「何この髪の毛?浮気してる?」いや、それは幽霊の髪で……。

真狩海斗

👻

今、僕は"逆境"に立っている。

昨日から僕の部屋に幽霊が出ることになったが、そのことではない。それについては、時々あることなので、受け入れている。僕が"逆境"と感じているのは、その幽霊が原因で彼女に浮気を疑われていることだ。


付けっぱなしのテレビから深夜のニュースが流れている。芸能人の不倫、行方不明の女性、都内の殺人、週末の豪雨。毎日同じ、変わり映えのしない内容だ。

数秒おきに、砂嵐になったり、画面に女性の姿が浮かび上がったりと、昨日からどうもテレビの調子が悪い。これも幽霊の影響だろうか。買い替えを検討していると、玄関のベルが鳴る。ピンポン、ピンポン、と続けざま。しつこいな。誰だろう、人が来る予定はなかったはずだけど。


扉を開けると、彼女が立っていた。

「うっかり終電逃しちゃって」

両手のひらを合わせて、ごめん、のジェスチャーをした彼女が笑う。急な来訪に僕は内心困惑する。今日は他にやりたいこともあったし、幽霊もいる。彼女を家に入れるのは正直都合が悪かったが、恋人なので仕方がない。問題ないよ、と微笑んで部屋に招き入れる。


「急にごめんね。本当にありがとう」

彼女が少し申し訳なさげに、頭を下げる。綺麗な金髪が少し濡れている。外では雨が降りかけていたらしい。気にしないでソファにかけておいて、と伝え、台所へ向かう。いつも通りに珈琲を淹れようとした。


どうぞ、とカップを差し出すが、彼女からの返事はない。様子がおかしい。

見ると、ある一点を凝視して固まっている。その視線を辿ってみる。テーブルの上に、大量の髪の毛が落ちていた。長い、長い、黒髪が塊となって落ちている。カツラと見紛うほどの量だった。僕の髪でも、彼女の髪でも、ない。

先ほどまではなかったのに、幽霊の仕業か。怖がっているのだろう。安心させなければ、と僕が声を掛けるよりも一瞬早く彼女が口を開いた。


「何この髪の毛?浮気してる?」

いや、それは幽霊の髪で…。説明をするが、彼女は聞く耳をもたない。眉間の皺は深くなるばかりだ。

「幽霊ってさ、実体がないんじゃないの?髪の毛が落ちるなんておかしくない?」

彼女の疑問はもっともで、僕も頷いてしまう。まったく傍迷惑な幽霊もいたものである。結局掃除をするのは僕になるわけだし、何より浮気を疑われる身にもなって欲しい。

映画でそういう場面があったような、と一応、反論してみるが、即座に否定された。例を出すように言われて沈黙してしまう。よくよく考えると、ホラー映画にあまり詳しくない。タイトルは忘れたが、格好いい柴田理恵が登場する映画と『ファニー・ゲーム』を観たことがあるくらいだ。適当な口答えだったと反省する。


別の視点からの反論も試みる。テーブルの上の大量の髪の毛を指差して、僕は言う。仮にこれが幽霊じゃなくて、浮気だとしたら、浮気相手はハゲちゃってると思うんだよね、と。暗に、そんな女性と浮気するわけないだろう、と仄めかす。

「でも、あんたショートカットが好きって言ってたじゃん。ハゲもショートカットでしょ?」

彼女も譲らない。確かに、僕はショートカットが好きで、彼女の金髪ショートは本当に素敵だ。改めてそう思う。いやいや、見惚れている場合ではない。疑惑を晴らさなければ。議論は平行線を辿りつつある。


しどろもどろに言い訳を続け、浮気が濡れ衣である旨の説明をする。必死さが伝わったのか、次第に彼女の表情が和らぎ、ホッと胸を撫で下ろす。珈琲を飲もうとカップに手を伸ばすと、その隣で僕のスマートフォンが尋常でない勢いで振動していた。煌々と照らされた画面に、LINEメッセージの通知が浮かび上がる。


死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死


助ケテ!助ケテ!助ケテ!助ケテ!助ケテ!

助ケテ!助ケテ!助ケテ!助ケテ!助ケテ!

助ケテ!助ケテ!助ケテ!助ケテ!助ケテ!


怪文書が、絶え間なく届く。助ケテ!というけど、浮気を疑われてる僕の方がよっぽど助けて欲しいよ。トホホ、と呟き、珈琲を飲もうとしたところ、鋭い殺気を感じて手を止める。恐る恐る彼女を見ると、案の定、怒りで震えていた。僕のスマートフォンよりも震えていたかもしれない。


「ちょっと!サユリって誰よ!やっぱり浮気してるんでしょ」

言われて初めて、LINEメッセージの差出人として、"サユリ"の名が表示されていることに気づく。LINEの名前は下の名前だけにする主義の幽霊らしい。意外と、インスタとかもやってたりして。アイコンはどんな感じなのだろう。


「おい!返事は!?」

彼女の怒号で我に返る。彼女の怒りはピークを超えていた。髪が怒りで逆立っているように錯覚するほどだ。これはマズいことになったな。

いや、だから幽霊の仕業で…と先ほどと同じ説明をするが、途中で遮られる。

「幽霊がどうやってスマホを触るんだよ!!フリック入力どころか、指紋認証も無理でしょ!?」

たしかに。顔認証はできるのかも、心霊写真とかあるし、とモゴモゴ反論してみる。彼女も少し落ち着いた様子となる。納得しているのかもしれない。メリーさんとかも電話かけてくるもんね、と続けてみる。

「メリーさんって誰だよ!?他にも女いてんのか??あァ??」

彼女がブチギレた。調子に乗ってしまった。慌ててメリーさんの補足をする。いや、違くて、あの、有名な、段々近づいてきて、最後に背後に来てる女性で…。

「馴れ初めなんか聞いてねぇよ!!」

彼女がクッションを投げつける。顔面に当たる。ボスッ。痛くはないが、仰け反ってしまう。ドスッ、ドスッと足音を立てて、彼女は洗面所に向かう。足音から伝わってくる怒りに、僕まで震え上がってしまう。


困ったなあ。顔から落ちたクッションをモミモミしながら嘆く。クッションには僅かに血がついていた。咄嗟に鼻を触るが、血はついていない。鼻血ではなさそうだ。昨日、どこかでつけたのだろうか。はたまた、これも幽霊か。

考えていると、洗面所から彼女の叫び声が聞こえた。慌てて向かう。膝をテーブルにぶつけて少し痛むが、気にしない。


大丈夫?と声をかけて、洗面所の扉を開ける。彼女は鏡を指さして、口をパクパクさせている。

鏡の中には、髪の長い女性が立っていた。サユリかな、と思う。出テイケ!とでも言うかのようにピンと伸ばした人差し指で、玄関の方を示している。


「やっぱり女隠してるじゃねえかよ!!!」

彼女から今日一番の怒声が出た。今日一番どころか、付き合い始めてからでも一番かもしれない。出テイケ!じゃないよ、お前が出ていってくれよ、ハゲてもないし、と内心で幽霊に毒づく。


怒りを抑えることもせず、彼女が暴れる。目についた物を片っ端から僕に投げつける。ティッシュ箱。痛くない。歯ブラシ。痛くない。電気シェーバー。少し痛い。ドライヤー。痛い。


周囲から物がなくなると、今度は下の戸棚を開ける。まだ投げ足りないらしい。ガサゴソと探していた音が、ピタリと止んだ。


箱を取り出す彼女の手が震えている。僕も慌てる。それは見られる予定じゃなかった。

「これって……?」

僕は頭を掻き、笑顔で答える。来週は誕生日でしょ?欲しがっていたやつだよ、と。本当はサプライズで渡す予定だったんだけどな。

彼女が、ワッと泣き出した。すかさず抱き寄せる。

「疑ってごめんね」

彼女の言葉に首を横に振る。お返しにと、お願いをしてみた。それ、着けてみてよ、と。彼女は快諾し、箱を開ける。中からはイヤリングが出てきた。彼女の欲しがっていたサファイアのクリスタルが付いているイヤリング。耳に着けた彼女が笑顔で尋ねる。

「似合ってるかな?」

とても似合っている。互いに少し照れる。微笑んでキスを交わした。


「コート、ハンガーにかけてくるね」

彼女の機嫌はすっかり直ったらしい。ウキウキとした足取りで、寝室に向かう。クローゼットの扉に手をかける。


あ、そこはダメだ。

「何これ……?」

彼女が掠れるような声で呟く。目は見開いたまま、クローゼットの中を覗き込んで離さない。


クローゼットの中には、女性の死体があった。頭から流れる血はすでに止まっている。恐らく、名前はサユリなのだろう。昨夜、僕が酔った勢いで何故か連れ込んでしまった女性。行為におよぼうとしたところ強く抵抗した女性。警察に訴えると叫び思わず殺してしまった女性。

今日は、この死体の後処理をする予定だったのだが。


彼女は腰が抜けたように、床に尻餅をついている。立ちあがろうと何度も試みているが、力が入らず、その度に転んでしまっている。

「ごめんなさい。ごめんなさい。何も見てないから」

涙ながらに訴えてくる。まるで"逆境"に陥ったみたいな表情だ。僕に完全に怯えている。

交際期間2ヶ月。僕にしては長く続いた方か。これを見られたからには仕方がない。僕は彼女に向かって腕を伸ばす。

イヤリングがカランと音を立てて落ちた。だが、その音は、外からのザアアァ、ザアアァ、という激しい音で打ち消される。雨が強くなり始めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「何この髪の毛?浮気してる?」いや、それは幽霊の髪で……。 真狩海斗 @nejimaga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ