第5話

 ここは昼夜逆転、怪物たちの世界です。ユルがホテルの夕食の片付けや掃除に、消灯を終えたころには、すっかり朝日が登りきっていました。


「ユル〜靴の修理はいらないかい?」

「うーん、まだ大丈夫。取れかけた靴底は、マシューが縫ってくれたもの」

「あのマシューが? へぇっ、そりゃあたいしたもんだ、大事に使ってやんな」

「うん。いつもありがとう、おやすみバリィ、ブーブ」

「おやすみ」

「オヤスミ、ヨイ夢ヲネ」


 今日のフロント当番は靴妖精レプラホーンのバリィと、悪夢毛玉バグベアのブーブでした。彼らに挨拶をしたユルは、使用人たちのロッカールームでシャワーを浴びてから帰路につきます。

 朝陽の苦手な仲間たちに順番を譲ることも多いので、たいていユルは一番最後なのでした。


「きいたかいブーブ? 正直、連れてきたときは、何日で飽きて食べちまうかと思ったら……あのめんどくさがりのマシューがだぜ」

「ウム。オモシロキ。ユルモ、イイコダ、スッカリ我ラノ仲間」


 おしゃべり好きなフロント当番のおばけ達は、こうやってめいめい興味のある話題を、呼出しベルが鳴るまでずっと話しては昼間を過ごしているのでした。




 ユルが暮らすのは、裏庭の奥にある小さな小屋。ここは元々、マシューがひとりで暮らしていた庭師小屋でした。


「ただいま、マシュー」


 そっとドアを開けて入ると、返事はなく、朝陽だけが古ぼけた小屋の中を照らしています。

 この季節は特に、ホテルの暖炉用の薪を採りに行くため、マシューは早起きをしなければなりません。起きてユルの帰りを待っていてくれることもしばしばですが、今日は夕食の時間に言い合いをしたばかりです。マシューはすっかり拗ねてさっさと寝てしまったのでしょうか。


「マシュー……?」


 返事のないことに急に不安になったユルは、寝室を覗いてひと安心。こんもりと布団が大きくふくらんでいて、見慣れた毛並みの耳と尻尾が覗いていました。

 こんな調子ですから、時々マシューがどこかへ行ってしまう日も、やっぱりユルにとってはとても寂しくて不安なのです。


 ユルは小屋の中の低い位置にある引き出しを開けて、ニンゲン用のパジャマに着替えました。




 ここへ連れてこられたとき、ユルはまだ三つくらいの年頃でした。

 面倒を見るといった手前、マシューはユルを自分の住む小屋へと連れて帰りました。まずは泥だらけのぼろを剥がれ、お湯を張った桶の中に入れられてごしごしと洗われました。ユルにとってはここへ連れてきた狼人間ヴェアヴォルフはとても大きくて、自分とはまるで違う……強そうで何もものを言わない不思議ないきものでした。

 それでも、その瞳がなんだか優しそうに見えたからでしょうか、ユルはずっと山道を着いてきてしまったのです。結局、あきれたかのように小さな身体を抱え上げられ、この場所までやってきてしまいました。

 けれど言葉がわからないとはいえ、そのときのユルは、無言なまま身体を洗われているのがなんだか恐ろしい気持ちでした。

 


「ヘンだな」と思ったのは、自分がお花の香りのする泡に包まれはじめたときです。

 もこもこの泡で、べたべたに張り付いていた髪をすっかりほどいてもらうと、とても気持ちがよく。思わずユルはきゃっきゃと笑ってしまいました。


「あー。なんだよ、これ。泡だらけじゃねぇか……それに、甘い匂いで鼻が曲がりそうだ」


 くそ、幽霊ファントマの女ども。ニンゲンに詳しいだろうと聞いたのが間違いだったか……。そうブツクサ呟くマシューを、ユルはじぃっと見上げておりました。


「こら、ガキ。目に泡が入っちまうだろう」


 目を閉じろ、と手で合図してもユルはじいっと見つめてくるばかり。ああでもない、こうでもないと色々試しておりましたが、自分の目を指してぎゅっとつむって見せるとユルも真似して目を閉じてみせました。


「そうそう、いいこだ」


 小さい子どもの洋服なんて、もちろんありません。ニンゲンどころか、お化けの子どもだって、今までひとりも世話をしたことなんてありませんでした。

 マシューはできる限りのことをして、いろんなツテから洋服や、食べものや、ニンゲン用の絵本なんかも用意しました。

 その様子に何かを感じ取ったのでしょう。見かねた仲間たちは、ユルが成長するのを手助けしてくれるようになりました。


 ユルはいっしょうけんめい、マシューのお手伝いをしようと頑張りましたが、狼人間ヴェアヴォルフよりもずっとニンゲンは小さくて弱く、ユルはその中でもまだ子どもです。


「よし、ユル。ホテルの皆の手伝いをしてもいいそうだ。そこで学んでおけば、きっと大きくなっても役に立つだろうよ」


 マシューに言われたとおりに、ユルはそうしてホテルのお手伝いをはじめたのです。仲間たちのことも、みんな優しくて、大好きになりました。今では、自分にとってなくてはならない大切な時間だと思ってもいます。


 ですが——、ユルはいつでも。本当はマシューと同じくらい大きく、強くなって、マシューに恩返しがしたいと思っていたのです。




「ぼくも、マシューみたいになりたいよ」


 つめたい布団が嫌なユルは、そう呟くと。こっそりマシューのベッドに忍びこみました。


「おやすみ、マシュー」


 夜から朝まで、駆け回っていたユルは、疲れていたのかすぐに寝息を立てはじめます。

 そっと、その身体にふかふかとした尻尾がかけられたのを、寝静まったユルが気づくことはありませんでした。

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