エメラルド【一話完結】

sasada

一話完結

 人という種族はその最期、それはそれは綺麗な涙を流すらしい。

 

 朝、鼻腔を擽る馨しい香りが私を食卓へと呼び出す。昨日と同じ時刻、同じ位置、あらゆるものが寸分違わず配置されている食卓に座すと、彼女は話し出した。


 「ねえリリア、私もう長くないの。」


途端に私は、愛する陶器の感触が分からなくなった。目を瞑ってでも歩ける私の庭はその日から、茨の園に変わってしまった。今まで足先を柔らかく包み込んでくれていた絨毯は私に細かい擦過傷を与えたし、真っ暗な世界を華やかにしたとりどりの香水も、ひどく肺を押し込んでくるよう思えた。カトレアは私の全てではなかったけれど、私の心をどれだけ細かく切って分けてもどこかにいるだろう。だって、彼女の奏でる音はとても綺麗で。その声、鼓動、階段を降りる音、どれ一つとっても演奏会のようなのだ。ああ、カトレア。どうしていなくなってしまうの。


 森の奥にある簡素な家に住む私たちは、もうすぐ出会って四半世紀にもなる。幼い頃から体が弱かった彼女は、とっても可愛らしい咳をするのだ。あの頃の私はよく、その咳を手掛かりにかくれんぼで彼女を探していた。咳をする頻度も日毎に増え、いつしか彼女は隠れることも出来なくなってしまった。遠くに行けなくなった私たちは、結局家の近くで遊んだのだった。楽しかったなあ。アザレアの蜜なんか吸ったっけ、もうそんな季節か。


 貴方が私にかけてくれる言葉はいつも綺麗で、私の想像の世界を華やかにしてくれる。てらてらと光る私の不気味な髪を誉めてくれたのはカトレア、貴方だけだったわよね?どうして眠ってしまうの。貴方じゃなきゃいけないの?貴方がいない世界なんて、あたし。


 或る日。鳥たちが寝静まるような刻、寝室の扉が開く音が聞こえた。私は声が震えるのを抑えながら、彼女の来訪を歓迎した。そして、貴方の作るスープが好きだったわ。またね、とだけ告げた。


 「私も貴方の緑の鱗が好きだったわ。お誕生日おめでとう、リリア。私を見て。親愛なるリリア——」


私はたどたどしい手つきで頭の後ろに固く結んでいた布を解き、ゆっくりと瞼を開く。彫像のように動かなくなった彼女の目元には、緑色の宝石がきらめいていた。

 

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