第35話
今この場でルティができることはなにもない。今にも雨が降りそうな中、オーウェンは馬に乗って屋敷を出ていってしまった。
本当はなにか手伝いたかったのだが、下手なことをするわけにはいかない。監査中なのもあり、よりいっそう慎重に動くべきだと思い直した。
なにもできない自分が悔しく、ルティはボーノをぎゅっと抱きしめる。すると彼の鼻先がピクピク動き、視線が窓の外に向かった。
つられてそちらを見ると、霧雨が降り始めたようだ。
(雨の時にしか咲かない薬草もあるのよね……)
弟が高熱を出した時、解熱効果のあるその花を摘みに行ったことを思い出す。
「そうだ、その花だったらオーウェン様の痛みにも効くんじゃ……!」
邸宅の庭の奥は、森に繋がっている。というよりも、森一帯も含めてクオレイア家の敷地というわけだ。
「森に入ってはいけないとは言われていないわ」
しかし、一人で出歩かないようにと約束してしまっている。いても経っても居られず、誰か一緒に森に行ってくれないか探したのだがみんなそれぞれ忙しそうだ。
フェルナンドの監査が重なっていることもあり、使用人たちもいつも以上に気を張っている。メルがいてくれたら心強かったのだが、いないものは仕方がない。
「レイルさん、お庭に行きたいのですが」
「一人で出歩いちゃダメって、オーウェンに言われていなかったっけ?」
ルティは頷きつつ、ボーノを掲げる。
「一人じゃありません。ボーノがいます」
「……たしかにそれなら一人じゃないけど」
レイルはだいぶ渋ったのだが、ルティはボーノと一緒に庭を散策する許可を無理やりもらった。
というよりも、あわただしくなってきたのをいいことに「行ってきます!」と強行突破した。
雨が降る中ルティは庭に降り立つ。それほど雨脚は強くない。
「ちょっとでも雨が降ってくれればシズク草は咲く……湿気に反応するから。それが森に生えていたらラッキーね!」
歩きなれた道を進み奥へ向かう。背の高い樹木が植えられて垣根になっており、その先はまだ立ち入ったことがない。
庭師たちも手入れをしないように言われているのか、木々の間から覗いた先は荒れているように見える。
人がひとり入れるほどの隙間を垣根の間に見つけると、ルティは間を抜けて森へ足を延ばした。
おそらく以前は道だっただろう痕跡を進み、森へ向かって歩く。背の高い草が多く茂っており、すんなりと前に進むことはできなかった。
ルティの背丈ほどもあるような雑草をかき分けてしばらくすると、森の入り口なのかうっそうと生い茂る木々が現れた。
雨が強くなってきたのだが、巨木の枝葉によってそれほど濡れる心配はなさそうだ。ルティはボーノとともに森を進む。
踏み固められたけものみちをボーノが発見し、ルティが確認するとたしかに人が歩き固めたような跡がある。
「もしかして、先々代が研究していたっていう書斎に繋がっているかも」
毒物が茂っていて近寄れないというのならば、ルティには知識がありボーノには優れた嗅覚がある。
危ないのはもちろん理解しているのだが、もしこの状況を打破するヒントが得られるのならばと思うと、ルティの足は自然とそちらに向いていた。
雨の日にだけ咲く、鎮痛薬にもなるシズク草の群生地をボーノが発見したところでルティはそれをたっぷりつんだ。
『ぷぷん、ぷぷぷぷーん!』
「おりこうさんね、ボーノ……」
ボーノがルティの服の裾をかじって引っ張る。なんだろうと思い引っ張られた方向に歩いて行った先。
「あっ!」
そこには山小屋にも似た小さな建物があった。すぐにそれが立ち入り禁止の書斎だと気付き、ルティは慎重に近づく。
「きっと、痛みを止める研究をしていたんだ。こんなにたくさん、薬草ばかりが植えられているし……」
建物の周りには、薬草と呼ばれるものが数多く生息している。おそらく人為的に植えられたのだろう。中には扱いが難しいもの、俗にいう毒草なども混じっている。
下手に摘み取ってしまったら、大変なことになるものも植わっている。
少しでも触れると手荒れやかぶれを引き起こすもの、猛毒の液を出すもの、葉にたくさん棘がついているもの……。
見ただけでも、ざっと十種類近くは危険な植物が植わっていた。これは近づくなと言われるのもよくわかる。
「でも、ボーノがいれば安心よね」
『ぷんっ!』
任せて、とでもいうようにボーノが鼻をピクピク動かす。彼に続き、ルティもゆっくりと小屋に近づくと扉に手をかけた。
「あ……!」
部屋の内部は天井の一部が朽ち、雨がざあざあと流れ込んでいる。それほど大きくない室内は見渡せるほどだが、雨風による浸食で半壊していた。
「これじゃ、処方箋は見つけられないかもしれないわ」
少し残念に思いつつ中に足を踏み入れた瞬間。
バキッという音とともに床が抜けた。
「わ、わ、わわっ……!」
『ビギィ!』
ルティは慌てて上に向かってに手を伸ばしたのだが、そのまま地下深くに落ちてしまっていた。
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