十二

「はい、これ。それじゃあ、またねん」


 突然やってきたマリアはを渡すと、沙織の返事を待たずにウインクして颯爽と帰っていった。しばらくの間、マリアからのウインクファンサの余波を受けた沙織は放心状態になっていたが、我に返るともらったブツ……もといアメリアからの手紙を開いた。


 アメリアからの手紙は沙織に衝撃をもたらした。同時にどうしてマリアがレンを通してでなく、直接沙織に渡しにきたのかがよーくわかった。手紙の中をマリアも見たのだろう。

 プライベートもあったものではないが、沙織たちはマリアに匿われている身の上、今回のマリアの対応は沙織にとってもありがたいものだった。


 アメリアの手紙の内容は一切オブラートに包んでいない明け透けなものだった。最後まで読んだ頃には沙織の中にあった王国と勇気への信頼は地の底まで落ちていた。


 手紙の内容を要約するとこうだ。

 ワグナー王国の上層部は今、二つに分かれているらしい。

 勇気を真の勇者に据える為、レンを排除しようと動いているクリスティーヌ派閥。対して、あくまで勇者に相応しい実力を持っているのはレンだと訴えているマンフレート派閥。とはいえ、その派閥も勇気とクリスティーヌの仲は認めているらしい……というか認めざるをえない程二人の仲は進んでしまっているようだ。少なくともクリスティーヌは二人の仲を全く隠そうとしていない。むしろ、悲劇のヒロインぶって取り巻き達に吹聴しているらしい。


 下世話な噂というモノは広まりやすい。今では二人がすでに一線を超えているのではと囁かれているらしく、さすがのバルドゥルもこのまま醜聞を見過ごすわけにはいかなくなったようだ。

 本来、ここで責められるのはクリスティーヌと勇気だろうが……腐っても二人は王女と勇者『渡り人』。王家の威信を落とすわけにはいかないバルドゥルは仕方なく二人の仲を認めるような素振りを仄めかしているらしい。


 ただ、公式に発表していないのはレンが婚約解消を認めず教会に閉じこもっているせい……なんてことを匂わせて誤魔化しているそうだ。民衆もクリスティーヌと勇気を見てその噂を信じ始めている。


『はっきり公表しないところがあのバルドゥルらしい。最終的にどう転んでもいいように安全圏でこの状況を楽しんでいるに違いないわ!』と筆圧強めの乱れた筆跡がアメリアの怒りを物語っていた。


 最後まで読み終わった沙織は思わず手紙をくしゃりと握りつぶす。

 アメリアの機転のおかげで二人が消息不明になっていることは公になっていないものの、これでは完全にレンが悪役だ。


 ――――どうりでレンに対する悪評がすごい早さで回っているわけだ。これじゃあ、レンはどちらにしても戻れないじゃない。


 レンの意向は先日聞いたばかりだが、それとこれとは話が別だ。言い様の無い怒りが込み上げてきてイライラが止まらない。


 沙織は手にした手紙をじっと見つめる。沙織にはもうひとつ気にかかることがあった。

 アメリアが手紙の最後につけ加えた言葉。『私のことは気にしないでちょうだい。私は腐ってもこの国の聖女だから』。アメリアは私達が国を出る選択をとると確信しているようで、手紙とは別に聖女が使う光魔法について纏めた本も送ってくれていた。


 それが、沙織にとってはショックだった。


「私……まだ決めてないのに」


 そう、沙織はまだ決めきれないでいた。この国に残るのか国を出るのか、それすらもまだ自分の中では定まっていない。

 ――――それなのに、アメリアは私が出て行くものだと思っているんだ……。


 本当は沙織もわかっている。この国に残るということは今後も勇気との縁が続く可能性が高いということだ。

 今はクリスティーヌに夢中になっている勇気だが、沙織の存在を思い出してちょっかいをかけてくる可能性はある。むしろ、その可能性の方が高い。何かあった時にやたら沙織を頼ろうとする節が勇気にはあるのだ。

 そうなったら確実にめんどくさいことに巻き込まれるだろう。


 過去、勇気関連で起きたあれやこれやについてアメリアに話したことがある。だからこそ、アメリアは今が勇気と完全に縁を切るチャンスだと言ってくれているのだ。


 それでも、やはり初めてできた女友達にあっさりと勧められるのは悲しかった。


「とはいえ……選択肢は正直一個なんだよね」


 口に出す勇気が持てないだけで。

 鬱々とした気持ちを吹っ切るように沙織は立ち上がった。


 そろそろ買い物に行く時間だ。買い物用の鞄を持って外へ出る。ネックレスを触り、その存在を確かめてから裏路地を抜けて商店街へと向かった。


 目当てのものを購入し終えた沙織は速足で人混みをすり抜けていく。――――結構遅くなっちゃった。

 約束通り感想を書いた紙をパン屋の店主に渡したら捕まってしまったのだ。


 裏路地に入ろうとしたタイミングで急に腕を後ろから引かれた。

 ポスンと背中に固いナニカがあたる。驚いて顔を上げると、今一番会いたくない人物と目があった。


「沙織……」


 間近にある勇気の顔に血の気が引いていく。――――見つかった!


「ようやく見つけた。今まで何をしてたんだよっ」


 焦りと怒りを合わせたような表情を浮かべる勇気。沙織はその顔を見ているとイライラが込み上げてきて、勢いに任せて勇気の手を振り払った。驚いたように目を丸くする勇気。その隙をついて沙織は駆けだした。名前を呼ばれた気がするが、足を止めずに目的地まで必死に走り抜ける。沙織にとってのセーフティーゾーンに着くまで気が抜けなかった。


「ど、どうしたの?!」


 珍しくすでに帰ってきていたレンが驚いた顔で沙織を迎える。沙織はそのままレンに縋るように抱きついた。驚いたもののそのまま抱きとめる。レンは沙織が落ち着くまでじっと待っていた。

 平常心を取り戻したと同時に羞恥心が込み上げてきて沙織はそっと顔をあげる。けれど、レンがあまりにも心配そうな表情を浮かべていたので、拍子抜けしてとりあえず離れると先程の出来事を端的に伝えた。


 レンはなるほど、と呟く。

「ちょうど逃亡資金も溜まったし、国を出るのにはいいタイミングだね」


 こともなげに言ったレンに沙織は固まる。けれど、レンの言う通りだ。とうとう決めなければならないのだ。沙織は覚悟を決めて口を開いた。


「私もレンについて行きます」

「いいの?」

「はい。お邪魔じゃなければ」


 二人の視線が数秒絡まる。そして、レンはホッとしたように深く息を吐いた。


「よかった~。サオリがついてきてくれるのほんと助かる~」

「え?! 本当にいいんですか?!」

「もちろんだよ! 光魔法が使えるのも料理ができるのも助かる! 僕は魔法も使えないし料理もできないからさ~」

「ええ?」


 慌ててレンが己の口を塞ぐがもう遅い。

 レンが料理ができないのはなんとなく気づいていたが、魔法が使えないというの件は初耳だ。でも、言われて見ればレンが聖剣を使って人間離れした技を繰り出しているのを見たことはあるが魔法を使っているのは見たことがない。

 数秒レンは視線を彷徨わせていたが、意を決したように口を開いた。


「まあ、サオリとは長い付き合いになるんだしいいか」


 そう言ってレンは暴露大会を始めた。


「僕はね前から言っていた通り『真の勇者』ではないんだよ。聖剣のおかげでそれらしい力が出せているだけで、素の僕は魔力がゼロでちょっと身体が丈夫なだけの一般人……ですらないただの弱者なんだ」


 そう言って微笑むレン。そんなレンが自分と重なって沙織は何とも言えない気持ちになった。


 ――――私だって、この世界では稀有な光魔法の使い手なんて言われているけど、日本では何の取柄もない底辺の人間だ。でも……やっぱりレンは私とは違う。私はそんなに明るく言えない。認めることなんて、できない。


「レンはすごいね」

「え?! 今の話にそんな要素なかったよね?!」

「ううん。レンはやっぱりすごいよ」


 慌てて否定するレンを沙織は笑って否定した。ふとあることが頭によぎり、沙織はそのまま口にする。


「でも、聖剣に選ばれるっていうだけでも一般人とはいえないよね」

「ん? ああ……まずそこの認識が皆間違っているんだよね」

「え? どういこと?」


 きょとんと首を傾げる沙織。レンは苦笑しながら聖剣を見てポンと軽く叩く。


「別に僕はこの聖剣に選ばれたわけじゃないんだ。この聖剣は持ち主を聖剣だから……」

「え? それって……」

「そう、つまり誰でも使えるってこと」

「そう、なんだ。……だからレンはいつも側に聖剣を置いているんだね」


 沙織の納得したような一言にレンは驚いたように数回瞬きを繰り返し、微笑んだ。


「そういうこと! きっと、沙織なら扱えると思うよ」

「んー……でも、私は怖いから遠慮しとく」

「それが正解だね」


 ふふふ、と笑い合う二人。



 そんな二人を窓の外から見つめている影が一つ。暗闇に紛れ、建物の凹凸を利用して聞き耳を立てている勇気。普通の人間ならばそんなところには決して登れないだろう。けれど、勇気にはそれができる。できてしまった。……そして、聞いてしまった。


 ――――なるほど、な。


 今の勇気の目には先程まで連れ戻そうと思っていた沙織ではなく、レンが持っている聖剣しか映っていない。――――アレを手に入れることができれば俺が……。

 どろりとした欲望が勇気の目を濁す。勇気は込み上げてくる笑いを堪え、誰にも気づかれることなく闇に紛れてその場から立ち去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る