと思いました。


 そのとき「おや?」とヨルが何かに気づいたように、上を見上げました。なにやらモゴモゴと呟いていたようですが、ユルには聴きとることができません。

 そしてシューと長い息を吐くと、ユルの目をしっかりと見つめてこう言いました。


「3日後の夜、この真上を宙クジラが横断するそうだ。世界が、暗くなる夜。人も、怪物も、何もかもが混じってしまう夜さ。もし呪いを解くのならば、そのときまでに決めておいで」


 それきり、ヨルは目を閉じてじっと眠るように動かなくなりました。


 上の階からは、自分を探す仲間たちの声が聞こえてきます。


「少し、考えさせて」ユルはそう呟き、ヨルの頭にもういちど抱きつくようにして触れると、手袋をはめて地下室から出ていくのでした。

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