前世で好きだったラジオの真似事を始めたら、鳴竜妃と呼ばれるようになりました。
陣野ケイ
第1話 元聖女、鳴竜妃と呼ばれるようになりました。
強大な力を持つ魔族が住まう魔界と人間界が偶然にも繋がってしまったのは、もう三百年も昔のこと。
それから長い間。
魔族と人間は争ったり、話し合ったり、また争い、話し合いを繰り返して、近年ようやく友好の道を歩き出しました。
その証として、魔族と人間の異種族婚が奨励されるようになったのです。
マノラキ王国の聖女として神にお仕えしておりました私ナイア・メリアも、十八歳の誕生日に魔海を統べる強大な竜王アオさまの元へ嫁ぐこととなりまして。
早いもので、盛大な結婚式からもう半年ほど。
(あっという間ですねえ……)
魔海城の広いテラスにて。
水面からひっそりと差し込む朝日を見上げて、私はしみじみと時間の早さを噛み締めておりました。
竜王アオさまと私が暮らすこのお城は魔海の真っ只中にあります。けれどお城の周辺は透明な泡のようなドームで覆われていて、私のような人間も問題なく暮らせているのです。
最初は戸惑うことも多かったけれど、そんな私を気遣ってくださった海魔の皆さまのおかげですっかり慣れました。
だから私は今日も、皆さまのために働くのです。
「——皆さま! おはようございます!」
テラスの柵から乗り出して、私は明るく声を張り上げます。
水を介して遥か遠くの人々へ声を届けられるスキル【
聖女の役割を次世代へ引き継いだあともそのスキルは健在で、ここ魔海はそれはもう水に満ちておりますので声はどこまでも届き放題。
というわけで、存分に奮わせていただいております。
ただし聖女としてではなく。
「
結婚式の日に突如脳裏に蘇った前世。
平成時代に生きる日本人だった頃の記憶を元に——魔海初のラジオパーソナリティとして、ですが。
「昨晩は皆さま、よく眠れましたでしょうか? このところだんだん水温が高くなってまいりましたし、体調管理に気を付けて無理なくお過ごしくださいませ」
そこでちょっとだけ間を空けて、大きく息を吸います。
「はいっ、ナイアさま! こちらどうぞであります!」
タイミングを察した侍女の
金槌のような形の頭を左右に振って宙を泳ぐ姿は、人間界にもいた鮫にそっくりです。
けれど彼は大型犬くらいのサイズしかありませんし、むっちりした身体と大きな目は愛くるしくてどこかマスコット的。
ありがとうとリイリイに向け口だけ動かして、私は資料を広げました。
「それでは本日の海中予報をお伝えします! まずは北の海域。こちらは最低水温は平年並みですが最高水温が昨日よりかなり高くなりますので、暑さ対策を心がけましょうね。氷山が脆くなってくる可能性もありますから、近くを通られる際はお気を付けて……」
資料をめくりながらドームの向こうへ目をやると、上級生と思しきスキュラの子に引率されながら小さな海魔たちが登校しているのが見えました。
子どもたちもラジオを聴きながらこちらを見ていたようで、各自大きく鰭や触腕を振ってくれます。
なんて可愛らしいのでしょうか……頬が緩むのを抑えきれないまま手を振り返し、各海域の予報を順番に伝えていきます。
「南の海域は近頃、エレ海山の火山活動が活発になっていますね。不安に思われている方々も多いでしょうが、今日は竜王陛下が魔海騎士団を伴って火山体近辺を視察される予定となっております。ご安心くださいね」
あの子たちを含め、魔海に住む皆さまが今日も安心して楽しく過ごせますように。
そんな祈りを込めながら、私はこの声を波に乗せるのです。
「さて! それでは続きまして、皆さまのお便り紹介のお時間です。いつも紹介しきれないほどたくさんのお手紙、ありがとうございます」
皆さまに届いているのは声だけだと分かっているのに、ついそこでお辞儀もしてしまうのは——前世のサガでしょうか。
なんて、ちょっと懐かしくなりつつ。
隣のリイリイから今日読む分のお便りを受け取ります。
「まずは【魔海在住匿名希望】さんのお便りです。もう常連さんですよね。いつもありがとうございます! ええと……『鳴竜妃さまに相談があります。近ごろ急に胸が苦しくなる時があるんです。朝起きてすぐや夜寝る前など、特定のある方のことを想うといきなり心臓がギュッと締め付けられるような……どうしたらいいのでしょうか』こ、これは……!」
私ときたら、読み上げながらついワクワクしてきてしまいました。これはアレではないでしょうか、青い春というものではないでしょうか!
ついはしゃぎたくなってしまうのをひとまずコホンと咳払いして制止。
先入観で先走ってお答えしてはいけませんものね。
「これはあくまで私の予想なのですが……【魔海在住匿名希望】さんは、ひとつの素敵な気持ちが心の中に育っていらっしゃる最中なのではないかと思います」
見知らぬその方が目の前にいると想像して、ゆっくりと優しい声を心がけて言葉を紡ぎます。
「その気持ちはとても繊細で、大きく育つまでは……いえ、育ったあとも傷付いたり揺れ動きやすいものです。今は苦しいかもしれませんが、それはいずれきっと素晴らしいものになりますよ! 大事に、ゆっくり胸の痛みと向き合って育てていきましょうね」
気付けば、胸元で握り締めた私の手にも力が入っていたりして。
【魔海在住匿名希望】さんのお気持ちが、特別な方へとまっすぐに届くといいのですが。そう思って、最後に「その方とも向き合う機会を増やしたりするのもいいかもしれませんね」と付け加えました。
「また是非お便りを送ってくださいね! では続いてのお便りです。【わくわく九十匹家族】さん。『つい先日、我が家の卵が一斉に孵りました! 私の旦那は鳴竜妃さまと同じ人間なのですが、うちの種族のオスの真似をしてお腹に巻いた帯の中で孵化まで卵を守ってくれました。パパ、ありがとう! 八十八匹の愛しい我が子たちと賑やかに過ごしていきます!』……おめでとうございま……八十八ッ⁈ すごい……!」
これは素直に大声が出てしまいました。
察するに、お便りをくださった方はタツノオトシゴ的な海魔の方でしょうか。やはり種族が違うと諸々の常識も違いますね……!
いえ、おめでたいことに変わりはないのですが!
「本当におめでとうございます。旦那さまとお子さんたちと、楽しい日々をこれからもお過ごしくださいね! 【わくわく九十匹家族】さんがご家族と安心して暮らせますよう、私も鳴竜妃としての務めを果たしてまいります」
そうしてまた次のお便りへ……をいくつか繰り返せば、あっという間にもうタイムリミットです。
「さて、そろそろ朝の部はお別れの時間です。皆さまの今日が良き日となりますように。お昼の部でまたお会いしましょう! 鳴竜妃ナイアでした」
聴いている方には見えないお辞儀をもう一度。
右手を挙げて軽く握り込み、スキルを解除しました。ふう、と息を吐くと同時にリイリイがお水が入ったグラスを持ってきてくれました。
「ナイアさま、お疲れ様であります! お水をどうぞ!」
「ありがとう。リイリイもお疲れ様、今日も色々手伝ってくれて助かりました」
「とんでもないでありま……あっ」
「?」
リイリイの左右に出っ張った目が向いた先をつられて追いかけると。
毛先に行くにつれて半透明になっていく波打つ紺色の髪に鰭状の耳。青白い肌に深いマリンブルーの切れ長の瞳。
遠くからでも目立つ美貌をたたえた私の旦那さま——竜王アオさまが、いつの間にかテラスにいらっしゃいました。
「おはようございます、アオさま」
「……うん」
「今日はエレ海山のほうへ視察に行かれるのですよね? どうかお気を付けて」
「うん」
頷くだけの淡々とした態度はいつものこと。
アオさまはとても物静かな方のようで、結婚式で初めてお会いした時もこんな調子でした。私とだけでなく、配下の方々とも必要最低限しかお話しされません。
そのせいなのか私が嫁いできたばかりの時、お城はとても静まり返っていて働く皆さまもピリピリした空気に満たされていたほど。
これはよくない、と即座に思ったことを覚えています。
そのピリついた空気は、私が日本で社会人していた頃に勤めていたブラック企業にどこか通じるものがありましたから。
私は自分にできることを考えました。
竜王アオさまのパートナーとして、魔海の竜妃として。
陸から、しかも人間界から来た私を受け入れてくれた魔海の皆さまに安心して、明るく元気に過ごしてもらいたい。
そうして自分の持つスキルと知識と思い入れとを組み合わせて考えた結果、思いついたのが
張り切って取り組んでおりましたらいつの間にか私は、無口な竜王に代わって語り続ける妃——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます