十三
ウルウルとまるで捨てられた子犬のような瞳でレンを見つめるマリア。
「レン……行ってしまうのね」
「うん。これ以上ここにいたらマリア達にも迷惑かけるかもしれないから。今までありがとうマリア」
「そんなっ! そんなこと気にしないでいつまでもいていいのにっ」
今にも泣き出しそうな……いや、一筋の涙を流したマリアはドサッと膝をついてレンを見上げる。レンは苦笑しながらマリアに近づき、手を伸ばしてその涙を拭った。
「マリア、いつかまた会いに来るから」
「約束よ?」
「うん」
とうとう耐え切れなくなったのだろう。ポロポロと涙を流し始めたマリアは感情のままにレンをガバッと抱きしめた。体格の良いマリアの腕の中にレンはすっぽりおさまっている。
おかげで沙織の位置からはレンがどんな表情をしているのかわからない。
というより、今の沙織はそれどころではなかった。悲痛なマリアの声につられて沙織も悲痛な表情を浮かべていたのだ。
だから、気づかなかった。……レンの手が救いを求めるかのように虚空を泳いでいることに。
マリアの気が済んだ頃、ようやくレンは解放された。
げっそりしたレンの頬に別れのキスを落とし切なげに瞳を揺らしたマリアは次に沙織に視線を移した。
「サオリ、レンのこと頼むわね! この人家事力は皆無なんだから」
「ま、任せてください!」
「それと……あなたも気をつけなさいよ」
「! は、はい」
マリアの大きな手が伸びてくる。驚いて目を閉じてしまったが、その手は思いのほか優しく沙織の頭を撫でた。ものすごく気を使ってくれているのだろう。
マリアは沙織のつけてるネックレスをつついた。黒薔薇が揺れる。
「このネックレスはそのまま持っていきなさい。何かと役に立つと思うわ。それと、これは通信具よ。もし、何かあったら連絡してきなさい」
最後は沙織にだけ聞こえるように小声で呟く。こっそりと渡してくれた円柱型のコンパクトミラーのようなものはどうやら緊急用の通信具らしい。目頭が熱くなる。沙織は必死に涙を耐え頷いた。
「マリアさんもお元気で」
「ええ」
二人はお互い目を真っ赤にして笑みを交わした。
マリアの手引きにより、裏路地を出たレンと沙織は闇夜に紛れて国境へと向かう。馬車や馬は足が付きやすいので途中まではレンが沙織を抱えて走ることになった。沙織が抵抗するよりもはやく抱えられ、走り出す。目を開ける余裕もなくあっという間だった。
あと少しで国境、というところでレンが足を止めた。沙織を降ろして静かにとハンドサインで合図する。沙織は黙って従った。
レンは目を閉じ耳を澄ませる。聖剣を手にかけその力を少しだけ借りた。
そうすると、
目を開け、眉間に皺を寄せるレン。その様子にただ事ではないと感じた沙織は不安げにレンを見つめる。レンは沙織を手招きして近くにくるとある方向を指さした。指した方を見れば、見慣れたシルエットが目に入る。
「勇気!?」
慌てて口を塞いだが遅かった。
「沙織、とクソガキ……出てこいよ」
申し訳なさそうな顔をする沙織の頭を苦笑しながら撫でるレン。
「大丈夫だから、いこう」
内心『ガキではないんだけどなー』と思いながらレンが先に草陰から出ていく。沙織も恐る恐るその後に続いた。
何故か勇気はたった一人で仁王立ちして待っていた。本来検問にいるはずの門番もいない。わざわざ人払いをしたのかと沙織は警戒心をあらわにした。だが、勇気は沙織など眼中にないのかレンだけを見ている。
「ふんっ、おまえの作戦なんてお見通しなんだよ。尻尾巻いて逃げ出そうなんて勇者の名が泣くぜ……ああ、(仮)勇者か」
嘲笑うかのような口調に頭にきた沙織がレンを押しのけて前に出る。
「お山の大将気取ってるだけの癖に何を偉そうに言ってるのよ!」
沙織がこうして勇気に対して怒りをぶつけるのは初めてだ。不意打ちをくらったかのように勇気が固まる。けれど、すぐに沙織を睨み返した。
「おまえ、変わったな。俺の知る沙織はそんなやつじゃなかった」
沙織はその言葉にさらにカチンときた。
────あんたが私の何を知ってるっていうのよ!
その怒りは勇気にも伝わったのだろう。勇気はビクリと体を揺らし、気まずげに視線を逸らす。そして、その代わりとでもいうように恨みの籠った目でレンを睨みつけた。
「なあ、おまえ」
「なんですか?」
いつもと変わらず答えるレン。勇気の目にはそれが余裕そうに映ったらしい。憎々し気にさらに眉に皺が寄る。実際余裕だったレンは次の言葉に表情を変えた。
「おまえの持っている聖剣を俺に渡せ。そうしたら二人とも見逃してやるよ。ここを通してやるし、おまえが魔法を使えないこともその聖剣のことも黙っててやる」
ニヤリと笑う勇気を真顔で見つめ返すレン。
沙織はその後ろで青ざめていた。思わずレンの背中の服を握る。
「見逃してくれるの? 本当に?」
「ああ、お前達二人ともな。だから、こうして門番達には一時期的に離れてもらっている」
思案するようにレンはしばらく黙った後、一つ頷いた。
そして、勇気に向かって愛想良くにこりと微笑む。
「その約束、絶対守ってくれるっていうならいいよ」
「え?! ちょ、ちょっと待ってレン。それはさすがにっ!」
「大丈夫。それに利害は一致しているからね。僕らはここから逃げたいし、彼は聖剣が欲しい。それに元々僕も『彼なら大丈夫かも?』って思ってたから」
レンの腕を握り引き留めようとする沙織。けれど、レンはその手を優しく外した。
「僕はね、この聖剣を正しく扱える人を探して旅してたんだ。それが君だって言うなら遠慮なく渡すよ。君は『勇者』になる覚悟があるんだよね?」
レンの質問を鼻で笑う勇気。
「ああ、おまえと違って俺はとっくの昔に『勇者』になる覚悟ができている。俺ならお前よりもっと上手く『聖剣』が扱えるさ」
「そっか……なら大丈夫かな。『渡り人』だし、きっと……大丈夫だよね」
自問自答するように呟くレンはホッとしたように微笑むと勇気に近づく。
その言動に訝しげな視線を向ける勇気だが、聖剣を前にしてそれ以上考えるのを放棄した。
レンから差し出された聖剣を手に取る。その瞬間、勇気の中をじわじわとした何かが走った。
固まっている勇気の横をレンは沙織の手を引いて通り抜ける。
「今のうち!」
「え、でも」
「はやくっ!」
聖剣を持って棒立ちになっている勇気を見て言い様のない不安に襲われたが沙織はレンに従って足早に検問所を通り抜けた。
――――――――
レン達が消えて数刻。勇気はようやく聖剣を抜いた。ギラリと光る刀身にうっとりと視線を向ける。
――――わかる。わかるぞ! この聖剣を使えば今までの倍……いや、それ以上俺は強くなれる!
勇気は興奮冷めやらぬまま、聖剣を手にして王城へと駆けた。不思議なことにこの聖剣の力を借りれば疲れることも無く、馬で駆けるよりも早くついた。
「ふ……ふ、はははは」
思わず笑みもこぼれる。勇気は自覚していた。聖剣を手にした時から明らかに自分の中でナニカが変わった。
手が震える。早く、早く実践したくて堪らない。
――――そして、結果を出せば……
「俺が真の勇者だ」
沙織の顔が脳裏を一瞬過ぎ去ったが、今の自分にはもう必要ない人間だと切り替える。
自分にはこの聖剣がある。これがあればきっと地位も名誉も女も自分のものになる。
クリスティーヌの顔と豊満な身体が浮かんでくる。
勇気は興奮からか乾いた唇をぺろりと舐め上げ潤した。
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