十六
ワグナー王国の隣国、ルセック王国。
その辺境伯であるイーヴォ・マウラーは好戦的な戦士として有名だ。たいがいのことは武力で解決できると思っている人物で、そんな彼だからこそ戦の多い辺境を任されていると言っても過言ではない。
巷では戦闘狂として恐れられている彼だが、実際はただの脳筋で情の熱い人でもある。
「さすがだな。けれど、俺の方が多いぞ!」
サムズアップし、レンにウインクを送るイーヴォ。レンは溜息を吐き、ジト目で返した。
「どうして、
守りにくいんですが、と愚痴を零すレン。聖剣を持っていた頃ならマウラーに遅れをとることはなかった。でも、今はもうただの
捕まえた賊の一人を踏みつぶしながらじっと己の手を見つめる。
いまだに慣れない。少年のような小さな手は今や立派な大人の手になっている。
手だけではない。身長も肩幅も以前とは全く違う。
不思議な事に、レンは聖剣を手放してから成長期を迎えた。
まだ夜に痛むことがあるので、恐らくまだ大きくなるのだろう。
今のところ身長は百七十九センチ、このままいくと勇気を超えるかもしれない。
自分ではガキだと見た目で判断されることを特段気にしていたつもりはなかった。
けれど、やはり心のどこかで気にしていたらしい。成長痛を嬉しく感じる程度には。
それにしても……とレンはイーヴォを見る。
彼のおかげでレンと沙織は衣食住に困らないですんでいる。
ルセック王国に入ると、レンは真っ先にイーヴォを訪ねた。
イーヴォならたとえワグナー王国から妙な知らせがきていたとしても匿ってくれるだろうと思っていたからだ。
過去にレンは絶体絶命の窮地に陥っていたイーヴォを助けたことがある。そして、イーヴォは恩を絶対に返さないと気が済まない人間だ。
もちろん、彼がそうでも周りがそうではないという可能性も頭にはあった。
が……、まあその時はその時だ。と考えるのがレンだ。
結局、イーヴォと似たり寄ったりでレンも脳筋なのである。だからこそイーヴォと気が合うのだろう。と、いうのはイーヴォの部下達の言葉だ。
「この男は連れて帰っていいですか?」
「おお、そうだな。他のは殺しちまったしな!」
ハッハッハッと笑うイーヴォの右手には血が滴る剣があり、左手には党首の頭部が握られている。周りに転がっているのは全て死体のようだ。
もし、イーヴォが率いる辺境部隊の頭脳を担っているチャンがここにいたらキレていたことだろう。
さすがのレンでもわかる。――――一人だけでも生きているのを確保できてよかった。
「とりあえず帰りましょうか。血だらけになってしまいましたし、このまま買い物を続けるのは少々よろしくないかと」
「そうだな。店に迷惑はかけたくないし、そいつを連れて帰らないといけないしな。そうするか!」
死体処理はいつものように見回り部隊に任せ、辺境伯邸へと帰る。血だらけなので徒歩でだ。
ようやく辿り着くと、どこから見ていたのか邸の扉が開き、執事が目をかっぴらいて飛び出してきた。
「お二人とも! お風呂へGOーですぞー!」
「はいはい」
「イーヴォ様! 『はい』は一度でよろしい! それとレン様はあまり返り血を浴びていないようですので、お風呂の前にソレを地下に放り込んできてもらってもよろしいですかな?」
「わかりました」
以前なら片手で持ち歩くことができていただろうが今のレンにはそこまでのスペックは備わっていない。暴れるこの男をここまで担いできただけでも結構疲れたのだ。
仕方なく、捕まえた大男を引きずって歩き出す。階段を降りるたびにゴンゴンうるさいし、情けない悲鳴も聞こえてくるが、仕方ない。
言われた通りに地下の部屋に押し込むとレンはさっさとお風呂へと向かった。血の匂いが充満しているあの部屋はあまり好きでは無い。
浴室でさっぱりといろんなものを洗い流して、綺麗な黒シャツと黒いパンツに着替える。
そのまま、イーヴォの元へと行こうとすると執事に呼び止められた。
「レン様。本日の護衛はもういいそうです。そろそろサオリ様が帰宅する時間ですから迎えに行かれた方がいいかと」
「あ、もうそんな時間ですか。わかりました。行ってきます」
それならと、上だけ白シャツに着替えなおして急いで邸を出る。辺境邸と街の中間にある病院。そこで沙織は医者の助手として働いている。
光魔法を使えばもっと多くの患者を助けることはできるが、そうなると教会に見つかる可能性が高くなる。
いつお尋ね者になるかわからない身分なので、一応まだ目立つ行動は避けておきたい。
その代わり、沙織はこっそりと手を加えていた。気持ち、治りが早くなる祝福。これについてはアメリアからもらった書物に書いてあったものだ。
イーヴォに紹介してもらった医師は善良でどんな患者相手でも全力を尽くすような人だった。明らかにわけありの沙織を二つ返事で受け入れてくれ、光魔法のことも気づいているだろうに黙ってくれている。教会にいた頃よりもずっと居心地が良い職場環境に沙織は満足していた。
仕事を終え、病院を出ればそこにはレンがいた。
「レン。毎日迎えにこなくていいんだよ?」
「僕が好きで迎えにきてるんだからいいの。気にしないで」
そう言って微笑むレン。沙織は頬を微かに赤くして視線を逸らした。
レンはそんな沙織の反応に目元を柔らかくし……そして、あたりを警戒するように視線を揺らした。
沙織はすっかり警戒心を解いてしまっているが、レンはまだ早いと思っている。
人とは欲張りのもので、大きな力を手に入れたからと言って満足するとは限らない。
同様に、約束をしたからと言って守るとも限らないのだ。
元々沙織を自分の所有物のように思っていた勇気が、今になって取り戻しに来る可能性はゼロではない。
だからこそ、レンは移動できないでいる。
本当は何も知らないフリをして遠い地に行きたい。逃げてしまいたい。
けれど、そうして、万が一最悪な結果が起きたとしたら……込み上げてくる罪悪感がレンをこの地に留めている。
「それにしても……成長期ってすごいね。この短期間でまるで別人みたいになってる。……患者さんからも『あの男は新しい彼氏か?』なんて聞かれたくらいだよ。レンだよって言ったら皆驚いてた」
「えー。僕そんなに変わったかな~」
沙織は自分より随分上にあるレンの顔を見上げた。
毎日顔を合わせているはずなのに、日に日に子どもっぽさが抜け大人の色気みたいなものが足されている。……なんだかドキドキしてしまって、そのたびにマリアの顔と言葉が頭を過ってなんとも言えない気持ちになる。
レンの横顔をジッと見つめる。沙織はレンが彼氏だと間違われてドキッとしたのに、レンは全く気にしていないようだ。
結局、姿形が変わってもレンはレンなのだ。きっと、これからも変わらない。そのことにホッとすると同時に少しだけ寂しくも感じた。
レンは沙織に言われた『短期間での成長』について考えていた。
随分と高くなった視界。たとえ成長期だとしても異常な早さだ。
――――まるで……。やはり、これはそういうことなのだろうか。
頭に浮かんだのは
そして……と、隣を歩いている沙織をチラリと見る。
――――もし沙織が聖女として覚醒すれば沙織も同じようになるのだろうか……。
そんなことを考えていたからか、その日アメリアから連絡がきた。
イーヴォからほいっと渡された手紙。
よくここにいるとわかったな……と思えばなんのことは無い、マリアから教えてもらったらしい。
手紙には、教えてもらう代わりにレンの私物を渡したと謝罪を添えて書かれていた。
思わず遠くを見つめる。
別に悪くはない。悪くはないのだが、大切な何かが減ったような気がする。
いったい何を渡したのか……知りたいような知りたくないような。
レンはふーっと息を吐き、もう一度手紙の重要な部分に目を通した。
「あーあ。つかの間の休息だったなぁ」
ビクリと肩を揺らす沙織。
アメリアからの手紙ということで沙織も嬉しそうにしていたのだ。手紙を開くまでは。
沙織がどこまでこの手紙の内容を理解しているのかはわからないが、とにかく最悪の事態が起きていることは伝わったのだろう。顔色が悪い。
――――個人的にはサオリにはここで待っていてもらいたい。連れて行けば、おそらくサオリは傷つくことになるだろうから。……でも、サオリの力がきっと必要になる。
「サオリ」
レンは矛盾する気持ちに苛まれながらも沙織の名前を呼んだ。
よろよろと顔を上げる沙織。
「サオリは、どうしたい?」
――――ああ、今僕はずるいことをしている。サオリに決めさせようとしている。それでも、もし……サオリが嫌だと言うなら、その時は別の方法を考えよう。だって……僕が悪いんだから。
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