第10話



 短大に通っていた頃のことだ。私は近くの大学との合同サークルに入っていた。そこはボランティアサークルで、保育園へのボランティア活動もあり、保育士を目指していた私には丁度良かったのだ。



 そのサークルで大学生の彼と出会った。優しく穏やかだった彼を私はすぐ好きになり、付き合い始めた。



 彼は二つ年上で、短大生の私と就職活動のタイミングが同じだった。彼は、地元で就職すると言った。彼と結婚するつもりだった私は当たり前のように、身知らぬ遠い土地である彼の地元で就職活動した。



 一緒に住み始めて二年ほどは幸せな同棲生活だった。仕事に慣れることは大変だったが、彼の為に料理や掃除をすることが幸せだった。季節の行事や記念日、お互いの誕生日にはご馳走を作り、地域のお祭りやイベントに二人で行く。温かい日々だった。


 今思えば、おままごとのようだったけど、それでも私は幸せで、彼を愛していた。彼もその頃は私を愛していたように思う。



 だが、就職してから二年ほど経ったある日、彼は相談もなく唐突に仕事を辞めてしまった。そこから、優しく穏やかだった彼では無くなってしまった。いや、元々優しく穏やかな人間では無かったのかもしれない。私が『優しく穏やかな大好きな彼』と、幻想を押し付けていたのだろう。






 それから数年間、私たちが別れるまで彼が働くことは無かった。



 彼が仕事を辞める前、辛そうにしていたこともあり、最初の内は暫くゆっくりしていたら良い、と思っていた。


 しかし、無職期間が数ヶ月続くと流石に私の方が焦ってきた。やんわりと就職活動を勧めると大抵機嫌を損ねてしまい、言葉を続けられ無かった。彼の方は焦る様子は全く無く、昼夜逆転の生活を楽しんでいた。



 専業主夫になって貰ったら良いのでは、と提案したこともあった。彼はまた機嫌を悪くして、拒否をした。その頃には、生活費を全て私が出していたので、彼が扶養に入ってくれたら多少出費を抑えられると思っていたのだが、彼のプライドが許さなかったようだ。結局、家事もしてはもらえなかった。



 お金や就職の話をする私を煩わしく思っていたのだろう。その頃には、私に優しく穏やかな彼は居なくなっており、会話も減っていた。




「五月蝿い。」


「お前とは話したくない。」


「偉そうにするな。」


「お前と結婚なんてしたくない。」



 彼に言われた言葉はいくらでも思い出せるのに、彼がどんな顔をしていたのかよく思い出せない。






 どうして、そんな男と付き合っているのか、と当時の自分も思っていたし、友人にも散々言われた。だが、どうしても離れられなかった。それを依存だと言われるだろうが、私はただ、ただ彼が好きで好きで堪らなかったのだ。



 歪な関係は数年間続いた。だが、私たちが別れたのは、彼が仕事をしていない、とか、言葉の暴力が理由では無く、別の所にあった。

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