第6話

 目が覚めると、すっかり陽が真上に昇りきっておりました。のっそり起き上がると、マシューはもう出かけたあとのようでした。

 暖炉用の薪はたくさん切ってこなければならず、とても重いのでマシューはこの時期、一日に山を何往復もするのです。それでいて、ホテルの庭の手入れも欠かさないのですから、ユルはほんの少しだけマシューのことが心配でした。


「ぼくが手伝うから、もうちょっと休んでたっていいのに」


 少しばかりむくれたユルはひとりそう呟きますが、自分がついて行ったところで、余計なお荷物を増やしてしまうことになりかねないのはわかっておりました。


「ぼく」じゃなくて「わたし」だろと、そういうお小言ですら、今はなんだか聞きたいようなふしぎな気持ちでした。


「よぅし、しっかりしなきゃ」


 ユルはベッドから降りて顔を洗いに向かいます。

 そしてマシューの用意してくれていた、パンとトマト、チーズとはちみつの朝食を食べて支度をします。ユル自身がお客さまの前に出ることはめったにないので、白いシャツにクロスタイをつけて、あとはズボンとサスペンダーを身につければ完璧です。

 白いソックスに革靴を履いて、ユルはホテルへと向かうのでした。




 まずはいつものように、夕刻前にお客さまの朝食の準備から始まります。


 キッチンは4大精霊たちがいて、おもいおもいにその腕を振るっています。ユルはお皿を用意したり、色とりどりに盛られた大皿の料理を、エインセルやケットシーなどの妖精たちと一緒に大広間まで運ぶこともありました。

 配膳やドリンクのサービスは幽霊ファントマや小人たち、そして骸骨男スケリントン人魚メロウの皆がおこなってくれることがほとんどです。



 この日は、少しだけ騒がしいお客さまの多い日でした。

 ポルターガイストの一行とローレライのお客さまの相性が凄まじく悪く、お互いに文句を言い始めました。

 すると大きな物音に敏感な鬼火スパンキーが泣き出してしまい、運悪くそこを歩いていたランプや釜の炎に油を注ぎ続ける悪魔のウコバクと、おもいきりぶつかってしまったのです。

 そしてさらに運の悪いことに、近くには包帯人間マミーのお客さまが座っておりました。


 これには大広間は大騒ぎです。火だるまになった包帯人間マミーが苦しんで走り、さらに混乱した鬼火スパンキーは大泣き。火の勢いはますます強まるばかりです。皆は手分けして、鬼火スパンキーをなだめたり、水の精霊であるセイレーンやニンフを呼びにいきました。

 けれども、ユルは苦しんでいる包帯人間マミーを見て、いてもたってもいられなくなったのです。


「みんな危ないからさがっていて!」


 ユルは咄嗟に鉄の手袋を外し、包帯人間マミーに近づくと、えいやっと抱きつくようにして触りました。最近、ヨルと会っていた影響か、手袋を外すことにこのときのユルはなんの頓着もありませんでした。

 みるみるうちに炎は凍り、包帯人間マミーの火傷もどんどん冷えていきます。


「あ、ありがとう……」

「とんでもないよ! どういたしまして」


 恐怖のせいでしょうか、震えながらもお礼を言う包帯人間マミーににこりと微笑み、ユルはこれ以上周りを凍りつかせないように、と手袋をはめようと振り返りました。


 すると、どうしたことでしょうか。

 しんと静まりかえった大広間で、お客さまたちは気味が悪そうにユルのことを見つめていたのです。途端に、ユルは胸の奥が締めつけられるような、とても悲しい気持ちになりました。


「ユル! お前はなんてことをしてるんだ!」


 そこに大声で怒りながら現れたのはマシューです。

 滅多に怒ることのない彼の吠え声に、その場にいた皆は震えあがりました。


「マシュー、でもぼく」

「……ぜったいに外すなと言ったはずだ」


 ユルの言葉を聞くまでもなく、マシューは乱暴に手袋をひっつかみ、ユルの腕にはめていきます。


「いたい! いたいよマシュー」

「この腕は外に見せてはいけないと言ったのを、お前は忘れたのか?」

「ちがうよ、でも……」

「ぜったいにだめだと言っただろう!」


 ユルの腕をおさえたマシューの手は、指先の毛から霜が降ったかのように白くなっていました。

 ユルはとても悲しくて、腕も痛くて、もう何も言うことができません。そして冷たく凍りついていくマシューの腕を見ては、恐ろしいのと悲しいのでぐちゃぐちゃな気持ちになって、ぼろぼろと泣き出してしまいました。


「マシュー、ユルはいっしょうけんめいお客さまを助けたのよ。そんな一方的に怒らなくても……」


 仲間たちは口々にフォローしましたが、マシューの怒りはおさまる気配がありません。


「こんな呪いの腕……どうして」


 そう苦しそうにマシューが呟いたのを聞いて、ユルはもうがまんができずに立ち上がりました。


「どうしてそんなこと言うの! マシューにだけは、言われたくなかった!」

「お、おい!」


 ユルはもう気持ちがいっぱいになってしまって、逃げるように走りだしました。けれども、マシューもどうしたらいいかわからず、追いかけることができませんでした。



 ヨルは……ヨルだけは、この腕を綺麗と言ってくれたのに。手袋を外したっていいよって、言ってくれたのに。


 涙を流しながら、ユルはヨルのいる地下へとひたすら走ったのでした——。

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