奴婢
低田出なお
奴婢
いつの頃からか、年賀状というものは随分と億劫なものになってしまいました。
学生の頃は、友人たちと住所を教え合い、互いに送っていたものです。
しかし、今ではすっかりSNSでの挨拶で完結してしまい、年賀状でのやりとりは、数人の友人と、仕事の関係者のみとなっています。
年賀状の厄介な所は、送られてきた時に送り返さなければならない事です。
勿論、返さなかったからと言って、そのまま関係性が極端に悪化するということはないでしょう。
ですが、年賀状を貰っていながら返さない、というは、些か喉に小骨がつかえるような苦悩を、私に残し続けるのです。
それ故に私は、毎年送ってくる何人かの為の年賀状の他に、イレギュラーに送ってきた人への返信用にと、何枚かの年賀状を用意するのが常でした。
確かあれは、2年前の正月の事でしょうか。
その年の正月は、大晦日に少しばかり降った雪を掻き終え、オーブントースターでお餅を温めて食べていました。
スーパーで買った個包装のものでしたが、存外美味しく、まったりとした朝を過ごしていました。
そんな時、そういえばまだ郵便受けを覗いていないことを思い出しました。
雪こそもう止んでいたものの、まだ底冷えする気温です。ジャンパーを羽織り、玄関を出て郵便受けを覗きました。
郵便受けの中には5、6枚程の年賀状が入っていました。そして、それとは別に、何やら見慣れない物が目に入りました。
それは、やけに厚く膨らんだ封筒でした。
手に取ってみるとそれなりに重く、尚且つ硬い感触を覚えます。
その上、封筒の真ん中、真正面にあたるところに「まじめなひとへ」と書かれていました。
何かの誤発送かとも思いましたが、裏面にはちゃんと自分の名前と住所、そして送り主として「原田 孝彦」と記載されています。心当たりのない名前でした。
当然、なんだこれは、と思いました。ですが、もう一方の手で持っていた年賀状に目を落とし、内容物に関してはすぐに合点がいきました。
角張った封筒は、年賀状の大きさとほぼ同じだったのです。側面をずらすように押すと、ぐっぐっと摩擦を感じさせます。
この封筒の中には、恐らくはがきがぎっしりと詰まっている、と推測できました。
しかしながら、それでもこの郵便物に対する疑問は晴れません。
なぜこんなものを、この原田という人物は送って来たのか。皆目見当もつきませんでした。
とはいえこんな寒空の下、玄関先で考えていても仕方がありません。私は一先ず、家の中に戻ることにしました。
部屋に戻ると、お餅は少し冷めてしまい、いくらか硬くなってしまっていました。私はそれをいそいそとよく噛んで嚥下し、皿と箸を洗ってから、再びあの封筒と対峙しました。
封筒と一緒に届いた年賀状は、見覚えのあるラインナップでした。近所の美容院等の広告に、職場の上司。律儀に毎年送って来る学生時代の友人。自分が送っていない相手からのものは無く、予備の年賀状の役目はなさそうでした。
年賀状に目を通し、件の封筒を手に取ります。
開け口のところが幅の広いセロハンテープで固定されていて、なかなか外せませんでした。四苦八苦しながらなんとか剥がし、口を開けると、予想通りはがきがいっぱいに詰められていました。
封筒との隙間に指を入れ、はがきを取り出します。
出てきたはがきを見て、私は眉間にしわを寄せました。
それは、たくさんの年賀はがきでした。いずれも消印が押されておらず、裏面の絵柄も異なっています。送り主はバラバラで、おそらく男女問わず書かれていました。筆跡もそれぞれ違い、癖の強いものから、お手本のようにきれいなもの、中には子供の文字に見えるものまであり、様々でした。
ですが、眉間を寄せたのは、様々な人の年賀状が入っていたからではありません。
これらの年賀状は皆一様に、あて先として「まじめなひとへ」と書かれているのです。宛先の住所もバラバラでしたが、これらのはがきは真面目な人とやらに対して書かれていることだけが共通していました。
これを見て私は、いたずらと判断することにしました。きっと誰かが、妙なものを送り付け、面白がっているのだと考えたのです。
私は封筒をつかみ取り、そこに書かれた住所をスマホで検索してみました。調べてみると、どうやら隣の市のマンションから送られてきているようです。
同様に記載されていた原田孝彦という名前も検索してみましたが、こちらは同じ名前の人物が複数ヒットし、ろくな情報は見つけられませんでした。
私は一応と思い、警察に電話をする事にしました。
万が一、類似する事件が起こっているなら、何か役立ったりするかもしないと思ったからです。
こういう変なものが送られてきた。どうするべきか。簡潔に質問しました。
なのですが、その、今のご時世にこういうことを言うと、いわゆるクレーマーと言われてしまいそうな話なのですが、この時対応して貰った警察の方の態度が、とても悪かったのです。
開けちゃってんですかー、じゃあもう返送は出来ないですねー、と、えらく間延びした調子で、返送は出来ないの一点張りを続けてきました。こちらは返送したいなんて、一言も言っていないのに。
しまいには、じゃあ何がしたいんですか? と言ってくる始末で。もういいです、と言って電話を切りました。
私は苛立ちから、乱暴に机に広がった年賀状たちを集め、まとめてゴミ箱に放り込んでやろうと思いました。ですが、すぐに思い留まりました。年賀状には、それぞれに住所が書かれています。このまま捨ててしまうのはいかがなものか。そう考えてしまうと、ゴミ箱に投げ込むのには躊躇いがありました。
私は溜め息をついてから、封筒にしまうことにしました。あとで住所を塗りつぶすなりしてから、捨てることにしたのです。
テーブルに広がったはがきの山をガサガサとかき寄せるようには集め、固まりにして縦横を鳴らしていきます。チクチクとはがきの角が掌に当たる感覚が、痛みとくすぐったさのちょうど中間のようでムズムズしました。
そうしていると、はがきの中に気になるものを見つけました。自分が送っていた年賀状と、そっくりのはがきがあったのです。
そのはがきを抜き出してみると、やはりそれは自分が送っていたものに酷似していました。そっくりどころか、おそらく全く同じデザインだったのだと思います。
私は少し湧いて出た好奇心から、自分の予備のはがきと見比べて見ようとしましたが、しまっておいたはずの場所に見当たらず、パッと取り出せません。仕方がないので諦めることにしました。
再び、そのはがきに目をやります。すると、どこかデザインだけでなく、妙に見覚えを感じました。幾ばくもせず、その既視感の正体に気が付きます。
書かれている文字が、私の書く文字ととても似ていたのです。まるっきり同じではないのですが、とても似通った筆跡でした。
自分の選んでいたデザインのはがきに、自分そっくりな筆跡が書かれているこの状況は、なんだか不気味な印象を私に与えました。
はがきの送り主は「江口 清美」と書かれていて、やはり心当たりのない名前でした。
私は何となく、深く考えないようにフンと鼻を鳴らし、そのはがきを束に加えてまとめ、やや強引には封筒に押し込みました。
正月休みが終わり、私は再び仕事に追われていました。年始はどうしても忙しく、バタバタとしていて心が休まりません。辛うじて、正月明けからしばらくは土曜出勤が無いのが唯一の救いでした。
そんな仕事初めから2週ほどたった土曜日のことです。
遅めの朝食を取り、郵便受けを確認すると、一通の封筒が入っていました。
私はすぐに正月の事を思い出してキッと身構えましたが、今度は全く膨らんでいません。恐る恐る手に取ってみると、送り主はまた「原田 孝彦」でした。
加えて、宛先の欄には、ちゃんと私の氏名が記載されていました。真面目な人がどうのこうのということは、書かれていませんでした。
封筒を手に家に戻り、食器を片付けてから、また封筒と対峙しました。
この時には、前に来たあの封筒はもう手元にはありませんでした。結局面倒くさがってしまい、封筒ごとテープで巻いて燃えるゴミに出してしまっていたのです。
封筒を見ていると、正月の時に電話に出た警察の態度を思い出してムッとしましたが、開けてみることにしました。
手に取る感触から今回はたくさんの物は入っていないようだし、もしこれで誹謗中傷でも書かれていれば、それこそ警察に突き出す格好の証拠になる。そう考えたのです。
封筒の中に指を入れて引き抜いてみると、それは三つ折りになった便箋でした。さっそく開いてみると、控えめな花柄の便箋に、気持ち良いくらいに綺麗な文字が並んでいます。
意外にも、便箋には謝罪が綴られていました。
送り主の原田という男性は、友人に送るつもりだったものを間違えて、同姓同名の私に送ってしまったと言います。今頃になって間違いに気が付き、慌ててこうした謝罪の文章を書いているとのことでした。
また、正月に届いてしまったものに関しては、本来届くはずだったその同姓同名の人物にもう口頭で伝えてしまったので、処分してもらって構わない、この度はお騒がせして申し訳ない、とも書かれていました。
これを読んで私は、ああそうだったのか、ただの間違いだったならよかった、と安心しました。
しかしすぐさま、違和感を覚えました。
この原田という男性は、同じ名前だから間違えた、と書いています。しかし、普通に考えればそんなことはあり得ないのです。
同姓同名の人物がいたとして、本来送る相手と間違えて、全く交流の無い同姓同名の住所を書けるはずがありません。
もしも私が、この原田孝彦と知り合いで、何かしらの交流のある間柄ならば、住所録等見て間違えるということはあるかも知れません。しかし、私はこの人間の事は全く知らないし、交流などありません。
つまり、この謝罪の手紙はでたらめだ、ということです。原田孝彦と名乗る人間が、何らかの意図で、こうして郵便物を送ってきているのです。
私は便箋をテーブルに置き、なぜ原田がこんなことをするのかを考えました。そして、1分ほど思考を巡らせ、ストーカー、という単語を思い浮かべました。
30を前にした自分にそんな魅力があるとは思えませんでしたが、ストーカー犯罪を起こした人間が、意味の無い贈り物を送って相手に認識してもらおうとする、といった話を聞いたことがあったのです。
私はすぐに便箋を封筒にしまい、警察に電話をかけようと思いました。前回はまともに取り合ってもらえませんでしたが、今回は聞いてくれるはずです。
しかし、便箋は封筒の中にどうにも納まってくれません。何か、奥で突っかかっているのです。
封筒の中を覗くと、底に何か紙が折りたたまれているのが見えました。ひっくり返してみると、四つ折りになった紙切れが出てきました。
紙切れは中学生のころに使っていたような方眼ノートの様で、ページの端を千切り取ったように破れています。
困惑を感じながら、私は紙切れを広げました。
『よまずにすてろ』
促す文言は、私の筆跡で書かれていました。
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