リンリンリリン リンリンリリンリン リンリンリリン リンリリンフォン

鈴北るい

リンリンリリン リンリンリリンリン リンリンリリン リンリリンフォン

ある、熱い夏の日のこと。


公園に、虫取りをしている少年がいた。セミでも捕まえようとしているのか、虫取り網を手に木の周りを回っている。


その少年を、ベンチから眺める女性がいた。ワンピースにつばの広い帽子をかぶり、夏の盛りだというのに涼し気な雰囲気で、少年のことをニコニコと眺めている。


母親でないことは誰が見てもわかる。若すぎる。高校生くらいだ。では母親でもない女性が何をしているのか。それはよくよく見てもわからなかったことだろう。


彼女は少年を眺めながら、休むこと無く手元のパズルをいじり続けている。最初は正二十面体だったパズルは、組み替えられるうちに熊へと姿を変える。立体パズルとは思えない、生き生きとした様子の熊だ。彼女がパズルをさらに動かすと、熊の形は崩れ、やがて猫の形になる。猫の形になったのを手触りで確かめると、彼女はまたパズルを熊に戻し、正二十面体に戻し、それからまた熊へ猫へと組み替えていく。


何度目かでパズルが猫になった時、


「ウキーーーーーーーーーーッ!」


彼女は突然サルになった。


「ウキーーーーーッ! ウキッ! キャーーーーーッ!」


パズルを地面に叩きつけ、威嚇をしながら踏みつける。その様子に虫取り少年は飛び上がって驚き、しばらく彼女の狂乱を見つめていたが、やがてこわごわと後ずさり、そして一目散に駆けていった。


一連の様子を眺めていた僕は、彼女の元へ行くと、パズルとの間に割って入った。


「ステイッ! ステイッ!」


「シャーッ!」


「ほうら! バナナだぞ!」


「ウキーッ!」


彼女がバナナに気を取られているすきに、僕はパズルを拾い、元の形に戻した。彼女もバナナを食べて落ち着いたらしい。「相変わらず上手いよね」と言い、僕の隣に腰をかけた。


彼女は僕の同級生である。そして、なんというか、すげえバカなのであった。


「さっきはなんであの子を見てたの?」


「どの子?」


「虫取りしてた子」


「ああ、リンフォンばかり見てると袋小路にはまるなと思ったわけ。だから無心に、虫取り少年のように無心にやろうと思って見てたわけ」


リンフォン、というのは正二十面体のパズルの名前だ。うまく動かせば、正二十面体は熊になり、鷹になり、そして魚になる、らしい。名も知らぬ骨董品店で、1万円のところを6,500円に値切って手に入れた外国製のおもちゃだから詳しいことはわからないが、高校一年の時手に入れて以来、彼女はこれに夢中なのである。


夢中であるが成功の兆しは見えない。


熊にするまでの手順は僕が見つけて教えたが、そこから先が猫にしかならない。


猫にはならねえだろ。


逆に僕には猫にする方法が分からない。


でも彼女がやると、リンフォンはいつも猫になってしまうのだ。


「どうしても猫になんだよね」


「どうやって猫にしてるのかと思うよ」


「無我の境地だよ」


「じゃあ虫取り少年を眺めながらやるべきじゃなかったんじゃないかな……」


「は? なんで? こういうのはね、心を無にしてやらないとだめなんだよ」


「そうだね」


彼女はすげえバカなのである。勉強はできるのだが、ネット小説から古典漢籍まで、山のように本を読む、博覧強記のひとなのであるが、なにか変なところで異様にバカなのである。


「受験生だってのにそんなパズルばっかやってていいの?」


「パズルは脳を活性化させるんだよ。だから私英語得意だし」


「中学の頃から得意だったろ……」


「古典も得意だしね。パズルは脳を活性化させるんだよ」


「中学の頃から得意だったろ……」


「だからパズル学科に進むんだよ」


「無いよ。あったとしてもパズル学科に要求されるのは数学とかじゃないの?」


「数学も得意だからなんとかなるよ」


「それが一番納得いかないんだよな」


「そうかな……数学っていちばん簡単じゃない? あっまた猫になった」


彼女の手元では、リンフォンが眠る猫の姿になっている。安らかな寝顔だ。何の憂いもない、平和そのもの、そんな顔だ。


「ウキーーーーーーーーッ!!!」


「ステイッ! ステイッ!」


「ウキャーーーッ! ホォーーーッ!」


「そら! バナナだ!」


「ウキーーーーッ!」


このバナナは私のものだ、渡さないぞ、とでも言うかのように、こちらに背中を向け、ちらちらと警戒の目線を送ってくる彼女を見ながら僕はリンフォンを拾い上げる。


これは一体何なんだろう。なぜ猫になるのだろう。説明書が英語で書かれていたのはいいとして、なぜラテン語の説明が添えてあったのだろう。


何か……曰くのあるものなんだろうか。


「だめだよ、勝手に解いたら」


バナナを食べ終わった彼女が戻ってくる。手を伸ばし、リンフォンを要求する。


返したくない、という気がする。


毎度毎度、リンフォンを手にすると思う。


なぜそう思うのか、はじめは分からなかったが、何年も同じようなことを繰り返していれば気づきもする。


つまり、僕は魅了されているのだ。


おそらくは、危険性に。


「ホォーーーーーーーーッ!!!」


「わっ」


「ウキャーーーーーーッ!」


サルの叫びとともに僕からリンフォンをひったくった彼女は、喜びの声を上げながら木をするすると登っていく。そして木に捕まったまま、リンフォンをかじってみたり、木の幹に叩きつけたりし始めた。


僕はそれをしばらく見ていたが、やがてベンチの背もたれに体を預け、体を伸ばした。


夏だ。暑い夏だ。


高3の夏だ。


最後の夏だ。


でも、まだ半年あるのだから。


危ない女に……なんていうか色々な意味で危ない女に魅了される青春にもなにかしら決着をつけられることだろう。


だから別に何も、パズルより僕の方を見てくれなんてそんなことを言う必要は


「ホキャーーーーーーーーッ!」


「ぐわっ!」


何かを顔にぶつけられ、それが口に入りそうになって、僕は思わず払い除けた。セミだ。セミを投げつけてきやがった。


「私はわかったんだよ!」


木につかまったままで彼女がなにか言う。


「何がわかったの? 人としての尊厳の保ち方?」


「多分ね! 名前に秘密があるんだよね! リンフォンの綴りはRINFONEでしょ」


「そうだっけ? 覚えてないけど」


「これを並び替えるとね、ONESHOTA(おねショタ)になるんだよ!」


「ONE……ならないねえ! ならないよ! Rどこいっちゃったんだよ!」


「それがさ! さっきのガキってわけだよ!」


「ハァ?」


「あれが逃げていったRなのさ!」


「そうかあ……そうかあ!」


「そうだろう!」


「そうだね!」


「じゃあ私は行くぜ! とぉう!」


木から飛び降り、リンフォン片手に彼女は何処かへと走っていく。


リンフォンの形は、相変わらずの猫だ。


彼女はなんというか、なんかどうしようもないバカなのではあるが、ありゃあどうやっても幸せにしかならない女だよ、と、僕は思うのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リンリンリリン リンリンリリンリン リンリンリリン リンリリンフォン 鈴北るい @SuzukitaLouis

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ