初めての映画

 薄暗いスクリーンルームの中に踏み込むと、そこにはすでに大勢の人たちが居た。今から始まる物語を前に恋人や、友達や、家族との談笑を楽しむ人たちもいる。一人静かにただ待つ人も、今にも寝そうなぼんやりとした人もいる。

 俺と玲奈さんもそんな多種多様な人たちの中の一部になって、映画が始まるのを待つことにした。


「す、凄いたくさんの人だね」

「そうだよな。俺も初めて来たときは驚いたよ」

「あ、あれ? 初めてって言ったっけ?」

「反応見てれば分かるよ」


 スクリーンには、毎度おなじみ上映中の注意喚起や広告が流れている。この後待っているであろう反応を想像しながら、そ、そうですよね、なんて言って苦笑を浮かべる玲奈さんの横顔を見つめる。


「あ、この映画も見てみたい! ま、また今度一緒に見に来ない!?」

「いいね、それ」

「って、頼斗君? 私の顔になんか付いてる? なんか見られてる気がするんだけ、ど?」


 見つめていたら、見つめ返されてしまった。尋ねてくる玲奈さんの純粋無垢な瞳を見ていると、ちょっとした悪戯心も消沈してしまった。


「いや、これから暗くなるから心の準備しておいたほうが良いよ」

「え?」


 直後、バッ、と瞬時に照明が落ちる。スクリーンの僅かな光だけ残った部屋の中で、玲奈が小さく肩を震わせたのは見逃さなかった。


「び、びっくりした……言ってくれなかったら、声出てたかも」

「そりゃ、言っておいて良かった」

「う、うん……心臓ドキドキしてる」


 そう言って片手を胸元に添える玲奈さんのもう片方の手が、手すりに置かれた俺の手に置かれているのは、今度は黙っておくことにしよう。


「っと、そろそろ始まるぞ。映画中も、驚いてあんまり大きな声出すと怒られるから、気を付けて」

「気を付けます……」


 ゆっくりと流れる視線は、弧を描いてスクリーンを向いた。

 それと同時に、幕開けとなる。オープニングテーマが鳴り響き、序章は駆け足で進んでく。承、転と回って行くストーリーの中でインパクトのある高音が透き通る。終章はゆっくりと、それでも大波に攫われてやってくる。段々と高鳴りするエンディングテーマの中で、玲奈は静かに涙していた。


「ぐすっ、ぐすっ……よかったぁ~!」

「泣かないでよ、玲奈さん。ひとまずほら、落ち着ける場所に行こ」


 ラブコメディは笑いと涙を見せてくれた。最後には結ばれた二人の結末は、たった数時間では語りつくせないほどの劇的なドラマの最中にあった。移り変わる景色の中で、揺らぎ揺らいだ心の中で。悩み抜いた決断の末に辿り着いた終着点で、待っていた幸せは微笑んだ。見る人々の涙を誘うような、綺麗な笑みだった。

 何もかも理想的な、恋物語だった。


 最寄りの広場に出た。ジュースの屋台が出ているのを見つけて、開いていた席に玲奈さんを座らせる。適当にドリンクを選んで戻ると、やっと玲奈さんは泣き止んでいた。


「大丈夫?」

「う、うん。収まった……」

「よかった。ほら、泣いた後は喉が渇くからこれ飲んで」


 玲奈さんは、まだ充血した目の縁に指をなぞらせながら開いてるほうの手でジュースのカップを受け取った。


「ありがと」


 口を窄めてストローに付ける。僅かに氷のぶつかる音がして、玲奈さんは口を離した。


「はぁ、でも、本当に良かったなぁ」

「俺も、面白かったと思う」

「でしょでしょ! あぁ、もう一回観たい!」

「見たばかりなのに?」

「観たばかりだからだよ! 鉄は冷めないうちに打つ、的な?」

「それ、たぶん意味違う」


 俺が言うと、玲奈さんは、そうなの!? と驚いた後で小さく笑う。うつったように俺も笑えば、段々と玲奈さんの笑い声は大きくなる。俺もそれをまねるようにボリュームを上げると、なんだかすごく清々しい気持ちになった。


「楽しかった。また一緒に来ようね! 約束!」

「ああ、そうだな。また一緒に映画を見に行こう。今度はドリンクとポップコーンを持って入れるくらいには、お腹を空かせてからな」

「も、もぉ! だってあのカフェのスイーツ美味しかったし!」


 恥ずかしそうに怒って見せる玲奈さんの表情も、夕焼けに染まり始めた空に映えた。立ち上がって拳を握る姿が、幼さを感じて可愛らしい。子どもっぽい仕草の一挙一動が、やけに鮮明に、スクリーンに映るキャラクターかのように焼き付いて見えた。


「じゃあ、あのカフェもまた行こうな。他にも食べたいもの、あったんだろ?」

「うぅ、誤魔化されてるような……。でも、行く。星座むすびさんと流星すすみちゃんも誘って! ファミレスの一緒に行きたいし、お洋服も一緒に買えたら楽しそう!」

「だな」


 さっきまで怒りの表情を浮かべていたのに、今はもう笑顔を浮かべている。転々とする素顔のすべてが輝いて見えて、思わず心から笑ってしまえた気がする。

 そんな俺の顔を見てか一瞬驚いた玲奈さんが、とびっきりの笑顔を向けてきた。


「うん! 絶対!」

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