眼鏡少女と古本屋のお姉さん
コミコミコ
その、梅雨の悪戯
それは中学生の
***
学校の授業が終わり放課後になると、智景は掃除当番に割り当てられている時以外は、すぐに帰宅の準備をした。
「智景!今日うちに遊びにこない?」
教室で、クラスメイトの
「あ、ごめん、今日は予定があって」
智景は申し訳なさそうに断ると、駆け足で教室を出ていった。
「やめなって。あの子、眼鏡かけてて暗いし」
「あんな根暗な子、構ってると唯菜までハブられちゃうよ」
クラスメイトの女子たちが、ひそひそと唯菜に話しかけた。
「でも……」
唯菜は、暗い顔で教室を後にした智景の後ろ姿を見つめていた。
***
学校の正門を出ると、智景は通学路を外れて坂道を登った。坂道の途中にある、小さな古本屋。それが、智景がある日見つけた新しい趣味だった。レトロな雰囲気の小さな店で、店内には、ジャンルを問わず大量の本が並んでいて、智景は週に3回ほどその店に通うようになった。
店に着き、入り口の引き戸を開けると、ちりんちりんと鈴が鳴った。中に入ると、エプロン姿の店員が話しかけてきた。
「あら、いらっしゃい」
この店の店主、
「今日も来ると思って、新しい本を入れておいたわよ」
そう言って、本棚の上から三段目を指さす。
「ここで読むの好きなんだよね?」
景湖は、智景と話をするとき、いつもニコニコとしている。
「じゃあごゆっくり」
景湖は、智景に背を向けると、本棚の整理を始めた。店内に客はいないようだった。それに、窓から差し込む夕日が美しい。なんだか得した気分だった。
智景はいつもの本棚の前で本を読み始める。いや……読む振りをする、と言ったほうが正しいかもしれない。この場所で読む振りをする本当の理由はちょうど本棚の隙間からレジのあるカウンターが見える、ということだった。
しばらくすると、景湖はカウンターに戻って、本を読み始めた。智景はドキドキしながら、片手で自分のスカートを握り、もう一方の手で本を開いているが、全くページは進んでいなかった。そして、またしばらく経つと、智景はカウンターの方をちらりと見た。すると、ちょうど読んでいた本を閉じた景湖が顔を上げてこちらを見ていた。目が合った瞬間、智景は慌てて目線を本に戻す。その繰り返しだった。
もう何度もそうしているというのに、一度始めたらやめることができない……何かに取り憑かれているかのようだった。
そろそろ帰り時間になると、智景は本を持ってカウンターに向かった。
「もう帰るの?」
「あ、はい。これ……」
智景は、持っていた本をカウンターに置いた。
「いつもありがとうございます。105円ね」
財布を取り出して中を確認すると、間違いなくちょうど105円あったが、智景はわざと110円を取り出した。
「寄り道は程々にね。バレたら怒られちゃうから。はい、5円のお返しです」
智景が手を伸ばすと、景湖は両手で包むように智景の手を握って、お釣りを手渡した。
「っ……!」
智景はこの瞬間が、一番ドキドキする。自分がどんな顔をしているか、想像もしたくない。ただ、顔は茹でダコのように真っ赤に染まっているだろう。景湖はそんな智景の顔を見てふふっと笑った。
「また来てね」
「……はい」
智景は小さく返事をした後、本を大事そうに抱えながら逃げるように店を出た。
***
根暗、暗い、眼鏡。そんな言葉がお似合いだった。中学生の私は、今思い返せば「陰キャ」なんて言葉を使うことすらおこがましいくらい、存在感がなかった。本を読むことも別に好きではないし、音楽も聴かない。私は何のために、生きているのか分からなくなるほどだった。
あの店に行くようになったきっかけは今から3ヶ月前、梅雨の時期だった。お出掛けの途中、急に降り始めた雨に、運悪く傘も持っておらず、急いで目に付いた店の前で雨宿りをしていた。そのとき、ちょうど私のいる店の引き戸が開いた。
「今日は店仕舞いね。あら?どうしたの?」
それが景湖さんとの出会いだった。初めて話す人には、どうしても緊張してしまう私は、彼女が声をかけてくれたのにも関わらず、返事をすることができなかった。
「傘忘れちゃったのね。ちょっと待ってて」
景湖さんは店の奥に引っ込むと、しばらくしてから一本のビニール傘を持って戻ってきた。
「これ、貸してあげる」
そう言って手渡されたそれは、見たところ新品のようだった。
「え?でも……」
「ふふっ。雨宿りしてる小さな可愛い女の子に傘を差し出す。これって素敵なシチュエーションだと思わない?」
景湖さんは冗談めかして、私が傘を借りた理由を作った。
「あ、ありがとうございます」
「ふふっ。どういたしまして」
景湖さんは、自分の思惑が上手くいったことが面白かったのか、クスッと笑った。そのあとすぐに彼女は続けて言った。
「何だか不思議ね。今この瞬間、雨が降らなければ、私達は言葉を交わすことも、出会うこともなかった。それが、こんな風に繫がるのって」
そんなことを言う彼女の横顔は、とても美しくて、どこか儚げで、思わず見とれてしまった。
「それじゃあね」
そう言って、景湖さんは去っていった。店の扉が閉まる音が聞こえるまで、私はその場から動けなかった。もらった傘を広げて、外を見ると、雨はすっかり止んでいて、雲の隙間から青空が見えていた。
その時、私は彼女が運命の人だ、と思ったのだった___
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