第16話

 公爵邸では、朝食のスクランブルエッグとベーコンとフォカッチャ、夕食は肉と魚が毎日交互に出されるというルーティーンを崩さない。


 今日は事務処理をしてから出勤するというので、ルティとオーウェンはゲストルームのテラスでベンチに座りながらお茶をしていた。


「オーウェン様、お食事の件で料理長にお願いしたいことがあるんですけど」


 ルティは食事の件で我慢するのがつらくなってきていたため、キッチンに行きたい旨を伝える。


「昼過ぎなら時間が取れるから、一緒に行こう」

「ありがとうございます。昼食を自分で作ろうかなと思いまして」

「そういえば、裁縫とドレスの紐を結ぶ以外は、君はなんでもできるんだったな」

「あの紐は生きていたんです!」


 ルティが言い訳すると、オーウェンはふっと笑う。


 不意打ちの笑顔を見たルティは、物珍しさに彼に近づいた。


「今笑いました? 笑いましたよね!?」

「…………笑っていない」

「嘘です! 笑っていました! めちゃくちゃ笑っていました!!」

「見間違いだ!」


 絶対笑ったはずだと彼のほうに身を乗り出す。しかしオーウェンが避けたため、バランスを崩して彼の胸に顔面から倒れ込んでしまった。


「わっ……!」

「ほら見ろ。人をおちょくるからだ」


 ルティを抱きとめつつ、ちょっと意地悪な顔で覗き込んでくる。その時、植木がガサゴソと揺れた。


「ルティ様――!」


 ガーデンからメルが手を振りながらやってくるのが見えた。


 しかし、ルティがオーウェンにのしかかっているのに気付くと、顔を真っ赤にして


「し、し、失礼しました!」とすぐに踵を返して駆け出して去っていってしまう。

「あっ、ちょっとメル待っ……! ああ、行っちゃいました。絶対に誤解しましたよね」

「そもそも『熱愛アピール』しないとなのだから、誤解されていいはずだが」


 ひとまずオーウェンから離れようとしたところ、ルティを抱く彼の腕に力がこもった。


「どうし……」


 オーウェンは静かにと小さく呟く。

 すると、ガサッと大きな音がして、とある人物が植え込みから草まみれで飛び出してきた。


「えっ……メイド長!?」

「――し、失礼いたします!」


 よろけて出てきたのに、一秒後にはすっと背筋を伸ばしてくるりと振り返ると、いつもの毅然とした様子で彼女は歩き去っていく。


「もしかして、見張られていたんですかね?」

「……さあ」

「あの、オーウェン様。もう離れてもいいですか?」


 ルティが見上げると、オーウェンはびっくりしたように目を見開く。力を緩めるなり、「すまない」と気まずそうにそっぽを向いた。


 それからルティとオーウェンが厨房横の休憩室に行ったのは、忙しい昼の時間を少し過ぎてからだ。


 彼らの邪魔にならないようにと気をつかったつもりが、逆にタイミングが悪かった。


「失礼しま……あっ」


 突然現れたルティとオーウェンの姿に、料理人たちはいっせいに手を止める。彼らはまかないを食べている最中だった。ピリリと緊張した空気が張りつめる。


「すみません、いらっしゃるとは存じ上げず、休憩を取っておりました」


 初老の料理長が慌てて奥から出てくると、申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「突然で悪かった。彼女が話があるというので」

「お食事の最中に押しかけてしまい、申し訳ありません」


 ルティは美味しそうなにおいが漂ってきている厨房内をちらりと覗く。さらにみんなが食べているものを視界に入れると、ぱああと表情を明るくした。


「料理長さん、今皆さんが召し上がっているものはリゾットですか!?」


 急に話しかけられた料理長は目をしばたたかせた。


「ええ。よくおわかりになりましたね」

「私、大好きです!」


 ルティのそれに、料理長をはじめコックたちが驚いたように顔を見合わせている。


「屋敷のみなさんに、ごった煮を出すわけにもいかないですし、こうして残り物をリメイクして、調理場の皆で食べているんです」


 料理長の説明に、なるほどとルティは頷く。


「お鍋一つでできて洗い物も少なくすみますし、素材の味が混ざって美味しいですよね」

「おっしゃる通りです。美味しいんですが、首都ではあまり食べられていないみたいで」


 聞けば、料理長の出身はここよりも北のほうだという。ルティは美味しい匂いに我慢できなくなっていた。


「料理長さん、もしよかったら一口いただけませんか?」

「えっ……」

「いいですよね、オーウェン様?」

「もちろんだ。料理長、彼女に味見をさせてあげてほしい」

「ですが」


 オーウェンの言葉に、料理長は一瞬考えたあとに深皿によそったリゾットを渡してくれた。ルティは一番端の席に腰を下ろし、まだ熱いそれにふうふうと息を吹きかけて一口食べた。


「……お、美味しい!」


 事の次第を見守っていた料理人たちの肩から、みるみる力が抜けていく。料理長はふと表情を緩めた。


「料理が不味いと叱られるんじゃないかと、みんなびくびくしていたようです。ルティ様のお口に合ったようで安心しました」

「叱るだなんてとんでもない。お料理は素晴らしいです。ですが、昼ご飯がどうしても食べたいので、こちらで作らせてもらえたらと思ってお願いに来たんです」


 そうだったのかとみんな納得する。


「同じメニューばかりで申し訳ないです」


 料理長が謝ってきたので、ルティは首を横に振った。


「それは、オーウェン様の要望だからですよね。それに、オーウェン様がいらっしゃらない時には、スープのだしやソースの素材を使いわける工夫をしてくれていますし、私は飽きませんよ」


 料理長だけでなく、コックたちが驚いて息を呑む。オーウェンもそのことは知らなかったのか、首を傾げていた。


「どうしてそんなことがおわかりに?」

「食いしん坊なんです、私。ちなみに……おかわりをいただいてもいいですか?」


 美味しすぎて一瞬で食べちゃいました、と言うと、料理長は今日初めて嬉しそうな顔になっておかわりをたんまりよそってくれた。

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