第4話 それぞれの誓い
シャルことシャルロットは、自分の息子の成長ぶりに驚くと共に誇らしく思っていた。
マルフ村に住み着いて5年。アロも5歳になった。そして、3ヵ月ほど前からハンザと剣術の訓練を始めたのだ。もちろん、子供用の木剣を使った訓練だが、ハンザによれば貴族の子息でも剣術を習い始めるのは7歳くらいからだと言う。体が小さ過ぎて木剣を満足に振れないからである。
そころが、アロと来たら2歳から魔力操作の訓練を始めた成果で、
この訓練はアロがハンザに頼み込んで始まったものだ。言うまでもなく、老いたとは言え元勇者。ハンザに敵う筈もなく、毎日打ち身をこしらえている。それでも5歳児らしく泣くどころか、悔しがりもせずにブツブツ呟いて仕合を振り返るアロであった。
2歳から始めた魔力操作は、ハンザから見てもかなりの技量に達しているらしい。5歳にして
いつか大怪我をするんじゃないかといつも内心ハラハラしているシャル。ある時、たまらず聞いてみた。
「アロは強くなりたいの?」
「もちろんです」
「それはどうして?」
「母様を守るために決まってます!」
自分の息子にこんな風に言われて、胸がキュンキュンするシャルであった。
「アロ、母は心の底から嬉しいです。でもね、アロはアロ自身をまず守ること。そして将来出来るだろう大切な人を守ること。母はその後くらいで良いのです」
アロはシャルの言葉を聞いて僅かに首を傾げる。そして、良い事を思い付いた! とばかりに顔を輝かせて宣言した。
「はい、母様! 僕は自分も、大切な人も、母様も、みんな守る強さを身につけます!」
そんなアロの事が愛おしくて、シャルは息子を強く抱きしめるのだった。
それから半年ほど経ったある日のこと。
「シャル。とうとう王国にバレてしまった」
「…………そう、ですか」
ハンザがシャルを家の裏に連れて行き、こっそりと伝えた。
マルフ村に来ていた行商人が気付いたのか。それとも村人の誰かが漏らしたのか。それは分からない。だがそんな事は重要ではなかった。
「逃げるなら手伝うぞ?」
5年以上寝食を共にし、ハンザはシャルとアロに情が湧いていた。ずっと独身を通してきたハンザだが、実の娘と孫のように感じていた。年齢的には孫と曾孫でもおかしくないのだが。とにかく、シャルが困っているなら手を貸すのが当たり前と思うくらいには、二人を愛していた。
「いえ、逃げるのは返って悪手でしょう」
「しかし、アロが――」
「はい。あの子と離れるのは身が引き裂かれる思いです。ですが……あの子を守る為にも、私は一度王都に戻ります」
「そうか」
「いつか必ず迎えに来ます。その時まで、どうかアロをよろしくお願いします」
シャルは涙を堪えながらハンザに向かって深く頭を下げた。ハンザはその両肩に手を添え、頭を上げさせる。
「俺にとってアロは孫も同然。俺の命が尽きるまでは全力で守ると約束する」
「ハンザ様……ありがとうございます」
「それに、シャルのことだって実の娘のように思ってる。困り事があれば助けに行くから遠慮なく連絡しなさい」
「……はいっ」
シャルはハンザの胸に額をつけて泣いた。ハンザは大きな手でその背中をポンポンと叩き、シャルが泣き止むまで慰めるのであった。
その日の夜。シャルとアロは粗末なベッドの端に並んで座っていた。
「アロ、よく聞いて」
シャロは自分がリューエル王国の第三王女であり、これまで身分を隠してマルフ村に住んでいたこと、ここに居ることが王国の知る所となり王都に連れて行かれること、そこにアロは連れていけないことを静かに語って聞かせた。
「あなたと離れるのは死ぬより辛い。でも、あなたを王都に連れて行けば、あなたは殺されてしまうかも知れないの」
アロは母の言葉を一言一句漏らさないつもりで聞いていた。まだ6歳にもならないアロの眉間に深い皺が刻まれる。目には涙が貯まるが、零さないよう必死に我慢していた。
「ごめんなさい、アロ。あなたは連れて行けない。酷い母で本当にごめんね」
アロは服の袖で両目をゴシゴシと拭う。目の縁が真っ赤になっていた。無理に笑顔を作ってシャルに告げる。
「母様は酷くありません! 母様は、世界一の母様です!」
シャルは泣くまいと歯を食いしばっていたが、アルの言葉を聞いて涙が止まらなくなってしまった。
「ああ……アロ! あなたを愛してる……世界一可愛い私の息子!」
シャルは隣に居るアロを抱きしめた。アロも力一杯抱き返す。一頻り抱き合ってお互い涙を流した後、アロの頭を優しく撫でながらシャルが口を開く。
「手紙を書くわ。そして、いつか必ずあなたを迎えに来ます」
アロは母の手を両手で握り、頭を振りながら告げる。
「母様。母様はまだまだ若くて綺麗で可愛いです。だから、王都で好きな人が出来たら、遠慮なく結婚してください。僕に縛られてはダメです」
「アロ……」
シャルが再びアロを抱きしめる。シャルが流した涙がアロの髪の毛を濡らした。
まだ6歳にもなっていない子が。まだ母の温もりに甘えたい盛りの子が。母を気遣い、母に自分の幸せを優先するように諭すなんて……。
生まれてきたアロには何の罪もない。自分が王族でなければ、母子で穏やかに暮らしていけたかも知れないのに。
「母様は何も悪くありません。僕も母様のことが大好きです。母様の息子で良かったです」
アロの言葉に、シャルは慟哭した。アロは母の背に腕を回し、慰めるように優しくさすった。
母子に気を遣って家の外に出ていたハンザは、聞こえてきたアロとシャルのやり取りに涙した。
運命とは、かくも残酷なものだろうか。シャルにもアロにも罪はない。二人とも何も悪い事をしていない。それなのに、何故引き裂かれなければならないのだろうか。
悪いのはシャルを身籠らせた魔王であるが、魔王がそうしなければアロという子供は生まれて来なかった。そう考えると、誰が悪いとも言えない。こういう運命だと考えるしかない。
ハンザは、己をこれほど無力に感じるのが初めてだった。勇者として様々な困難に打ち勝ち、強大な敵も倒してきたのに、たった二人の大切な母子の為に、自分には出来る事がないのだ。
零れた涙を拭き、家の中が静かになったのを確認してそっと中に入る。
泣き疲れてお互いの体に腕を回して眠る母子の姿があった。ハンザは、シャルが迎えに来る日まで、アロを全力で守ると固く誓うのだった。
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