第七幕:行く先を照らすのは

第52話:それぞれの気持ち

「痛くて、寒くて。見えるって言ったら月と草だけで、怖かった。牢屋に閉じ込められたみたいに動けなくて、死ぬんだなって」


 今日の午前中までを話し、また土手下に戻る。

 ガサガサの声、詰まりがちな喉をアップルティーで湿らせながら。きっと話す順序もデタラメだ。

 それなのに出島さんは「うん、うん」と頷きながら、穏やかに聞き続けてくれた。


「誰か、って名前も呼びました。たぶん明さんと店長と、真地さんも呼んだ気がします。もちろん出島さんも」

「うん」

「でも誰も来てくれないんです。助けてって、ごめんなさいって、たくさん言ったのに。あたしが悪いんだなあって思い知りました」


 ゴクッと、りんごの香りを飲み込む。見ている彼は言葉なく、ちょっと首を傾げた。


「実家を出るって勝手に決めて、一人で生きてるから? それともお休みにムダ遣いしてるから? 夜遅くまでお喋りしたから? どれがいけなかったか分からないけど、だったら死ぬのも一人で勝手にしろって」


 あの時にそう感じたのか。改めて今、そう思うのかも区別がつかない。


「謝っても、もう遅いんだなって。風もどんどん冷たくなっていって。もう無理だと分かりました」


 覚えているようないないような、あちこちが朧な記憶の中。そこの感覚は妙にハッキリ覚えている。

 あれは諦めたというより、理解したと言ったほうが近い。


「だからしょうがないんだなって思ったんですけど。せめて誰か、出島さんが傍に居てくれたら、死ぬのも淋しくないのに。もう一度だけお話したいってお願いしました」


 しばらくじっと動かなかった出島さんが、缶コーヒーを逆さにして飲んだ。その缶を置くと、眼の回りや額をゴシゴシこする。

 わけの分からない話だ、もう終わろう。


「次に目が覚めたら出島さんが居て、嬉しかった。嬉しかったなんて言葉じゃ全然違って、足らないんですけど。嬉しかったんです」


 話し始めより、息が楽になっていた。言いたいことを言って、多少はスッキリしたのかもしれない。

 彼にはとんだ迷惑で、聞くだけ聞いたよと出ていかれても良かった。あたしには引き留める資格がない。


「……正直、俺はそこまで死ぬかもなんて思ったことがない。端居さんの気持ちが分かるとか、口が裂けても言えない」


 何ごとか、答えてくれるらしい。呆れた風もなく、ひと息の間を空けただけで。

 それは赤い缶に書かれているのか。細めた視線が、大きな両手の中で弄ばれる円筒に注がれる。転がりつつ、時にメキメキと重い音でひしゃげていく缶に。


「怖い思いをさせてごめん。いつも君の傍に居て、覆い被さってあげられなくてごめん。そんな時にも君は、俺を頼ってくれたのに」


 ほとんど板と化した缶を、彼はジャンパーのポケットに収める。ゴミ箱へ捨てていいですよ、と間抜けなことを言いそうになった。


「出島さんが悪いわけないじゃないですか、何があったかも知らないのに。それでも助けてくれたのは出島さんで、凄いですよ。何百キロも離れたところから、特撮のヒーローみたいです」


 拍手でもするべきだったろう。実際には作った笑みも微妙で、むしろ皮肉に見えたかもという有り様。


「ありがとう」


 彼の俯いた顔が、あたしの真正面へ戻る。キッと力の篭った眼が、怒っているのでもなさそうで。同じく力んだ真剣な声が続く。


「知っての通り、俺は臆病な男でね。何かやろうって時、事前の練習が欠かせない。それは相手がどう思うかって、人の考えを想像もする」


 臆病という部分には、首を振って拒んだ。その他はまだ、着地点がまるで見えないけれど。


「育手さん、お母さん、鴨下さん。それぞれみんな、どうしてそう言ったかは分からないけど。どうしたいかは何となく分かる」

「どうしたいか?」

「鴨下さん。社長さんのほうは、言った通りなんだろうね。自分のせいじゃないけど、自分のホテルに悪い評判が付くのは嫌だ、って」


 もう少し別の言い方はあったと思うけど、と付け加えられた。そこまで含め、否定することは何もない。


「カモさん? 娘さんは何で泣いてたんだろうね。お父さんか育手さんに、こっぴどくやられたのかも。ここまで大ごとになって、その人も動揺してたのかも」


 出島さんは自身へ問いかけるように、言葉を一つずつ吟味するように、ゆったりと話した。

 正に今、他人の考えを想像しながら。あたしに聞かせてくれているようだ。


「育手さんは、鴨下さんの言う口止め料を受け取れ。治療費にヘルパーも手配させる、だっけ。うーん……」


 腕組みで唸り、彼は目を瞑った。あたしの首肯もおそらく見ていない。

 そのまましばらく、缶コーヒーをもう一本買ってきて飲みきるくらいも。ようやく彼の目は開いた。


「端居さんの気持ち、をさ。一旦、脇へ置いとくとしたら。いや、そうでないと育手さんの言い分が分からなくて」


 随分と残酷な宣告の気がした。考え込む前に、まずは聞こうと意識を切り替える。

 もういいや、と全部を投げ出すのはいつでもできるから。


「育手さんは、端居さんの損になることは言ってないんだよね。鴨下さんと同じって言うとアレだけど、先を急ぎすぎというか」

「あたしの為、ですか」


 たしかにお金は必要だ。実家に帰らずヘルパーさんを頼るのも、あたしには思いつかない。

 しかし違う。何が、どう、と説明できないが。


「そうとも限らないかな」

「えっ?」

「普通に考えたら、逮捕されないとおかしいよ。当の鳶河さんは、どうして来なかったんだろうとか。育手さんはあっち・・・に丸め込まれたのかなって考え方もできる」


 そこまでは想像しなかった。だとしたら救いがない。


「だけどやっぱり、ここからは俺の勘で悪いんだけど。端居さんの為に一所懸命で、空回りした気がする」

「どうして――」


 あなたまで、明さんの肩を持つの?

 そんなことをしたって、出島さんには得がない。理屈ではそうだけれど、悪い妄想が捨てられなかった。


「鴨下さんの味方なら、札束だけでいいと思う。ヘルパーまで持ち出すのは、端居さんの為を思ってじゃないかって」

「そう、なんですかね……」


 どちらでも良くないか。明さんはカフェに戻ってほしいと言ったが、とても戻る気にはなれない。

 だったら、あの人との縁は終わりなのだから。


「とか何とか、偉そうなこと言ったけど。結局は本人に聞いてみないと分からないんだよね。どうしてそんな話になったのか、聞いてみる価値はあるんじゃないかって。俺に言えるのはそれだけ」

「そうですね、聞いてみるだけなら」


 彼が言うのなら。妥協でしかなかったが、思わぬ言葉がおまけに付いた。


「二人で話すのが難しかったら、俺も一緒に居るよ。あ、いや、邪魔ならいいけど」

「分かりました。明さんに言ってみます」


 力強く言ってすぐ、心折れたみたいに坊主頭を掻く。この人になら、もう一度くらい騙されてもいいと思った。

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