一
ワグナー王国でのレンの立場は特殊だ。
表向きには賓客ということになっているが実際は違う。
この国にいる間は魔物の討伐に手を貸すという条件付きで衣食住を用意してもらっている。力は貸すがそれ以外には関わるつもりは毛頭ない。
だから、レンは気づくのが遅れてしまった。もし、知っていたらすぐにでも動いていただろうに。
――――――――――
日が落ちてきた。後、一時間もしないうちにあたりは真っ暗になるだろう。
魔物を一掃するとレンは剣を鞘におさめ、小さく息を吐いた。
今日だけで討伐依頼書に記載されていた六ヶ所を回ったのだ。さすがに少し疲れた。それに、そろそろお腹が限界だ。
お腹をさすったレンは完全に日が落ちる前に王城に戻ることにした。
門番がレンを見て頭を下げる。『(仮)勇者』として認知されているレンはその顔と聖剣でほぼ顔パスで通される。
たまーに、頭が固いと言われている門番に当たると手続きが必要になるがレンはむしろそれが当然だと考えていた。
城内の廊下を歩きながらレンは首を傾げた。
――――なんだかざわついている。
いつもならレンが通るとすぐに誰かしらがよってくるのに今日は皆それどころではないようだ。
気にはなるがわざわざ誰かをつかまえてまで聞く程ではない。
レンは予定通り真っ直ぐに王国騎士団団長室へと向かった。
この時間帯なら部屋にいるはず……と思っていたのだが、
「え、いない?」
レンの予想に反して騎士団長マンフレート・ギーセンはいなかった。
その代わり、副団長アルミン・クルーガーがいた。できれば今すぐに引き返したい。
アルミンは茶髪に茶目という地味な見た目をしているが、その見た目に反して頭がきれる。いわゆる参謀としてマンフレートを支えているのだ。
レンがアルミンを苦手なのには理由があるが、それは別にアルミンがレンを認めずに難癖をつけてくるから……ではない。むしろ、アルミンはレンの実力を高く評価している。だからこそ厄介なのだ。
マンフレート至上主義なアルミンは何かとレンに難題や煩わしい雑務を押し付けてくる。マンフレートの負担を減らすためならアルミンはどんな手でも使う……そういうやつなのだ。
さっさと今日の報告を済ませてしまわないとまた何を頼まれるのかわかったものじゃない。
頼まれたら断れない
「マンフレートはいつ頃帰ってくるかな?」
「わかりません」
即答され、レンは眉を寄せる。顎に手を当て思案した。
――――もしかして、マンフレートが動かないといけないような事態が起きているのだろうか。
おそらく、それは城内のざわつきにも関係しているのだろう。
そう思い至ったところでアルミンからの強い視線を感じた。
明らかに何かを言いたそうにしている。レンは渋々口を開いた。
「何かあったの?」
するとアルミンが水を得た魚のように話し出す。レンは勢いに押されながらも『うんうん』とひたすら相槌を打った。
どうやら、レンがいない間に『渡り人』が現れたらしい。しかも、城内に。
そのせいでマンフレートにも緊急招集がかけられたのだとか。
「なるほど」
そういうことならマンフレートはしばらく戻ってこないだろう。
そして、アルミンはその『渡り人』が
ちなみに、レンの反応はアルミンが望んでいたものとは違ったらしい。
アルミンがわざとらしく悲しそうな表情を浮かべる。
「そうですよね。レン様のような人からしてみれば興味ない事案ですよね。」
「いや、その、えーと」
アルミンの言葉の一つ一つに副音声がついているような気がしてレンは視線を泳がせた。
――――これ以上ここにいたら僕の胃に穴があく。いますぐ逃げなければ。
「アルミンにお願いがあるんだけど……今日の依頼分は問題無く終わったってマンフレートに伝えておいてくれないかな? 詳しいことは報告書にまとめて明日にでも持ってくるからさ。ほら、『渡り人』のことで忙しいマンフレートの手を患わせたくないし」
「それもそうですね。承知しました」
最後の一言が効いたらしい。アルミンの了承を得たレンはそそくさと部屋から出た。
そのまま第一部隊専用寮へと向かう。レンはそこの一室を間借りしている。
第一部隊はマンフレートが率いる部隊だ。マンフレートが自ら選抜した実力者揃いの部隊で個性的な面々が揃っている。そのおかげでレンが浮くこともない。
これが真面目揃いの第三部隊だったらレンは遠慮してそこらへんの民宿にでも泊まっていただろう。
自室に戻ったレンはひとまずシャワーを浴びることにした。
汗や埃を流してから食事をとるのがレンのルーティンだ。
マジックバックから各地で買っておいたモノを取り出す。どれも温かく、できたてのように美味しい。
――――ちょっと高かったけどこのマジックバッグは買って正解だったなあ。
大食漢のレンにとって容量が大きく、保存管理が完璧なマジックバッグは手放せないアイテムだ。
食事を終えた後は、マンフレートに提出する報告書の作成にとりかかった。
いつもなら口頭ですむのだが、今日は六ヶ所分、つまり六枚は書かなければならない。
資料作成は苦手だが、それでもアルミンの相手をするよりはましだ。
レンは唸りながらなんとか報告書を仕上げた。
――――――――
「何? レンはそんなに早く帰ってきていたのか。知っていたらレンも呼んだのだが。まあ、どうせ遅かれ早かれレンも『彼ら』と顔を合わせることになるだろう。アルミン、おまえももう上がっていいぞ。こんな時間まで待たせてすまなかったな」
マンフレートからの言葉にアルミンは嬉しそうに微笑むと「いえ。ではお先に失礼します」と頭を下げ、出て行った。
一人になったマンフレートは眉間の皺をつまみながら唸る。ここ数時間でまた深くなった気がする。
「まさか、
異世界からの転移者である『渡り人』。
過去の文献によると彼らは皆特異な力を持っていたという。
そして、その者達の多くが何かしらの功績を残してきたともあった。
彼らもそうなのだろうか。それとも……。
自分達は慎重に見極めなければならない。彼らが我が国の益になるのか否か。
それに、きっとうるさく飛び回る蠅が増えるだろう。それを駆除するのもまた自分達の役目だ。
それだけではない。レンのこともある。
彼の存在もまた彼らと同様に曖昧なままだ。
『渡り人』次第ではレンの立場も揺らぐ可能性がある。
「まあ、レンは気にしないだろうがな」
レンのことを気に入っているマンフレートとしては、できればこの嫌な予感が当たってほしくないところだ。
――――――――
コンコンとノック音が聞こえ、女は恐る恐る扉を開けた。そこにいたのは見慣れた男。女はホッとして肩の力を抜いた。
その隙をついて男が我が物顔で部屋の中へと入ってくる。女が戸惑っている間に男はソファーに座り、女にも座るよう促した。
仕方がなく女も向かいのソファーに座る。
男は部屋を見回しながら口を開いた。
「これってあれか? おまえが好きだった異世界転生ってやつ?」
日本人特有の黒髪黒目をした
沙織は、ずれ落ちた眼鏡をかけなおしながら小声で言う。
「というよりは異世界転
「まじか! ってことは俺は選ばれた人間ってことか! もしかして、さっきのあの巨乳のお姫様がヒロインなんじゃね」
にやにやと鼻下を伸ばす勇気とは対照的に沙織は青褪めた顔で震えていた。
「ねえ、それより……私達もう帰れないのかな……」
「さぁ、どうなんだろうな。聞いてみるしかなくね? とりあえず、せっかくの異世界楽しもうぜ! って小心者のおまえには無理かー。まあ、幼馴染のよしみで俺がなんとかしてやるから安心しとけって!」
そう言って勇気は沙織の背中を叩いたが、沙織は返事をせずに俯いた。
――――なんでそんなにお気楽でいられるの?!
確かに沙織は異世界転生・転移ものの小説を好んでよく読んでいた。でもそれは現実では決してありえない内容だから楽しめていたのだ。リアルな転移なんて楽しめるわけがない。
とてもじゃないが、勇気のように楽しもうとする余裕はなかった。
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