六
ひつじ雲がゆっくりと流れている。目を閉じれば、さわさわと木々の揺れる音が聞こえる。
暑くもなく寒くもない心地いい気温。まさに……ひなたぼっこ日和。
――――ああ、最高だ。
「あれ? もしかしてそこにいるのはレンさんですか?」
気づかれてしまっては仕方ない。レンはゆっくりと目を開き、上半身を起こした。
「こんにちは。サオリ様」
「こんにちは」
穏やかな笑みを浮かべる沙織。最初の頃とは違って目を逸らすことはない。こうして自分から声をかけてくれるようにもなった。
少しは仲良くなれたのだろうか。それとも、人見知りが緩和されただけか。どちらにしてもいい変化だ。
レンは足についた草を払いながら立ち上がった。
「最近よくいらっしゃいますね」
「はい。ここは居心地がいいんで」
「わかります」と頷く沙織。
レン達が今いるのは建物の外にある庭園。教会の敷地内だからか不思議と空気が澄んでいる。
ここにいるだけで不思議と落ち着く。
だからか、示し合わせたわけでもないのにレンと沙織は何度もここで顔を合わせていた。
二人がのほほんと微笑みあっていると呆れたような声が響いた。
「レン、あなた今日もサボっているの?」
レンは心外だという顔で振り向く。
「アメリア、サボってるんじゃなくて仕事がないんだよ」
そう言って、なぜか胸を張るレン。
アメリアはジト目になるが、レンは平気な顔をしている。堪らずアメリアは苦言を漏らした。
「あなた本当にそれでいいの? このままだとお役を奪われちゃうかもしれないのよ?」
「別にかまわないよ。むしろ、僕からしてみれば願ったりかなったりだ」
アメリアが険しい表情になる。
「なぜあなたはいつもそうなの? なぜそうも頑なに」
「アメリア」
強い口調で遮られ、アメリアは悔し気に視線を逸らした。
アメリアの言いたいことはわかる。でも、レンはアメリアと同じようにはできない。――――したくもない。
沙織は二人のやりとりを少し離れた位置でずっと聞いていた。内容は理解できなかったが、二人の雰囲気が気になって仕方がなかった。
二人は沙織にとって特別な存在だ。あまり険悪な雰囲気になってほしくない。
でも、雰囲気を変えたくてもこういう時どうしたらいいかわからない。
沙織はただ口を開いては閉じてを繰り返していた。
そんな微妙な空気を切り裂くかのように
「ここにいたのか」
と大きな声が響いた。
堂々とした足取りで近づいてくる男。
男は沙織の前で止まり、頭から足の爪の先までじっくりと眺めた。
そして、胸部にもう一度視線を向け、沙織の顔を見て一言。
「胸以外、私の好みではないな」
ピキリ、と固まる沙織。アメリアは沙織を押しのけるようにして男の前に立った。レンは自然な動作で沙織を後ろに隠すように立つ。
アメリアは小さな身体で威嚇するようにギロリと男を睨みつけた。
「あなたがここにくるなんて珍しいわね。一体何しにきたの? まさか
男は一瞬無言になり、ヘラリと笑った。
「もちろんさ。私は王太子として『渡り人』様をこの目で確認しにきただけだよ」
「え?!」
沙織は慌てて己の口を塞ぐ。改めて見れば、男は確かに金髪に碧眼というバルドゥルやクリスティーヌと同じ色合いを持っている。それに、着ている服も豪奢だ。……目が痛いくらいに。ついでに香水臭い。離れていても匂う。
沙織はもっと距離を取ろうとそっと後ろに足を引いた。
しかし、王太子はレンの横を通り過ぎて沙織に近づく。
「私は、マルクス・ワグナー。この国の王太子だ。よろしく」
「よろしくお願いします」
うむ、と高揚に頷くとマルクスは去って行った。
見えなくなった瞬間、プハッと息を吐く。沙織は残り香を必死に手で消しながら新鮮な空気を求めて歩き回った。アメリアとレンは気持ちはわかると沙織が落ち着くまでじっと待っていた。
「大丈夫?」
「は、はい。ところで、王太子様は本当に私の顔を見にきただけなんでしょうか? それにしては早く帰って行ったような……それとも、私が何か機嫌を損ねるような態度をとってしまったのでしょうか」
不安気な沙織の言葉をアメリアは即否定した。
「サオリがあんな男のことなんて気にする必要ないわ。……あの男はね。サオリが自分の好みかどうかを確かめにきただけだから」
「え?」
戸惑う沙織にアメリアは尋ねる。
「サオリ、今まであの男と会ったことはあるかしら?」
「そういえば……ないですね」
言われてみればない。おそらく一度も。この世界にきてから色んな『お偉い方』と会う機会があったが、どの場にもマルクスはいなかった。
「やっぱり。……あの男、マルクスはね……とにかく妖艶な美女が大好きなの」
「え? えっと……」
それがどう話に繋がるのかわからず困惑する。
「悔しいことに優秀なあの男は学園を飛び級で卒業して、今は外交を理由に各地を飛び回っているのよ! でも、それは表向きな理由……その実、将来後宮に入れる女性を今から味見……選定しているらしいの!」
沙織は目を剥き、息を呑んだ。――――とんでもない女好きだ……。
アメリアは自分を落ち着かせるためか、深く息を吐いた。
「まあ、今の国王様は無類の女性好きでより好みしない節操無しらしいから……それよりはマシ……なのかしら」
死んだ目で呟くアメリア。もう沙織は何も言えなかった。
ふと、記憶が蘇る。
そういえば、バルドゥルは何かにつけて沙織の手を握ってきた。あの時は国王が相手ということもあって緊張して深くは考えていなかったが……。
沙織は己の手にそっと浄化をかけた。
「とりあえず、王太子様の好みでは無かったと喜んでおくべきですかね。……国王様も息子とそう変わらない年齢の子に手は出しませんよね?」
「……多分ね。まあ、サオリが聖女として覚醒してしまえば最悪の事態からは逃れられるから大丈夫よ」
「最悪の事態……聖女とは結婚できないっていう決まりでもあるんですか?」
「いえ、うーん……説明が難しいんだけど……。基本的に聖女はね『聖女』であるうちは『国王』の正妃なの。ただし、契約上のね。聖女はその身を人間と交わらせると神力を落としてしまうから。聖女の力を守る為に国王と白い結婚を結ぶの。正妃に手を出そうなんて不届き者はいないでしょう? 教会と王家をいっぺんに敵に回すことになるんだから。……ただ、サオリは渡り人。我が国の聖女ではないから、例外ではあるのよね」
「え? それはつまり……結局私は危ないってことですか?」
青ざめる沙織にアメリアはクスリと笑った。
「サオリはきっと私よりも力の強い聖女になるから大丈夫よ。そうなったら、国としてはその力を弱らせるよりも聖女としてとどまってもらったほうがいいと判断するはず。だから、そうなる前にマルクスはサオリを見にきたんだわ」
なるほど……とホッと息を吐く沙織。
正直仕組みやら感覚が日本とは違い過ぎて理解できない部分も多いが、自分が助かったことだけはわかった。
頭の中で整理しているとふと気づく。
「あれ? それじゃあ、バルドゥル様の正妃って……」
「私ね」
何でもないことのようにいうアメリア。沙織は再び青褪める。
「私、不敬、いっぱい」
その反応に慌てるアメリア。
「なんでそうなるのよ! 私とサオリは友達でしょう?! それに正妃っていってもただのお飾りよ! 国の実権なんてこれっぽちも持っていないんだから!」
「と、もだち」
目を瞬かせる沙織。アメリアは一瞬口を閉じ、そっと沙織の様子を伺った。
「……違うの?」
「う、ううん。違わない」
急いで首を横に振る沙織。アメリアは照れくさそうに、嬉しそうに微笑んだ。
和やかなムードの中、レンは静かに二人を微笑ましげに見ていた。
――――アメリアがサオリ様には黙っていたいというなら僕も黙って見守っていることにするよ。どうせ、僕達は
――――――――
「ん……はっ……ユウキ様。これ以上は」
「あっ、ああ。ご、ごめん……つい」
クリスティーヌからそっと胸を押され、勇気は名残惜し気に離れた。
それでも、ついクリスティーヌの唇を目で追ってしまう。
――――さっきまであの唇に触れていたんだ。
燻る熱は全く冷めそうにない。これ以上高ぶらせないためにも勇気はクリスティーヌからそっと視線を外した。
ここ最近、勇気は魔物討伐の成果を上げ続けている。
そのおかげか、クリスティーヌとの距離も一気に縮まっている。もちろん、周りには秘密だが。
クリスティーヌは再び勇気との距離を詰め、勇気の肩に頭をのせた。そして、指でそっと勇気の手の甲に触れる。ビクリと勇気の身体が揺れた。
クリスティーヌは素知らぬふりで勇気の手を弄りながら口を開く。
「ユウキ様はご存じかしら? 最近皆がユウキ様のことを『勇者』のようだと噂していることを」
「あ、ああ……そういう噂もあるらしいな」
勇気に声をかけてくる女性達から直接聞いたのだが、ここは一応濁しておく。
「ユウキ様の力が皆様に認められたということですわね。素晴らしいことです。……ただ、それでも足りません」
「え?」
「お父さまを納得させるにはまだ足りない……あの人よりもユウキ様が勇者に相応しいと認めさせるには足りないのです」
クリスティーヌはそっと指を離し、勇気からも離れた。そしてじっと勇気の目を見つめる。
「あの人……というとあのレンとかいうやつか。最近は目立った成果は上げていないはずだが……」
「ええ。実際、『ユウキ様が頑張っているのにレン様は何をしているのか』という不満の声が上がっているそうです。ただ、それでも『勇者にふさわしくない』という声を表立って上げようとする人はいない。今までの実績がある以上なかなか言えないのでしょう……」
「それなんだが……本当にあんなガキにそんな力があるのか?」
確かにこの前もオークを倒していたようだが、勇気はレンが倒した瞬間を見てはいない。
だから、未だに信じられないでいる。
クリスティーヌがぽつりとつぶやいた。
「……もしかしたら、何か秘密があるのかもしれませんわ」
「秘密?」
「ええ、あの異常な強さはもしかしたら何か特別な魔法やアイテムを使っているのかも……」
クリスティーヌの言葉を聞いて、勇気はなんだかその可能性が高い気がしてきた。
そうでないと、納得できない。
「特別な魔法や……アイテム……か。調べてみるか」
「私も影を使って調べてみますわ。……二人の未来の為に」
「ああ……二人の未来の為に」
自分の為に動いてくれている健気なクリスティーヌが愛おしい。
勇気はもう一度だけ……とそっとクリスティーヌに身を寄せた。
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