第6話 混乱と閃き

 俺の目の前でぐっすりと眠っていたワイルドボアが、跳ねるように飛び起きた。 


  


 どうすればいいんだ? 


 予想外すぎて状況を整理できていない。 


 


 ええっと、ギルフさんが俺に経験を積ませるためにあえてワイルドボアを起こしたのか。


 そのギルフさんは、もうどこかに走って行ってしまった。 


 マジかよ。 


 やるなら言っといてくれよ! 


 絶対テイラさんに言いつけてやる。


 


 ワイルドボアは俺が叫んで起こしたのだと思っているだろう。 


 


 『グルルルル』 


  


 とさっきから俺の方を向き威嚇している。 


 いつ襲ってきてもおかしくはない。


 いや、まだ襲ってくるとは限らない。 


 


 目を合わせると威嚇されたと思い込み、不意に襲われることがある。 


 俺は目をそらせながら、背中を見せないようにゆっくりと後ずさりする。


 変に怯えさせてはいけない。 


 ストレスを与えないように繊細な注意を払う。 


  


 奴も俺のことを警戒しているだろう。 


 急に起こされたと思ったら、目の前に知らない人間がいるのだ。 


 誰だって危険視する。 


 すぐには襲ってこない。


 奴もこちらの出方を伺っている。


  


 落ち着け、と自分にそしてワイルドボアに言い聞かせながら距離を取っていく。


 心臓の鼓動は、外に聞こえてしまうくらいには速く、大きくなっている。


 正面から魔物と対峙したことなんて今まで一度もない。 


 だからこんなにも緊張している。


  


 いつも決まって暗殺をしていた。


  


 こっそりと忍び寄り、相手の不意をつき。


 こちらに気づかれる前に仕留める。


 それが基本だった。 


 


 まだ亜人種なら何とかなったかもしれない。 


 しかしながら相手は獣だ。


 首をはねようにも、心臓を突き刺そうにもこのナイフでは不十分すぎる。


 


 ここはいったん逃げに徹する。


 逃げるは恥だが役に立つ。 


 


 軽くひざを曲げ、何が起きても反応できる姿勢を保つ。


 そうだ、いい子だ。 


 そのまま大人しくしてろよ。


 


 順調に後ろに歩いていく。 


 一歩ずつ。 


 一歩ずつ。


 


 けれど、人間とは重要な場面でミスをするように作られているのかもしれない。


 


 ポキッ。 


 足元の枝を踏んでしまった。 


 普段はしないようなミス。


 よりによって乾燥した、太い枝だ。 


 いい音がでた。


 


 『グノオオオォォォォォォォォォォ』


 


 その音を合図にワイルドボアが突進してきた。 


 


 ですよねーっ。


 逃げろーーーー! 


 俺は全力疾走で森の中を駆け抜けた。


  


 


 


 


 ---


 


 


 くそ。  


 向こう見ずに突き進んでくるワイルドボアに対して今は逃げる。


 おそらく体力はこちらの方が上だ。


 このままいけばいつか逃げ切れる。


  


 一瞬のスピードで奴をまくこともできるが、なるべく体力を削っておきたい。 


 どうせならワイルドボアを倒してギルフさんをぎゃふんと言わせたい。


 体力がなくなった所を狙おう。 


 


 真後ろにぴったりついてきている。  


 少しでも減速すればワイルドボアの牙が背中に突き刺さる。


   


 走りながら思考をめぐらす。


 現在注意すべきことは二つ。


 


 一つ目は他の魔物に遭遇しないこと。 


 これは絶対に避けなければならない。


 さすがにこの状況で二体目は相手していられない。


 五感を研ぎ澄ませながら周囲に魔物がいないか探している。 


 


 見つけ次第直ちに進路を変更する。 


 かれこれ10分以上続けているがなかなかに疲れるなこれ。 


 


 二つ目は今一番重要なこと。 


 こいつをどうやって倒すかだ。


 首回りは毛深く、お腹は分厚い肉で覆われている。 


 武器は普段使っているナイフのみ。


 一撃で仕留めるのは難しそうだ。 


 


 もう少し長い武器があればよかったんだが。 


 逃げ始めてからずっと何かほかに使えるものが落ちていないか探しているが、一向に何もない。 


 冒険者がおとした剣とか槍とか……


 


 そう運良くは見つからないか。


 


 多少リスクを冒せばナイフ一本で倒せないことはない。 


 しかし、魔法学院の試験前にケガはおいたくない。


 


 本当にどうやって倒せばいんだ? 


 ……


 


 だめだ。 


 何も思いつかない。 


 


 こういう時は一旦頭の中を整理してみよう。


 


 まず、体力とスピードは俺のほうが上。 


 だが、一撃で仕留める武器がない。


 武器以外で仕留めるのはどうだろう。 


  


 例えば、川に誘い込んで溺れさせるとか。


 崖から落とすとか。 


  


 ふと


 家を出る時のシエルの言葉を思い出す。


 


 『お土産、よろしくね!』 


 


 うん。 


 これらの案は却下だ。 


 


 もし溺れさせたとしても、そのあとワイルドボアが川に流されて肉が回収できない。 


 崖から突き落とすなんてせっかくの貴重な肉が台無しだ。


 


 他の案を考えてみる。


 


 くそ。


 何かないか。


 他に何か方法が。




 考え事をしている最中にも足はしっかり動かしている。




 木と木の間を抜け、倒れている木をジャンプで飛び越える。 


 その衝撃で首にかけていた首飾りが、俺の目元まで高く上がった。






 偶然の出来事が思いがけないヒントをもたらした。




 


 あっ。


 そうか!!!


 分かった!!


 この現状を打破する一手が!!




 肉を持ち帰り、ワイルドボアを討伐し、尚且つギルフさんに仕返しが出来る完璧な一手が!!


 


 閃いたタイミングはベストだった。




 ワイルドボアはそろそろ疲れてきたのか、走るペースが徐々に遅くなってきた。




 段々と差が広がっていく。






 俺は差が十分にひらいたことを確認して、ギフルさんからもらった首飾りをあ・え・て・落とした。


 


 そしておまけに地面に落ちていた石を拾い、ワイルドボア目掛けて真っ直ぐ投げた。


 


 「おーい。もう終わりかーー。もっと来てみろよ!まぬけ!」




 理解できているのか分からないが、しっかりと煽った所で、準備は整った。


 足を止めたワイルドボアが


 『グルルルル』


 とこちらを睨んでいる。


 


 


  


 後はこの作戦が上手く行くかどうか。




 空にくっきりと浮かぶ月に向かって小さく祈った。


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