第二回サイコバニー小説大賞

 お題:「あなたとサイコバニーが、あなたの趣味で遊ぶ小説」を書いてください!?



 *



六月十七日

 スーパーマーケットの棚の前で姫路くんに遭遇した。

 相変わらず淡いピンク色のパーカーを着ていて、短い丈のキュロットからすんなりと健康的な足が伸びていて、そして相変わらず頭の上にゆらゆらと揺れるウサギの耳を付けていた。正確には、ウサギの耳が付いたカチューシャなのだと私は知っているのだけど、それは何度見ても微笑ましいものだった。


 いちばん最初に遭遇したのは近所の図書館だった。返却の本をカウンターに差し出したところ、横の貸し出しのカウンターから「それ!」と鋭い声がかかった。

 姫路くんは、驚いて声も出ないでいる私のすぐ横に小走りでやって来てカウンターの上の本を指差した。私は彼の頭の上で揺れているウサギの耳が気になってそれどころでは無かったのだけど、そしてカウンターの中にいる司書さん達も恐らく固唾を飲んで見守っている中で、姫路くんはもう一度、今度は落ち着いた喋り口調でこう言った。

「その本、探してたんです。次、借りられますか?」


 その日を境に姫路くんと遭遇する事が増えていった。元から生活圏が被っていたようなのだけど、一度認識すると遭遇率も上がるものなのだ。

「姫路くん、こんにちは」

 私はカートを押しながら隣に並んだ。

「こんにちは、生憎のお天気ですね」

 スーパーマーケットの窓は、深い鈍色の梅雨空を映している。

 私は棚に並んだ梅の実の袋に手を伸ばす。明るい黄色に熟した丸い実からは、袋越しにでも甘い香りが漂ってくる。

「これから、これで梅干しを漬けます」

 宣言するように口にすれば、姫路くんは紫陽花の花弁をなぞる水滴のような瞳を、梅の実と私へ交互に向けた。

「見に行ってもいい?」

「うん、いいよ」

 思いがけない言葉だったけれど、私は案外気軽に頷いてしまった。


 梅の実をざっと洗ったら、楊枝を使ってひとつひとつヘタを取り除いていく。その時、傷んだものや傷のあるものは横に取り分けて置いて後で梅酒か梅シロップにしてしまう。

「これ全部取るの?」

「そう」

「全部かぁ」

 やや怯んだ様子で姫路くんが嘆息した。

 わかる。私も例年少しだけ、げっそりしながら取り掛かるから。でも、いざやり始めると、意外と無心になってしまうものなのです。

 黙々と楊枝を差し込みヘタをくり抜く。ヘタを無くした梅の実が、ころり、ころりと嵩を増していく。

 姫路くんのウサ耳が揺れるのを横目で見ながら、梅の実もまさかウサ耳カチューシャ姿の人にヘタを取られる事になるとは思わなかっただろうなぁ、と甘い匂いを嗅ぐ。

「今年も暑くなりそうなので、塩分濃度は13パーセントくらいにしましょうか」

「……減塩は?」

「暑くない年にした方が良いですね」

「おのれ、猛暑め」

 たいして憎くなさそうな口調だったので、今のはポーズだ。姫路くんは律儀なところがある。

「さて次に、消毒をします」

 保存容器にアルコール度数の高い果実酒用焼酎をスプレーで吹き付けて、キッチンペーパーで拭き取りまして。

「さらに梅の実を消毒しつつ、塩を塗します」

 ヘタ付近を中心に消毒したら、測っておいた塩を纏わせ、そのまま容器の中に並べる。ぐるぐると渦を描くように面を作ったら、塩を広げて、また新たにぐるぐると梅の実を積み上げていく。

 シューシューというスプレーの音と、しゃりしゃりと塩を塗す音が部屋の中に静かに降り積もる。外は相変わらずの曇天。

 これを積み上げ終えたら蓋をして、梅酢と呼ばれる梅のエキスが、一週間ほどかけててっぺんまで上がってくるのを待つ。

「消毒がちゃんと出来てないと、途中でカビが生えます」

「えっ」

「偶にあることですけど……あんまり経験したことないですよ」

 姫路くんは眉根を寄せた。たぶん、心配になったのだろう。

 そこからの一週間、私は毎日、梅の実の様子をツイッターに報告することになる。その度に姫路くんのアカウントからいいねボタンが送信される。やはり姫路くんは律儀なところがあるのだった。



六月二十四日

 無事に梅酢が上がってきたので、容器の中に赤紫蘇を入れる。

 赤紫蘇の葉を塩揉みして灰汁を出し、また塩を足して揉んで灰汁を出し、灰汁が出なくなるまで繰り返し作業をする。

「私がやりますので」

「……はい」

 予告した日にきっちり現れた姫路くんだったけれど、残念なことに真っ白なTシャツを着ていたので、作業は私が終わらせることにした。

 灰汁は、捨てても捨てても湧いてくる。まるで捨てても捨てても戻ってくるオーソドックスな呪いの人形の如くだ。

「ねぇ、PSYCHO BUNNYって何?」

「うん、何だと思う?」

 変わったロゴのTシャツだと思って何気なく聞いたのに、質問に質問で返されてしまった。

 ———おしまいだ。

 黙ったまま、灰汁の出なくなった赤紫蘇を容器に詰め込んだ。透明に透き通っていた瓶の中に、薄い紅色が波紋のように、じわりじわりと広がっていく。

「このままひと月ほど置きます」

「わかった。ひと月後だね」

「次は天気の良い日に」

 そう伝えてから、二人とも視線を窓の外に投げる。まだまだ重そうな雲が広がる空。今年は梅雨が長い。梅雨明け宣言は、もうあと少しだけ先になりそうだった。



七月二十九日

 晴れの予報が三日間続けて出された土曜の朝、インターフォンが鳴る。

「来たよ」

「干しますよ」

 玄関先で暗号のような会話を交わすと、ちょっと笑ってからベランダへと移動する。丸い大きなザルは、竹で編んだそれ専用のもので、もう長いことこの季節に大活躍を見せる。

「うわぁ、真っ赤になってる」

 赤紫蘇を避けて現れた実を見て、姫路くんが感嘆の声をあげた。つばの広い麦わら帽子を被った私は、長い菜箸を使って慎重に、梅の実をひとつひとつ取り出して並べていく。

 ザルの中が真っ赤な粒でいっぱいになる頃には、ベランダも紫蘇の香りで満たされている。それにしても暑い。良く陽が当たるようにザルの位置を調整してから、私は汗を拭った。

「梅ジュース、ありますよ」

「賛成!」

 姫路くんの頭の上でウサ耳がぴょこんと元気よく跳ねて、これじゃ帽子が被れないなぁと思った。

 クーラーを効かせた室内で梅ジュースを飲みながら、YouTubeを観たり、本棚の本を引っ張り出して広げたりしていたらあっという間に二時間くらい経ってしまう。慌ててベランダを覗き込む。

「大変! 日陰!」

 ザルが半分くらい日陰になっていて、私は菜箸を掴んでベランダへと飛び出す。のんびり追いかけて来た姫路くんは麦わら帽子を私の頭に乗せながらちょっと笑った。

「必死すぎ」

 それでも、ひとつひとつ梅の実をひっくり返す手付きを興味深そうにじっと眺めている。

「暑いから、部屋の中にどうぞ」

 ザルから目を離さずに案内するけれど、姫路くんは「うん」と生返事をしたまま、ベランダから動こうとはしなかった。



 梅の実から徐々に水分が失われ、それと同時に、見慣れた姿に変わっていく。

 たかが外れたようなかんかん照りの日曜を経て、気怠い月曜を通り過ぎ、火曜の夜に再び姫路くんがインターフォンを鳴らす頃には、梅の実はすっかりと梅干しになっていた。

「こちらが今年の成果になります」

 小瓶に詰めた数粒の真っ赤な梅干しを恭しく差し出すと、姫路くんのまあるい瞳がそれを映す。何度か瞬きを繰り返してから、その目を静かに細めた。

「ありがと」

「いえ、こちらこそ」

 りしゅう姫、と書かれたトートバッグに小瓶を収めた姫路くんは「じゃあ、またね」と歌うように言って夏空の中に背を向けた。やっぱり頭上で揺れる一対のウサ耳を目にしながら、私は「はい、またツイッターで」と答えるのだった。

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